LGBTの生産性と日本の政治
自民党の杉田水脈衆議院議員による『新潮45』へのLGBTに関する偏った主観に基づく問題多き内容の寄稿がニュースとなり、国内に留まらず、海外メディアにも取り上げられた。
国民の代表のはずの国会議員が、日本の人口の約8%、つまり左利きの人や、AB型の人の割合とほぼ同じぐらいとなる13人に1人はLGBT層という人々を蔑視したということになる。同時に海外にまで日本の国会議員の人権感覚の低さをさらけ出した。
自民党の杉田議員の寄稿の中で、最も多く指摘を受けている箇所は、「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」との部分である。さらには「同性愛は、不幸な人を増やす事につながりかねない」や「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」などとも書いている。
杉田代議士は、カップル=産むを前提として考えているなら、数年前の同じ自民党の柳沢伯夫厚生労働相の少子化対策に言及する中で「15から50歳の女性の数は決まっている。生む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」との失言と根っこは同じである。さらに「生産性がないから税金を使う必要がない」や「LGBTは不幸な人」の発想が行き着く先は、相模原障害者施設殺傷事件の加害者のメンタリティーにも通ずる。
天然なのか、わざとなのか、杉田議員が言う「生産性」の言葉の意味は理解しにくいが、あえて考えると2つありえる。一つは、母が子を産み落とす行為そのものであり、もう一つは、労働生産性である。むしろ前者に関して「生産性」と言う言葉を「普通」は使わない。出産は労働の内に入れず、母が生産性を意識して、ましてや今のご時世において国家のために子を産むわけでもない。「生産性」を使うなら、国会議員ならなおさら、後者についてかたるのが「普通」である。
LGBTのカップルは子供を産まないかに関して言えば、実際にはLGBTカップルの中にも子供を産む者はいる。逆に言うとLGBTではないカップルが必ずしも子供を産むとは限らない。産む産まないは個人の選択権でもあり、子供を望もうと授からない者もいる。となると自ずとLGBT=子供を産まないとはならず、結婚=産むということにもならない。
人間の場合は他の動物と違い、子供を産めばそれで終わりではなく、育てるという大きな役目が残る。その点、仮にLGBTに関して、100歩譲って産まないと解釈しても、立派に子育てはできる。例えばアメリカではLGBTの親に育てられた子供は600万人、フランスでは4万人いると言われている。
「生産性」を辞書で引くと「経済学で生産活動に対する生産要素、つまり労働や資本などの寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す」と出てくる。言葉としての「生産性」の一般的な使い用途である。「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」と「LGBTの生産性」について、例えば、国連はLGBTの現状やその生産性について次のように説明している。
1/2から2/3のLGBTの若者が幼少期にいじめを経験し、3人に1人が登校拒否、または退学している。多くのLGBTの若者が彼らの保護者から拒絶され家から追い出され、欧州の5人に1人が過去に職場での差別を経験している。
米国の主要都市でホームレスの若者のおよそ40%がLGBTあるいはクイアと認識している。LGBTの人々の中での失業、貧困、食糧不足、鬱(うつ)の割合は高い。
39カ国で行われた調査では、LGBTの人々の疎外と潜在的経済生産における損失の相関が見られる。世界銀行の最近の試験的研究ではLGBTの人々に対する差別は、インドの経済規模と同等の年間320億ドルに及ぶ損失を生み出している。
2015年にアメリカで合衆国最高裁判所が全州に同性間での結婚が認められたその後一年の間に約123,000組の同性カップルが結婚。結婚に伴う費用等で、地方財政に約1500億円の経済効果、約1億円の税収に、約18,900もの職を創出した。
米国におけるLGBTの経済効果、いわゆるピンクマネーは83兆円とされている。2018年の日本の国家予算は約98兆円であることからその経済希望の大きさが比較しやすい。
杉田議員が今回の件に触れて、次のようなツイートをしている。(現在は削除されている)
ということは、これは杉田議員に限らず「自民党カラー」ということになるのだろうか。
ここまでくると、「過去の雛形に縛られ、人権や多様性を軽視する自民党」対「多様性や人権を尊重し、違いを力に変える野党」という対立軸が浮かび上がってくる。LGBTに限らず『多様性や人権』は、日に日に日本の選挙においても立派な争点の一つになってきていることは間違いないようである。