グランアレグリアのラストランが藤沢和雄の優しさに応えた走りだと思える理由
2歳時は牡馬相手にGⅠ挑戦
21日、阪神競馬場で行われたマイルチャンピオンシップ(GⅠ)はグランアレグリア(牝5)が優勝。ゴールの瞬間、競馬場は大きな拍手で包まれた。
「おぉ、凄く沢山の応援をしてもらっていたんだな……」
それを聞き、そう思ったというのは同馬を管理する美浦の藤沢和雄調教師。これが実に34回目となるGⅠ制覇であり、グランアレグリアにとっては6つ目となる大仕事。そしてこの勝利は、これを最後にターフを去るマイルの絶対女王が、伯楽の“優しさ”に応える形の優勝劇と思えたのだった。
2018年6月、東京競馬場でクリストフ・ルメールを乗せて新馬勝ちをすると10月にはサウジアラビアロイヤルC(GⅢ)を勝利。デビューから2連勝で早くも重賞初制覇をマークした。
続いて出走したのは朝日杯フューチュリティS(GⅠ)。前の週に同じ舞台で牝馬同士の阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)があるにもかかわらず果敢に牡馬に挑ませた。
「阪神ジュベナイルだとクリストフが乗れないという事でした。当時のグランアレグリアはまだ若くて難しい面もあったので乗り替わるよりも牡馬相手でも挑戦させた方が良いかと判断しました」
しかし残念ながらこの決断は吉とは出なかった。1番人気に支持されたもののアドマイヤマーズ、クリノガウディーに遅れをとる3着に敗れてしまった。
3歳時に思い切って休ませる
こうして連勝の止まったグランアレグリアだが、3歳初戦の桜花賞(GⅠ)では休み明けも苦にせず勝利した。
クラシック第1弾をモノにした彼女を、しかし藤沢は第2弾となるオークス(GⅠ)へは送り込まなかった。「前進気勢が強いから」という理由で桜花賞と同じ1600メートルのNHKマイルC(GⅠ)へ出走させたのだ。
結果は4位入線の5着。すると名調教師はここでしばらく休ませる決断をする。
「牝馬は3歳くらいの時期に飼い食いが細くなる傾向にある。これはシンコウラブリイの頃からほとんどがそう。それでも掛かるくらい一所懸命に走っちゃうのが牝馬。グランアレグリアは高い能力があると見込めたからここで無理をしてほしくなかった。それで牧場と相談した結果、しばらくの間、レースに使わないという決断をしました」
復帰したのは年の瀬も押し迫った頃となるのだが、陣営のこの采配に、グランアレグリアが一発で回答を出す。12月21日、約7ケ月半ぶりにターフに姿を現した同馬は道中モマれる厳しい競馬となりながらも直線、内から抜け出すとアッという間に後続を突き放す。結果、2着のフィアーノロマーノに5馬身もの差をつけて圧勝してみせた。
あのアーモンドアイに完勝!!
古馬になると更なる成長を見せる。追い込み切れず2着に惜敗した高松宮記念(GⅠ)だが、この時の体重はデビュー以来、最も重い486キロ。新馬戦が458キロだったから30キロ近く大きくなっていた事が分かる。
こうして迎えた続く安田記念(GⅠ)では更に6キロ増えた492キロ。女王アーモンドアイに2馬身半の差をつけて完勝し、マイルまでなら抜けた存在となった事を証明してみせた。この時、騎乗した池添謙一は道中、芝の塊を顔面に受け、流血しながらの好騎乗。一方、お手馬が重なったためアーモンドアイに騎乗したC・ルメールは、レース後、言った。
「アーモンドアイは本当に素晴らしい馬。今回もしっかり走ってくれたけど、グランアレグリアがそれ以上に強かった。アーモンドアイが負けるなら、この相手だと思いました」
以降の同馬の活躍に関しては皆さん周知の通り。ルメールを鞍上に戻した秋にはスプリンターズS(GⅠ)で驚異的な末脚を披露して優勝。続くマイルチャンピオンシップも窮屈な位置から立て直して最後はゆうゆうと抜け出し、JRA賞最優秀短距離馬を掌中に収めた。そして今年は2000メートルの大阪杯(GⅠ)と天皇賞(秋)(GⅠ)こそ敗れたが、1600メートルでは喘鳴症の症状が出た安田記念でアタマ差2着に惜敗したのみ。ヴィクトリアマイル(GⅠ)はゴール前だけで2着ランブリングアレーに4馬身差をつけて圧勝するとラストランとなったマイルチャンピオンシップは過去最高の506キロという体で完勝してみせた。
伯楽の優しさに応えた勝利と思えた理由
さて、こんな名牝について、藤沢は常日頃、次のよう言っていた。
「これくらい走るレベルの馬だと、何も苦労はありません」
実際のところは先述した通り、ノドが鳴ったり、はたまた爪に影響が出たりと、全く手を焼かなかったというわけではないだろう。ところがそんなこちらの意見に対しても、かぶりを振ってから口を開く。
「そういった細かい事はどの馬にもあるんです。それは能力が“それなり”の馬だと問題になるかもしれないけど、グランアレグリアくらい脚の速い馬だと関係ありません」
そして「それよりも気になったのは……」と言い、次のように続けた。
「2歳の早い時期から一所懸命に走る馬で、いつ走る気がなくなっちゃうのか?と、それは心配しました。ただ、結果、5歳で引退するまでプツンとやめてしまう事なく、しっかり走ってくれました。本当に大した女の子です」
最後まで馬を立て、自らの手柄とは言わない指揮官だが、その言葉を額面通りになぞっていては、真相は見えてこない。個人的にはやはり3歳の一時期、あえて競馬を使わなかった事が、後の大成につながったと考えている。“走る馬”だからこそ使いたくなるのが普通だと思うが、目先にとらわれずあくまでも将来を見据えた藤沢の馬に対する優しさが、こういうタクトを振るわせたのだろう。もし、あそこで一つボタンを掛け違えていれば気付いた時には取り返しのつかない問題となっていたかもしれない。だからこそ、彼女の6つのGⅠ勝ちは、伯楽の優しさに対する答えを具現化したモノだと思えるのだった。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)