幼馴染みの武豊と共に、アメリカで夢の実現に挑む1人の調教師のお話
12年前のBC挑戦
現地時間、今週の金曜日、土曜日とアメリカのデルマー競馬場でブリーダーズカップ(以下BC)デーが開催される。日本からは史上最多の19頭が挑戦する予定だ。
2012年、このBCターフ(GⅠ、芝2400メートル)に挑んだのがトレイルブレイザー(牡、当時5歳、栗東・池江泰寿厩舎)だ。この年のBCはサンタアニタ競馬場が舞台だったが、約1カ月半前にアメリカ入りした同馬は現在、閉場となったハリウッドパーク競馬場の厩舎に入った。2場は距離にして約55キロメートル離れていたが、あえてそこに入れた理由を、管理する池江は次のように語った。
「レースも調教も同じ場所で、変に慣れてしまうのを避けたかったのです」
サンタアニタへ移動したのは決戦の3日前。その前日に行なわれた最終追い切りで手綱をとったのは、武豊だった。
「良い感じで動いてくれました」
もっとも何事もが順風満帆だったわけではない。レースを翌日に控えた11月2日の朝、尻っ跳ねをした際に左脚に外傷を負ってしまい、予定していたコースのスクーリングを中止したのだ。
「この競馬場独特のスタート直後の下り坂や3コーナーあたりのダートを横切るコースを1度走らせたかったのですが、それが出来なくなってしまいました」
そう語った池江は「ただ、不幸中の幸いで、怪我はごく軽度のものでした」と続けた。
レース当日は装鞍所で何度も立ち上がる等、少々うるさい素振りをみせた。ただ、そのあたりも予想していた指揮官は、パドックや馬場へ真っ先に入れるように対処済み。その成果もあってそれ以上にイレ込むことはなかった。
競馬は好スタートを決め、好位で上手に立ち回った。日本のナンバー1ジョッキーにいざなわれ、勝負どころで積極的に動くと、最後の直線の入口では先頭に立とうかというシーンを演出した。しかし、そこからの伸びを欠いた。結果は4着。一瞬、夢を見られる競馬ぶりではあったが、残念ながら栄冠を掌中に収めるまでには至らなかった。
「負けたのは悔しいけど、勝ちに行く競馬をしてくれた事に関しては満足しています」
池江はそう言った。
幼馴染みで挑むBC
池江と武豊は小学生の頃からの同級生。同じ乗馬苑で馬乗りを教わった仲だった。
「豊は小学生の頃から『どの競馬場はどこで仕掛けるのが良い』なんて言っていました。自分も当時は騎手を目指していたので、互いにそんな話をよくしていました」
後に体が大きくなって騎手の道は諦めた池江だが、目標を調教師に変えると今度は「タッグを組んで頂上を目指そう」と誓い合った。
後に2人は夢をかなえ、調教師と騎手になった。実際には様々な都合があり、常にタッグを結成するわけにはいかないが、トレイルブレイザーと挑んだBCは、間違いなく幼い頃に誓った夢の実現に一歩近づいた瞬間だっただろう。
さて、今年のBC。冒頭で記した19頭の日本馬の中に牝馬限定のダート戦であるBCディスタフ(GⅠ)に出走するオーサムリザルト(牝4歳)がいる。池江が送り込むこの馬は、デビュー以来、ここまで7戦全勝。そのうち5戦で勝利に導いたのが武豊であり、初重賞制覇となった前々走のエンプレス杯(JpnⅡ)でも前走のブリーダーズGC(JpnⅢ)でも一対となって勝利を手にした。そして勿論、今回のBCでもコンビは継続される。天皇賞・秋(GI)の優勝を置き土産に一旦日本を離れたレジェンドを背に、今度は海の向こうの最高の舞台で、2人の夢が現実となる瞬間が訪れる事を期待しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)