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「亡きオーナーに報告を……」怪我を乗り越えてGⅠに挑む鞍上鞍下を見守る男の話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
エリザベス女王杯(GⅠ)に挑むシンリョクカの調教に騎乗する竹内正洋調教師

競馬記者の子として育つ

 「最初はあるオーナーの紹介でした」

 調教師の竹内正洋は、騎手・木幡初也との出会いをそう言うと、更に続けた。

 「私自身、彼は乗れる騎手だと評価していた事もあり、後にこちらから声をかける形で所属になってもらいました」

 それが2021年の話。木幡初也が騎手デビューして7年目の事だった。

木幡初也騎手とシンリョクカ
木幡初也騎手とシンリョクカ

 1979年1月、千葉県に生まれ2人兄弟の末っ子として、育てられた竹内。父が競馬専門紙の記者という事もあり、幼い頃から競馬場に出入りしていた。自然、騎手に憧れ中学卒業時に競馬学校を受験。しかし、不合格だった。すると……。

 「父から大学を出て調教師を目指せば良いと言われました」

 そこで青森県の北里大学獣医学部に入学。卒業後、大学近くの高校の馬術部で馬乗りを教わった。更に育成牧場で3年働いた後、競馬学校厩務員課程に入学。2006年10月に卒業すると、美浦・国枝栄厩舎、矢野照正厩舎(解散)、奥村武厩舎を経る中で調教師試験に合格。15年、開業した。

重賞勝ちの難しさを痛感

 「解散厩舎からセイコーライコウが転厩してきました」

 同馬は14年のアイビスサマーダッシュ(GⅢ)の勝ち馬。竹内の下でもオーシャンS(GⅢ)や函館スプリントS(GⅢ)等に出走。いきなり重賞初制覇のチャンスが訪れたかと思えた。

 「でも、すぐに勝てるほど甘くなかったです。重賞勝ちの難しさをいきなり教えられました」

 22年から今年までペガサスジャンプSを3連覇したビレッジイーグルとの出合いこそあったが、やはり重賞勝ちはないまま、開業10年目となる24年を迎えた。

22~24年にかけてペガサスジャンプSを3連覇したビレッジイーグル(写真は24年の3連覇達成時)
22~24年にかけてペガサスジャンプSを3連覇したビレッジイーグル(写真は24年の3連覇達成時)

 そんな今年は前年の活躍から「今年こそ重賞を勝てるのでは?」と期待出来る馬がいた。

 シンリョクカだ。

 「オーナーと一緒に牧場を巡った際、下河辺牧場で当時まだ当歳のシンリョクカを見させてもらいました。動きがしなやかでバランスも良かったのでひと目惚れし、後に由井(健太郎)オーナーに購入してもらいました」

果敢にGⅠ路線を歩む

 2歳だった22年の夏に入厩したが、調教を強めると飼い食いが落ちた。仕方なく最低限の調教にとどめ、10月の新馬戦に出走した。

 「びっしり仕上げられなかったけど、ポテンシャルに期待してデビューさせました。私が薦めて購入してもらった馬なので、プレッシャーを感じ胃が痛くなり、薬を服用して観戦しました」

 するとシンリョクカは見事に勝利。竹内がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、オーナーから提言があった。

 「G Iの阪神ジュベナイルフィリーズに挑戦させてほしいと言われました。新馬で乗ってもらった吉田豊騎手がこの週は香港へ遠征するため、自厩舎の木幡初也を代打で推奨しました」

 ただし抽せん対象だったため除外されれば翌週の朝日杯フューチュリティS(GⅠ)で吉田に戻る予定だった。

 「結果、抽せんを突破したので初也で挑戦したところ、リバティアイランドの2着に健闘しました。それも上がりの競馬だった初戦とは一転してしのぎ合いになったのに頑張ってくれました」

 こうして期待を持って臨んだ翌23年のクラシック戦線は、鞍上を吉田豊に戻して挑んだが、桜花賞(GⅠ)は6着、オークス(GⅠ)では5着に敗れた。

 「もっとも決して悲観する競馬ではありませんでした」

オークス(GⅠ)は5着だったシンリョクカ
オークス(GⅠ)は5着だったシンリョクカ

勝てると信じた重賞でまさかのアクシデント

 しかし、秋初戦の府中牝馬S(GⅡ)も10着に敗れた。

 「続くエリザベス女王杯で再び初也を推奨したところ『阪神ジュベナイルで2着して賞金を加算出来たお陰でGⅠ戦線を使えているのだから良いでしょう』とオーナーに言っていただけました」

 再タッグ結成となったが、そのエリザベス女王杯(GⅠ)は9着に終わると、今年初戦となった日経新春杯(G II)も10着。それでもコンビ継続で臨んだ中山牝馬S(GⅢ)は好位から3着に粘り込む競馬でひと筋の灯りが差した。

 「やっとシンリョクカの力を発揮出来る競馬が見つかったと思いました」

 すると自走の福島牝馬S(GⅢ)を前に状態が良化。

 「勝てると思ってレースに送り出しました」

 その気持ちは道中の走りを見て確信に変わった。

 「向正面の手応えを見た時に『もらった!』と感じました」

 ところが次の刹那、思わぬ光景が目に飛び込んだ。3コーナー手前で前の馬に触れたシンリョクカが、もんどり打って転倒。木幡初也が馬場に投げ出された。

 「まさか……という感情しかありませんでした」

まさかのアクシデントに見舞われたシンリョクカ
まさかのアクシデントに見舞われたシンリョクカ

復帰して念願の重賞制覇からGⅠ挑戦

 不幸中の幸いな事に人馬共に命に別状はなかった。しかし、木幡は尺骨を骨折し、シンリョクカはき甲にヒビが入ったため、共に休養を余儀なくされる事になった。

 「シンリョクカは暫く鞍を置く事すら出来なくなりました」

 装鞍出来るまでに2カ月を要した。木幡もまた戦列復帰までに約2カ月半かかった。

 結果、約4カ月半後の9月1日、新潟記念(GⅢ)でついにコンビが再結成された。

 「夏の暑さを苦にしないし、秋を見据えてここから始動する事にしました。中間は自分で乗って反応を見たところ、妙におとなしかったので、初めて鞭を入れました」

 レース当日も「気性面の成長かボケているか判断がつかない」(竹内)くらいおとなしかった。

 その答えはシンリョクカが出してくれた。早目に先頭に躍り出た木幡初也とシンリョクカのコンビはセレシオンの末脚を封じ先頭でゴール。鞍上鞍下、そして調教師にとっても初めてとなる平地の重賞制覇を達成してみせた。

シンリョクカと竹内調教師
シンリョクカと竹内調教師

 「初也とレース前に話した通りの展開になったのでラスト50メートルではしのげると思いました。オーナーにとっても初めての重賞勝ちで凄く喜んでいただけたので良かったです」

 その後、短期放牧を挟んだシンリョクカは、今週末11月10日のエリザベス女王杯(GⅠ)に挑む。

 「初也を紹介してくれたオーナーは既に亡くなってしまったので、GⅠを勝って2人で墓前に報告しに行きたいです」

 自ら調教に跨る竹内は力強くそう言った。

エリザベス女王杯(GⅠ)でGⅠ初制覇を目指すシンリョクカと木幡初騎手
エリザベス女王杯(GⅠ)でGⅠ初制覇を目指すシンリョクカと木幡初騎手

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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