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「僕がジャニーズで、得たこと、悟ったこと」元ジャニーズNY在住27年の経営コンサルトに聞く第3回

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
photo/Takuya Yamauchi

第3回

NY在住経営コンサルタント、板越ジョージさんに聞く

「僕がジャニーズを辞めた理由」

photo/Takuya  Yamauchi
photo/Takuya Yamauchi

NY在住27年の経営コンサルタント、板越ジョージ

いったい何者なのだろうというくらい、様々な顔を持ち、

その時その時の時流に合わせて、世界を飛び回っている。

元ジャニーズという異色の経歴を持つ。

現在は、クラウドファンディングの日本での第一人者として、

『クラウドファンディングで夢をかなえる本』(ダイアモンド社)を発刊し、

今は株式会社クラウドファンディング総合研究所を立ち上げ、セミナーに奔走する。

その原点は、実はジャニーズにある。

NYの前に、自分の人生に大きな影響を与えたもの。彼が今まで語らなかった部分について、インタビューを試みた。

ジャニーズの世界に飛び込んで、学んだことは今に生きていると彼は語る。

Q 結局、ジャニーズは、何年やったんですか。

A 丸3年ちょっと。だから、僕がジャニーズを辞めた一つの理由として、やっぱり野望が渦巻いているところなんで、僕はこの中ではついていけないなと思ったんですよね。

Q ちょっと、おこがましいじゃないけど。すごいやる気のある中で、いつの間にかやっているという、申し訳なさもあったんですか。

A というかね、一つのポジションを狙って、争うわけじゃないですか。そしたら、やっぱり足を引っ張り合うようなこともね。人間くさい、足の引っ張り合いも中にはあるわけだし。

Q 男の嫉妬って大変っていうじゃないですか。でも、それって、よくある部活のレギャラー争いみたいな感じで、試合の前に転ばせるみたいな、わかりやすい意地悪もあるんですか。

A ありますね、やっぱりね。

Q はあ~。そういうのにも勝っていって、変な話、鬼にも蛇にもならないと上に上がっていけないと。厳しい世界ですね。

A というのを、子どもながらに感じて。だから僕は、ジャニーズ的なところでいうと、やっぱり鬼にはなれないなと。別にここで鬼になる必要はないなと。そこまで執着がなかったんです。

Q 実際、その3年間は、どれくらいの拘束具合だったんですか。もう、毎週末とか。

A とりあえず、毎週末だったし。夏休みなんか、ほとんど、合宿所に泊まっていたし。

Q 有名な、原宿の。

A はい。週末は泊まってました。土曜日学校が終わったら、合宿所に行って、翌日の朝に、みんなでレッスン場に行って。

Q レッスンって、どれくらいするんですか。

A いつも確か、13時くらいに始まって。3時間とか。それが普段のレッスンで。コンサートの前だったりすると、夜まで一日やったりしていましたし。

Q ご飯なんかは、どうしていたんですか。

A ご飯は、ジャニーさんが買ってくれたんで。

Q どういうものを食べていたんですか。

A 当時は子どもだったから、テレ朝でやった時には、みんなで、テレ朝の社食で食べたりとか。あとは、ジャニーさんが一万円くれて、当時は、ファーストフードもコンビニもあんまりなかったから、マックか、吉野屋、ケンタッキーみたいな。当時からすると、マック一万円、すげーっと思って。

Q それだけ全部食べていたんですか。

A いやいや、食べないから、お小遣いみたいなもんですよね。

Q そのレッスン費では、お金はもらえないんですか。

A もらえないですね。なぜかというと、普通は、レッスン費を習うほうが、払うじゃないですか。ジャニーズって、請求されないんで。普通は、事務所に入ると、劇団とかだと、入学金いくらとか、月謝いくらという感じじゃないですか。

Q じゃあ、登録料もなく、選ばれたという特待生なんですね。

A そうですね。だから、全部、一切お金は支払わなかった。交通費ぐらいで。

Q 基本、踊りですか。歌もやりましたか。

A ジャニーズは、歌はやらないですよ。デビューするまではね。

Q 選ばれた20人の共通点って、あるんですか。落ちた人と比べて、何が違うんですか。

やる気じゃないですよね。やる気がなくても、選ばれることもあるわけですから。

A 全部、ジャニーさんの勘じゃないですか。

Q 板越さんは、どういうポジションだったんですか。何系みたいな。

A 特に、そういうのは、明確にはないですけど。でも、ジャニーズって、よく言うように、

カッコいい人って、例えば、僕の時代だったら、モックンとか、あとの時代でいうと、キムタクとか。でも、ほとんど、そのグループの中に、カッコいい人って、一人くらいじゃないですか。あとは、まあまあ、そこそこだったりするじゃないですか。だから、実はジャニーズって、すっごい美男子を集めているわけでもなく、でも、味が出てくるんじゃないですか。

Q 今、思えば、その当時のジャニーさんくらいの年になっているかもしれないけれど、どこを気にいったんでしょうね。自分のどこが気に入られたと思いますか。キャラクターとして。何がよかったのか。純粋さとか、無欲な感じとか。何がよかったと思います?

A 運がよかったんじゃないですか。たぶん、みんな、運が良かっただけだと思いますよ。

Q でも、結局ついていって、3年くらいやって、どういう決断で辞めたんですか。

A 前、ジャニーさんがラジオで言っていたのは、ちょっと踊らせてみると、明らかにどんくさい人はわかると。かといって、僕が特別、運動神経にいいわけではないけれど、でも、まあ普通にこなすし。

Q 順応性があるというのが一番じゃないですか?

A だから、適当に踊れて、自分が美男子だとは思わないけど、でも、ぐちゃぐちゃじゃないと思うし。

Q まあ、だから、こなしていけるということですよね。

A だから、たぶん、無難(笑)。

Q 無難(笑)?

A そう、無難。背丈も顔立ちも。

Q でも、変な話、すぐにテレ朝来てくれと言われて、ええ~?? って感じのリアクションじゃあ、ついていけないでしょう? 急激なことに対応していかないと。

A 今、思うと、いろんなことを無茶ぶりされるけど、テレ朝来て、とか、すぐに武道館に立たされるとか。そういうものに対して、順応できる人というのかなあ。それはやっぱり、大人になっても思うのが、できる子っていうのは、順応しやすいし、頑固じゃない。

Q なるほど~、素直さがある。

頑固な子は、考える前にできませんって、言うじゃないですか。でも、とりあえず一回、やってみようと、順応してやっているところを見られているような気がしますね。その後、大人の世界に行っても、やっぱりカリスマ社長みたいな人に、けっこういろんな無茶ぶりされるけど。僕も実際、すごく無茶ぶりしていると思うけど、そこでやっぱり振り分けられているっていう。

Q 軸としてね。

A そう、できるか、できないかっていうのが。

Q 自分の中で、できない、と思ったら終わりですものね、成長が。

A 例えば、テレ朝来てください、ってなると、よくあるのが、「え、テレ朝ってどこですか?」とか、住所教えても、「何駅でどういったらいいんですか?」と聞いてくる子もいるじゃないですか。それってある意味、自分で調べればわかることなのに、それをすごく忙しい人に対して、言ってしまう。彼らの行程を増やしてしまうわけじゃないですか。

Q はいはい、わかる気がする。この話すごく重要ですね。ニューヨークの話にもつながりますね。

A 日本人は聞かないっていうけど、そういうことではなくて、ちょっと、自分で考えればいいことを聞いて、相手の手を煩わせる、行程数を増やすというのは。相手も面倒くさいから。

Q だったらもう、来なくてもいいよ、と極端な話、なってしまいますよね?

A うん。うん。

Q 要するに、反応がいいということですよね。言って、ぱっとやって、2、3回踊ったら、すぐできて。なんで行かなきゃいけないのとか、ごちゃごちゃ言うんではなくて、行くとなったら行くみたいな。

A あとは、体力があって、穴をあけない。

Q すぐ、倒れる人だと困りますしね。

A そうそう。来週、コンサートだよと言っても、「すみません、風邪ひいちゃいました」なんて言っていると、たぶん、二度と呼んでもらえないと思う。

Q ですね~。

A それを今になってわかったのは、僕が社長業をやった時に、来週イベントだよ、と言って、前日やその日になって、「すみません、風邪で行けません」ということを二回くらいやられたら、二度と頼まない気になっちゃいますよね。

Q だから結局、安心して任せられた人たちだけが残ったということですよね。

A ある意味、放置なんで。いつでも入れるし、いつでも辞めれるしという世界で。

Q という意味では、月謝を払ってます、行かなきゃいけないじゃなくて、いつでも辞められるわけだから、いつでも決断ができる。3年目にここに自分はいるべきじゃないと思えた。

A フェイドアウトするという。

Q それが何歳の時ですか。

A 高校生受験の3か月前に、高校受験すると決めて、一回ジャニーズをお休みして、高校受験が終わって、久しぶりに戻ってきた時、違和感を感じて。

Q どういう違和感ですか?

A うーん、やっぱり、その時にデビューするかしないか、という時期になってきていて。そうなった時に、果たして自分はこの先、どうするかということを考えた時に、自分がデビューするくらい、頑張ったほうが自分にとっていいのか、もしくは、このあたりでフェイドアウトしたほうがいいのかと考えた時に、フェイドアウトするのがいいんだろうなと思ってやめたという感じですね。ちょうどその時に、光GENJIの前身のイーグルスというのがデビューをする準備の段階で。僕が戻った時に、彼らのデビューや少年隊のデビューとかが決まっていた時で、なんとなく、自分たちの同期や先輩たちが僕がいない間にデビューするような時で。すごく、動いているな、早いなって感じがしましたね。

Q でも、それまで、3年間、毎週のように行って、習慣になっているのを、辞めるとなると、燃え尽き症候群じゃないけど、大丈夫でしたか?

A 逆に、3年間、普通の生活じゃなかったんで、普通の生活したい、と思っていましたね。

Q そういう人が、普通に戻れるんですか?

A だから、結局は戻れずに、今もNYでまだまださまよっているという(笑)。

Q なるほど~(笑)。僕がジャニーズを辞めた理由というのは、結局はなんだったんですか。ひと言で言うと。

A あそこで感じたのは、「使われる立場か、使う立場か」というところで。どちらかというと僕は、アイドルになって、とはいえ、誤解を恐れずに言えば、アイドルって使われている身分だと思うので、だったら僕は使う側のほうがいいなと。プロデュースとか。

Q 例えば、すでに売れている人たちを見た時に、消耗している感じとか、不自由さを感じたんですか?

A ここから、消耗するんだろうなと思って。

Q その狭間が高1くらいだったんですね。

A そこからは、社員になっていくわけだから。属していくわけじゃないですか。今まではずっと自由だったけど。

Q でもね、その決断って、例えば、3年間も下積みでやっていたら、少々何か思ってもやりたくなると思いますけど。

A だから、初めから、そこまでその世界に対しての思い入れがなかった。

Q でも、3年もやれば、少しぐらいは野望が芽生えるとか。

A いや、十分楽しんだんで。もう、これくらいでいいんじゃないかと。

Q 実際、今思って、その3年間は、自分の人生にとって、必要でしたか。

A 結局、あれがあって、今があるという感じがしますよね。だから、普通でいられないっていうのがありますよね。

Q 普通でいられない(笑)。変わり者の人生が。

A そう。普通でいられないというのは、その時からの培われたものだとは思っていますよ。

Q キャーとか言われたりとか、テレビ局行ったりとか、いつもエキサイティング、刺激がある状態っていうのが、普通に戻って、急に大丈夫でしたか?

A 高校3年間というのは、すごく遊びたかったから。

Q 何をしていたんですか。毎週末、ジャニーズでやっていた時間がぽっかり穴が空いたら。

A 高校3年間は、バイクとバンドと、サーフィン。

Q 王道ですね(笑)。じゃあ、女の子とも付き合ったりして。

A そうですね。

Q 解禁で。

A はい。それで、バイク、サーフィン、バンドやって、高校3年間、超謳歌して、このままでいったら、普通の人。むしろ、普通の人以下になっちゃうなと思ったんで。ここからは、いい大学に行かないといけないと思ったんで、勉強をし始めたんです。

Q 高3から?

A はい。

Q 普通の人以下というのは、どういうこと? 遊びすぎて、学校に行っていないとか、そういうことですか?

A 不良だったし。

Q その時、その時の時代の一番最先端を行っていますよね(笑)。

A そうですね。

Q ハイティーン・ブギが流行れば、ハイティーン・ブギ的な生活をするみたいな。

A そうですね、そうですね。バイクで、不良で、暴走族で、それがイケてて。サーフィンも流行っていたし。いわゆる、世の中のイケているものの最新はずっとやっていましたね。

Q ほんとですよね。

A それが、今まで、今もですね。つねに、日本の中では一番の流行をやっているという。

Q でも一番の波に乗るって、いろんな意味で風当りも強いし、失敗もするでしょ。それでも、落ちることもなく。いい感じのタイミングでパッと引くんでしょうね。頃合いを見て。どっぷりはまらないでね。

A ジャニーズもどっぷりはまらずに、いいタイミングで、辞めちゃって。

Q なんという、ズルい生き方なんですか(笑)。

A だから、一回、そこで、ある意味、挫折しているわけですよ。

Q ああ、そうか、そうですね。

A で、もう一回、僕はニューヨークにも行って、同じようにビジネスもインターネットが始まった時にやって、みんながインターネットを知らない時代に、しかもニューヨークで始めて、ばーっと、ホリエモンの前にバブって、でも、またそこで失敗して。そこからずーっと10年くらい暗黒だったけれど、また、新しい波が来て、3回目の。今、来てると。

Qすごいですよねえ。

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次回に続く

「僕がニューヨークを選んだ理由」

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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