世界とは異なるテレビを見せつけられている日本人
前回の「フーテン老人世直し録」に、安倍政権が前時代的な「放送法」を根拠に言論に圧力をかける実態を書いた。世界は多チャンネル時代を迎えていて、放送に対する考えもそれに伴い変化したが、安倍政権は放送電波が希少な時代の「公平の原則」を持ち出して言論を画一化しようとする。多様な言論を保証する時代に日本政府が逆行するのはなぜか。その歴史的経緯も書かなければならない。
多チャンネル時代が到来したのは70年代後半である。アメリカで有線のケーブルテレビ放送が普及した。電波には限りがあり地上波放送のチャンネル数は少ない。一方でテレビ受像機を買えば誰でもが放送を見ることが出来る。そのため放送事業者には「公序良俗に反しない」、「政治的公平を確保する」などの放送の制約が課せられる。
ところがケーブルテレビは加入すれば30以上のチャンネルがあり、ただし見るのは有料である。つまり本屋で本を選んで買うのと同じである。自分で選べるのだから中身に制約を課される必要はない。ケーブルテレビの魅力は地上波放送では出来ない事をやるところにあり、ポルノや宗教や政治のジャンルがコンテンツになりうる。
ケーブルテレビに次いで80年代には衛星放送が始まった。こちらは電波だがデジタル技術によって100チャンネルを超す放送が可能になった。こちらも有料放送であれば地上波のような制約を受ける必要はない。
そうした多チャンネル放送が始まった頃、アメリカでスリーマイル島の原発事故が起きた。そして地元の地上波局が「原発反対」の立場で放送した事が「公平の原則」違反と批判された。その時、女性の政治団体が異議を唱えて裁判を起こし、連邦最高裁は「公平の原則」は「言論の自由」に反するとの判決を下した。
チャンネル数が増えた時代に電波が希少であった時代の「公平の原則」を一律に押し付ける事は、憲法が保障する「言論・表現の自由」を侵すと判断したのである。連邦通信委員会(FCC)は1987年に「公平の原則」を撤廃した。これによって番組で必ず両論を取り上げる必要はなくなり、ただし反論があれば別の機会に反論を放送しなければならなくなった。
こうしたアメリカとは逆の道を歩んできたのが日本のテレビである。旧郵政省はまずケーブルテレビの普及を大幅に遅れさせ、衛星放送を優先させる方針を採った。そこで導入されたのがアメリカが打ち上げをやめ、世界のどの国もやっていないBS放送である。
BSはチャンネル数が少なくコストも高い。アメリカはデジタル技術によって100チャンネルを超す放送が可能なCSで衛星放送を始めた。ところが日本の中曽根内閣は日米貿易摩擦の解消を理由にアメリカが打ち上げなかったBSを買ってきてNHKに打ち上げさせた。
表向きの理由は離島にNHKの電波を届けさせる難視聴対策である。しかし背景にあったのは中曽根内閣の「戦後政治の総決算」路線だった。85年に日本は世界一の債権国となり、押しも押されもせぬ大国に上り詰めた。そこで中曽根内閣は被占領体制から脱却し、戦前の復活を目指す道を歩み出したのである。
まず狙ったのが占領軍によって解体された「同盟通信」の復活だった。「同盟通信」は大本営発表を流した戦前の国策会社であるが、同時に情報機関の役目も果たしていた。その役割をNHKに負わせるため、BS放送を利用してNHKの巨大化を図ったのである。この時BS用の番組制作のためと称してNHKは30以上の子会社を持つことが許された。
世界の放送が多チャンネルに向かう中、日本だけはチャンネル数の少ないBS放送に多くの世帯を加入させ、多チャンネルの主役であるCS放送やケーブルテレビの普及は後回しにされた。BS放送に参入できるのは地上波放送局と新聞社や大資本である。こうして既得権益は守られ、新規参入を排除して、その後に多チャンネル化しても、希少な電波で放送していた時代の「公平の原則」の考え方が継続されたのである。
もう一つ、日本のテレビが世界と異なるのは新聞とテレビの系列である。アメリカでは全国紙と全国ネットのテレビが系列化されることを禁じているが、日本ではすべての全国紙とテレビの全国ネットが系列化している。そのため新聞がテレビを批判し、テレビが新聞を批判する事はない。
さらに言えば、テレビが免許事業であるため、政府権力から免許取り消しの脅しをかけられると系列の新聞社までが脅しに屈する。この異常な形は朝日新聞社が教育専門の放送局であったNET(日本教育テレビ)を系列化し、総合放送局にするよう当時の田中角栄総理大臣に陳情した事から始まる。その結果、毎日新聞とTBS,日経新聞とテレビ東京の系列化が促され、新聞とテレビのもたれ合い関係が完成した。最近では東京新聞だけが政治権力に屈しない新聞社として評価されるが、それは系列のテレビ局を持たない強みから来ているのかもしれない。
そして自民党がテレビ局に露骨に口出しするきっかけを作ったのはテレビ朝日である。93年の総選挙で初めて自民党が野に下った時、テレビ朝日の報道局長が「政権交代をもたらしたのは田原総一朗と久米宏だ」とバカな自慢をして物議をかもした。それは全く政治を知らないテレビ人の妄想なのだが、これに怒った自民党はテレビ局の報道番組をすべてモニターしていちいちクレームをつける体制を取るようになった。それからは国民の見えないところで常時自民党からテレビ局にクレームが付けられている筈である。
今回、そのテレビ朝日の番組に対し、官房長官が「放送法」を振りかざして脅しをかけ、それにテレビ朝日が恭順の意を表したことが国民の目に焼き付けられた。それは常時行われている政治権力とメディアの関係が表出した一瞬の出来事である。ゲストコメンテイターが意識的に問題を顕在化させたことで国民は番組の裏側をのぞき見たが、一番組の特異なケースである訳ではない。日本のテレビが世界とは異なる仕組みと考え方を積み重ねてきた結果である事を日本人は知る必要がある。