五島列島の珊瑚と109年前の大きな海難
長崎県五島列島付近は、近年、中国漁船団の赤珊瑚の密猟が大きな問題となっており、10月18日にも五島列島沖の排他的経済水域(EEZ)内で海上保安庁が拿捕した中国漁船から珊瑚が見つかっています。
この海域では、今から109年前の10月22日に珊瑚をめぐって大きな海難が発生しています。
五島列島沖の珊瑚は明治時代の主要な輸出品
欧米では、珊瑚は地中海やハワイ近海など、限られた海域でしかとれず、しかも、血のように赤い珊瑚は特に希少価値か高く、神秘的なものとして珍重されてきました。
明治初期に五島列島近海で発見された赤珊瑚は、その色や質、採取量から「世界一の五島珊瑚」として名声をはくし、生糸や銅と並んで、日本の主要な輸出品となっています。
このため、西日本各地から五島列島沖に小さな手こぎ船が多数出漁し、無理をして操業を続けていたため、台風などによって全滅に近い遭難が繰り返されています。
明治38年と明治39年の海難
五島列島沖では、明治38年(1905年)8月7~8日に東シナ海を北上した台風により珊瑚船が大量遭難して219名が死亡するという海難が発生していますが、翌30年にはこれを上回る大きな海難が発生しています。
明治39年10月22日に台風が直撃し、死者・行方不明者1300名という大惨事が発生したのです。
中央気象台(現在の気象庁)が月毎に作成していた「気象要覧」には、次のような記述があります。
その後の五島珊瑚
五島珊瑚は、多数のベテラン漁師を失ったことに加え、乱獲で良質のものが減ったことから衰退し、漁民の一部はサンゴを求めてオーストラリアなどに散らばっています。
最盛期に比べれば衰退したとはいえ、五島列島近海は、現在でも珊瑚の産地にはかわりがありません。ただ、珊瑚の生育には長い時間がかかります。
貴重な珊瑚を守り続け、後世に引き継いでゆくのが現在の私たちの課題ではないかと思います。
図の出典:饒村曜(1996)、明治時代の台風と気象事業(2)、月刊誌「気象」、日本気象協会。