ベルト統一問題から考える、新日本プロレスの至宝「IWGP」の歴史
この春、IWGPの新しい歴史が始まる。新日本プロレスは3月1日の記者会見で、IWGP世界ヘビー級王座を新設し、初代王者に飯伏幸太を認定すると正式発表した。これは伝統あるIWGPヘビー級王座の封印を意味しており、発表以来、ファンの間からは反対意見が多く聞こえている。では、そもそもIWGPとはどうあるべきなのか?38年にわたる歴史を5つの時代に分けて解説したい。
壮大な計画で幕を開けた黎明期(1983年-1987年)
IWGPとは元々「乱立するベルトを一本にして真の世界一を決める」というコンセプトで生まれた大会であった。大会名をInternational Wrestling Grand-Prixの頭文字から、IWGPとしたのは、当時、新日本プロレスの通訳として活躍したケン田島による発案で、「世界統一」という夢にファンは胸を躍らせた。アルファベット4文字の語感と丸いベルトのデザインも良かった。提唱者であるアントニオ猪木は保持していたNWFヘビー級王座を返上して大会に臨んだわけだが、優勝はハルク・ホーガンに奪われてしまったのはよく知られた話である。この結末はさておき、王者になったホーガンが、直後にWWF(現WWE)ヘビー級王座を獲得したことで、IWGPの価値は見えにくくなってしまうのであった。また、大会規模としても、当初発表されていた海外サーキットが実現しなかったり、参加選手の顔ぶれが日本人選手中心になったりで、年に一度の開催は回を重ねるごとにスケールダウンしていったのである。
名勝負で築かれた繁栄期(1987年-1997年)
ファンの期待値がすっかり下がってしまったIWGPは、猪木の大会4連覇を機に通常のチャンピオンベルトになった。すなわち、IWGPヘビー級選手権の誕生である。初代王者である猪木の後を受け継いだ藤波辰巳(現藤波辰爾)を筆頭に、ビッグバン・ベイダー、サルマン・ハシミコフ、長州力、グレート・ムタ、橋本真也、武藤敬司、高田延彦とベルトを巻いた王者たちが試合内容で王座の価値をぐんぐん上げていく。とりわけ、1996年に初めて他団体に流出したベルトを橋本が新日本プロレスに取り返すという流れは間違いなく、IWGPの株を上昇させた。橋本は第16代王者として9回の防衛記録を樹立し、「IWGPイコール橋本」のイメージが定着。団体が増えたことも影響し、相対的にIWGPの価値が上がったのであった。
多難を迎えた混迷期(1997年-2005年)
価値の高まったIWGPのベルトは、橋本真也の第19代王者時代にリニューアルされた。この2代目ベルトは、橋本の後に佐々木健介、藤波辰爾、蝶野正洋、スコット・ノートン、武藤敬司、天龍源一郎らへと続いたものの、総合格闘技に転向した藤田和之が、第29代王者となってから話はややこしくなる。藤田は「今のIWGPには闘いがない」と発言、初代ベルトを持ち出し、猪木ゆかりのNWFヘビー級王座も復活させたからだ。この時期のIWGPは過去のプロレスのみならず、総合格闘技、他団体と「外圧」によって価値を問われる。そして、安田忠夫、永田裕志、髙山善廣、天山広吉、中邑真輔、ボブ・サップと、ベルトの持ち主が移り変わる中で、第40代王者の天山が三冠ヘビー級王者の小島聡とのダブル選手権試合で敗れてしまう大事件も起きてしまう。
権威失墜の暗黒期(2005年-2008年)
IWGPの多難はまだ終わらない。第43代王者の藤田和之に新しい3代目ベルトが与えられたのも束の間、藤田に代わって王者になったブロック・レスナーの出場は少なく、不在のことが多かったからだ。さらに、レスナーは防衛戦をキャンセルした上、他団体でカート・アングルにベルトを譲渡。本来、IWGPを管理すべき新日本プロレスにベルトがないという異常事態が続き、第45代王者の棚橋弘至をはじめ、チャンピオンは2代目ベルトを代用する羽目になったのであった。
多角化を迎えた平和期(2008年-2021年)
長い混乱が収束したのは、第48代王者の中邑真輔が3代目ベルトを持つアングルとの統一戦を制してからだ。新しく作られた4代目ベルトを腰に巻いたのは、中邑から他団体の武藤敬司を挟んで、棚橋弘至、中西学、真壁刀義、小島聡、オカダ・カズチカ、AJスタイルズ、内藤哲也、ケニー・オメガ、ジェイ・ホワイト。やはり、彼らが試合内容でベルトの価値を上げていったのである。特に棚橋とオカダが最多防衛記録を更新したことで、「かんたんには獲れないベルト」のイメージが定着した。また、インターコンチネンタル王座、USヘビー級王座の新設など、IWGPのブランド化が進んだのもこの時代の最大の特徴である。第70代王者の内藤は、初めてインターコンチネンタル王座との同時戴冠を達成。以降は、EVIL、飯伏幸太とベルトは2本同時に動いてきたのは記憶に新しい。
さて、ここまで読んでいただければ、IWGPとは、変化と混乱の繰り返しであることを理解してもらえるはずだ。
今回の世界ヘビー級王座新設によって、73代まで続いた歴代王者が途切れること、最多防衛記録がリセットされること、何より、猪木から始まるベルトを手放すことを残念だと感じるファンの気持ちは、筆者も十分に理解できる。しかし、IWGPの理念は伝統とは正反対だし、改称については1976年のNWA総会によってベルトから「世界」の2文字を削除された苦い経験を持つ新日本プロレスが「世界」を取り戻したと考えることもできる。また、「International(国際)」と「World(世界)」は重複だと指摘する声もあるようだが、かつてはIWA世界ヘビー級王座が存在したし、ボクシングにはIBF世界ヘビー級というタイトルも存在するわけで、けっして矛盾はしていない。
初代王者の飯伏幸太は38歳。偶然にも猪木がNWFヘビー級王座を封印したときの年齢と一致する。飯伏には「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という猪木の言葉通り、自分の信じた道を突き進んでほしい。過去の歴史が示す通り、IWGPはおとなしく飾られる宝ではない。仮にチャンピオンの力量が物足りないとなったら、封印されたベルトが姿を現わす可能性もあり、巻いた人間はおのずと過去と闘わざるを得ないのだ。IWGPヘビー級王座に愛着のあるファンを納得させるには、自らの試合内容で見せるしかない。会見の3日後に行われたエル・デスペラード戦を見た限り、それは十分に可能だと感じた。
それにしても、旗揚げ50周年を待たずに団体の看板を新しくする姿勢は、実に新日本プロレスらしい。かつてのような外圧がなくなった今、内圧から生まれ変わろうとしているのだ。新しいファンも、今なら歴史の入り口に立つことができるチャンスだ。もうすぐ完成するというIWGP世界ヘビー級のベルトは4月4日、両国国技館でお披露目される。
※文中敬称略