【チョコレートの歴史】ヨーロッパ人、カカオと遭遇する!泡立つ飲み物に戸惑いながらも味を知る
コロンブスの最後の航海のさなか、1502年8月15日、遠征隊はホンジュラス湾で巨大なカヌーに出くわしました。
そのカヌーにはマヤの交易品が山と積まれ、目に見慣れぬカカオ豆もちらほら。
豆が一粒落ちたときの乗組員の慌てぶりを見たスペイン人は、「この豆、ただ者ではないぞ」と直感したものの、彼らが飲み物の原料と気づくには時間が必要でした。
20年後、エルナン・コルテスがモクテスマ2世の宮廷でチョコレートに出会います。
アステカ王の好物であったその飲み物は泡立ち、彼の地位の象徴でした。
カカオは貢物や飲料の原料としてアステカ支配下の住民から集められたのです。
スペイン人がこの新奇な飲み物に魅了されるのには少し時間がかかりました。
特に泡は不快で、豚の餌にすら劣ると一部の訪問者が評するほどでしたが、やがて味を覚えるようになったのです。
メキシコ中部を征服したスペイン人は、カカオ生産を増やしながら貢物としての価値を重視しました。
エンコミエンダ制での強制労働を通じ、植民地支配はカカオの経済的役割を拡大させます。
しかし、先住民の人口が激減するにつれ、労働力を補うべくアフリカから奴隷が導入され、エクアドルやベネズエラで質の異なるカカオが栽培されるようになりました。
スペイン人はその後も泡立てを木製の道具で改良し、温かく甘いチョコレート飲料を自国風に仕上げました。
修道女たちは固形の甘いチョコレートを販売し、彼らの創意工夫は社会的にも経済的にも成功を収めます。
こうして、カカオ豆がヨーロッパの地に根付き、泡立つ飲み物はスペインの食文化に深く溶け込んでいったのです。
ソフィー・D・コウ&マイケル・D・コウ著、樋口幸子訳(1999)『チョコレートの歴史』河出書房新社