Yahoo!ニュース

人々と暑さとの戦い、冷房の歴史

華盛頓Webライター
credit:pixabay

夏の暑さは昔から問題になっており、人々はそれを乗り切るために様々な知恵を絞ったり、新しい機械を開発したりしていました。

この記事では、人々が夏の暑さを乗り切るためにどうしてきたのかについて紹介していきます。

風や氷を使って夏を乗り切っていた古代の王族

credit:pixabay
credit:pixabay

さて、古の賢者たちが織りなす「涼しさ追求の旅路」とは、実に壮大なものです。

エジプトの大地にそびえるピラミッド、その影で奴隷たちは巨大な壺を扇ぎ、壺の外にしみ出た水が蒸発し、まるで魔法のように冷たさが生まれるのをじっと見守っていたといいます。

風が吹くたびに、砂の中に微かな涼しさが漂う光景を想像してほしいです。

そして、インドの夜。浅いくぼみに満ちる水は、天の星々と交わり、朝には氷となって人々を驚かせました。

まるで神秘的な儀式が毎夜繰り広げられていたようです。

アリストテレスも負けてはいません。

彼は素焼きの壺に沸騰した水を入れ、夜の冷気で冷やし、それを翌日まで維持するという、哲学的な冷房術を編み出していたのです。

時が流れ、ローマやバグダッドの豪奢な庭園では、雪や氷が大いに使われました

雪を運ぶラクダ、氷塊を仰ぐ奴隷たち—まさに涼しさへの飽くなき探求であったのです。

それでも、すべてはエーテルと機械の力で変わっていきます。

こうして、現代の涼しさが始まったのです。

世界を一変させた冷房の発明

credit:pixabay
credit:pixabay

かつて、アメリカの19世紀末、人々は冬の寒さから逃れるため、温風暖房を駆使していたものの、その技術はある種の予感を孕んでいました。

「夏でもこれを使えば部屋を冷やせるんじゃないか?」と、誰もが考えることを、先人たちは着実に形にしようとしていたのです。

例えば、1880年、ニューヨークのレノックス劇場では、井戸水を暖房コイルに通し、館内の空気を冷やしました

この井水冷房こそ、世界初の冷房であったものの、その後の冷房の歴史は、氷を使った冷却法にすぐ取って代わられることになります。

マディソンスクエアガーデンやアメリカ大統領の病室では、夏の暑さに立ち向かうため、氷のブロックが送り込まれ、風とともに冷気が広がっていきました。

まるで氷の魔法使いが、夏の空気に涼風を呼び寄せたかのような風景が思い浮かびます。

だが、氷冷房の道は決して平坦ではありませんでした。

莫大なコストと労力がその背後にあり、氷の搬入だけでも一大事業だったのです。

そのため、いつかもっと効率的な冷房が必要だという声が自然と湧き上がりました。

そこで、冷凍機の登場です。

19世紀末に登場したこの冷却装置は、氷のコストや手間を減らし、しかも一度導入すればランニングコストが低いため、多くの施設に普及していきました

特にカーネギーホールやニューヨーク株式取引所など、アメリカの名だたる施設が次々とこの新しい冷房システムに切り替わったのです。

冷凍機の恩恵を受けた場所では、以前には考えられなかったほどの快適さがもたらされました。

ここで、重要な名前が登場します。

ウォルフという技術者が、その先駆けとして冷房技術を牽引したのです。

彼はカーネギーホールに氷冷房を設計し、その後のニューヨークの各施設でも次々と冷房を導入しました

ウォルフの技術は、やがてクレーマーという後継者に引き継がれ、ついに「エア・コンディショニング」という言葉が生まれるまでに至ります。

しかし、我々が今日享受する空調の基礎を築いたのは、ウィリス・キャリアです。

1902年、彼はニューヨークの印刷工場で湿度を調整する技術を求められました。これが、空気調和技術の始まりとなったのです。

湿度の変化で紙が伸び縮みし、印刷がうまくいかないという問題に直面したキャリアは、その解決策として空調技術を開発し、以後その技術は工場のみならず、家庭や公共施設にも普及していきました。

こうして、私たちはついに「夏でも涼しい部屋」という夢を現実のものにしたのです。

それは単なる贅沢ではなく、人間の知恵と技術の結晶であり、過去の努力が今も私たちの生活を支えていることを忘れてはいけません

参考文献

辻原万規彦:住環境調整の歴史(その4)「冷房の歴史」熊本県立大学講義録 住環境調整工学第五回目, 2004.5

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

華盛頓の最近の記事