江戸へと連行され軟禁された宣教師、シドッチの軌跡
江戸時代、日本は鎖国体制を敷いていたこともあり、西洋との交流は一部を除いてほとんどありませんでした。
しかしそのような中でも日本への密航を試みた宣教師がおり、彼の名前はシドッチです。
この記事ではシドッチが役人に捕まってから江戸に送られるまでの軌跡について取り上げていきます。
江戸の軟禁施設に送られたシドッチ
時は江戸時代、長崎の町を静かに揺るがす一つの出来事が起りました。
シチリアの神父ジョバンニ・バッティスタ・シドッチが、異国の風を連れて日本の土を踏んだのです。
彼はキリスト教の教えを広めようと密かに来日したものの、あっけなく捕えられてしまい、その身柄は江戸へ送られることとなります。
幕府の命により、シドッチの尋問を担当することになったのは、長崎の名通詞、今村源右衛門とその弟子たちだったのです。
しかし、彼らが江戸に向かう道中、ひとつの不安が胸に渦巻いていました。シドッチの異国語を果たして十分に理解できるのか。
商館長ダウも、彼自身のラテン語力に自信を持てず、同行を断ってしまったほどです。
シドッチが江戸に到着すると、彼はそのまま「切支丹屋敷」へと収容されました。
将軍に面会することもなく、そのまま生涯をそこで過ごすだろうと噂されたのです。
しかし、運命の糸は不思議な形で絡み合い、シドッチは幕府の重鎮、新井白石と出会うことになります。
新井はこの異国の神父から多くを学び、彼との対話を通じて日本の知識に新たな風を吹き込みました。
新井の著した『西洋紀聞』や『采覧異言』は、西洋の文化や思想を日本に伝える重要な橋渡しとなり、幕府内でも高く評価されたのです。
この出会いの背後には、将軍家宣との関係がありました。新井は将軍家に仕え、学問を教えていたのです。
シドッチが長崎に到着したことを知った家宣は、新井にその謎を問いかけました。
「なぜ日本語ができない神父が、こんな遠い国にまで来たのか?」と。
しかし新井は、その問いに明快に答えました。
彼は、日本語の知識を持ちながらも古風な言葉を用いていたシドッチを理解し、尋問を通じて彼の真意に迫ろうとしたのです。
こうして、異国の神父と日本の知識人が出会った瞬間、西洋と東洋の知識が交錯し、歴史は静かに新たな頁をめくり始めたのです。
参考文献
泰田伊知朗(2022)『ラテン語受容史における切支丹屋敷』観光学研究 21号