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【茶の歴史】皇帝もお茶を楽しんでいた!明や清の時代はどのようなお茶を飲んでいたの?

華盛頓Webライター
credit:unsplash

茶の歴史における明と清の時代を旅することは、茶葉の運命を語る壮大な物語に触れることです。

明代、太祖洪武帝は団茶、すなわち贅沢の象徴たる抹茶の進貢を廃止し、葉茶の時代を開いたのです。

労働を重んじる帝の性格がこの変革を促したといいますが、釜炒り法の導入が青臭さを和らげ、庶民の嗜好にも合致した結果と言えるでしょう。

清代に入ると、茶はさらに多様な物語を紡ぎます。

夏には龍井、冬には普洱茶が宮廷を潤し、乾隆帝の詩にもうかがえるように、茶は江南の風味を皇室にもたらしたのです。

普洱茶は玉泉山の水で煮られ、乳酪と共に楽しまれるという、まさに宮廷の粋が込められていました。

この中国茶の文化がヨーロッパに渡ると、そこには別の冒険が待ち受けます。

高価な緑茶の需要を背景に、18世紀には紅茶が脚光を浴び、福建の工夫茶がその象徴となったのです。

やがて産地は拡大し、安徽省では祁門紅茶が誕生します烏龍茶も安渓を経て台湾へ広がり、その名を世界に知らしめました。

しかし、清の輝きもアヘン戦争を境に翳りを見せます。

広州一港政策が茶貿易を一手に収めた一方で、英国との摩擦は避けられませんでした

輸出超過を補うべくアヘン密貿易が進み、戦争を招いた末に南京条約が締結されます。

英国は香港を拠点とし、中国の茶市場を支配しようと画策したのです。

そして最後に訪れた転機が、ロバート・フォーチュンの冒険です。

彼が中国の茶樹をインドへ移植したことで、インドやスリランカが新たな茶の中心地となり、中国茶は市場の王座を降りました

こうして、茶の旅路は世界を巡りながら、今もなお人々を魅了し続けています。

参考文献

ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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