【茶の歴史】皇帝もお茶を楽しんでいた!明や清の時代はどのようなお茶を飲んでいたの?
茶の歴史における明と清の時代を旅することは、茶葉の運命を語る壮大な物語に触れることです。
明代、太祖洪武帝は団茶、すなわち贅沢の象徴たる抹茶の進貢を廃止し、葉茶の時代を開いたのです。
労働を重んじる帝の性格がこの変革を促したといいますが、釜炒り法の導入が青臭さを和らげ、庶民の嗜好にも合致した結果と言えるでしょう。
清代に入ると、茶はさらに多様な物語を紡ぎます。
夏には龍井、冬には普洱茶が宮廷を潤し、乾隆帝の詩にもうかがえるように、茶は江南の風味を皇室にもたらしたのです。
普洱茶は玉泉山の水で煮られ、乳酪と共に楽しまれるという、まさに宮廷の粋が込められていました。
この中国茶の文化がヨーロッパに渡ると、そこには別の冒険が待ち受けます。
高価な緑茶の需要を背景に、18世紀には紅茶が脚光を浴び、福建の工夫茶がその象徴となったのです。
やがて産地は拡大し、安徽省では祁門紅茶が誕生します。烏龍茶も安渓を経て台湾へ広がり、その名を世界に知らしめました。
しかし、清の輝きもアヘン戦争を境に翳りを見せます。
広州一港政策が茶貿易を一手に収めた一方で、英国との摩擦は避けられませんでした。
輸出超過を補うべくアヘン密貿易が進み、戦争を招いた末に南京条約が締結されます。
英国は香港を拠点とし、中国の茶市場を支配しようと画策したのです。
そして最後に訪れた転機が、ロバート・フォーチュンの冒険です。
彼が中国の茶樹をインドへ移植したことで、インドやスリランカが新たな茶の中心地となり、中国茶は市場の王座を降りました。
こうして、茶の旅路は世界を巡りながら、今もなお人々を魅了し続けています。
参考文献
ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社