【茶の歴史】庶民もお茶を楽しんでいた!宋の時代のお茶の文化について
かつて唐の世、陸羽という一人の男が茶の世界に革命を起こしました。
彼の名前は茶文化史に燦然と輝き、その功績は『茶経』なる一冊の書に凝縮されています。
この陸羽、ただの茶好きにありません。
安史の乱を逃れて浙江省の呉興にたどり着いた彼は、名茶を求めて諸国を巡り、詩文を通じて多くの文人と交わりつつ茶の本質を探求したのです。
そして彼はこう宣言した――「茶は南方の嘉木なり」と。
当時、茶の形状は多様でした。くず茶、葉茶、餅茶、そして抹茶とも呼ばれる末茶。その中でも抹茶が主流だったらしいです。
陸羽によれば、山陰にひっそり育つ野生の茶が最高で、陽光を受けた山斜面の林に生える紫色の笋形の茶葉が最上だといいます。
特に湖州顧渚山の「紫笋茶」なるものが最上級とされ、貢茶として皇室に献上されたというのだから、茶もまた王侯貴族の寵愛を受ける存在だったのです。
しかし茶はただの高貴な趣味にとどまりませんでした。
建中3年(782年)には茶への課税が始まり、これが庶民の間にも茶文化が広がる契機となったのです。
時代が宋に移ると、茶はさらなる進化を遂げます。
茶葉を研いで粉にした「研膏茶」が登場し、皇帝への献上品として「竜鳳茶」なる高級茶が作られました。
福建北部の武夷山では「武夷岩茶」が生まれ、岩場で育つこの茶は最上級の珍品として珍重されたのです。
さらに宋は茶を専売品とし、チベットや北方のモンゴルといった異民族への交易品としました。
肉食中心の彼らには茶がビタミンCの供給源として不可欠だったのです。
こうして茶は国境を越え、文化の橋梁となり、嗜好品から必需品へと変貌を遂げました。
茶の葉一枚に込められた歴史の深さを思うと、一煎の茶にもまた、唐や宋の気風がそっと漂うように思われるではないでしょうか。
参考文献
ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社