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イヌの顔に浮かんだ「表情」が理解できますか

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:アフロ)

 イヌが家畜化されたのは数万年前(4万年前〜1万2000年前)とされているが、ヒトという社会的な生物と共同生活する以上、彼らもまた社会的なコミュニケーション能力を獲得したはずだ。もともとイヌ科には社会的な生物が多い。ヒトとイヌが一緒に暮らすことは、ネコよりもスムーズに行われたと考えられる。

もちろんイヌにも表情がある

 家畜化される過程でイヌはヒトの合図などに対する感受性を磨いただろうし、イヌ特有のヒトに対する感情表現も備えていったはずだ。イヌは飼い主の表情をよく観察し、その言動に注意を払い続けている。これは当然だがオオカミにはない能力だ(※1)。また、イヌは飼い主が好きなもの嫌いなものにはとても敏感だが、好きなものにより強く反応する(※2)。

 ノルウェーのドッグ・トレーナー、ツリッド・ルーガス(Turid Rugaas)は、イヌのボディランゲージを「カーミング・シグナル(Calming signals、穏やかな信号)」と名付けた(※3)。それによれば、イヌはヒトとコミュニケーションするために30種類ほどのシグナルを送っている、と言う。

 イヌには「表情」とも言うべきシグナルもあるように思えることがある。実際、イヌはオオカミとは違った、解剖学的にどちらかといえば霊長類に近い顔面筋肉を独自に発達させてきたようだ。例えば、イヌの顔面筋肉には疲労しにくい遅筋(Slow-Twitch)繊維がオオカミより多いため、同じ表情を長く保つことができる、と考えられている(※4)。

 また、我々ヒトのほうもイヌの表情をよく読み取ることができるらしい。イヌの表情を読むことに長けたドッグ・トレーナーによって様々なイヌの表情写真を選んでもらい、それを基準にしてイヌに慣れたグループと慣れていないグループでどう評価するか比べた実験(※5)では、どちらのグループもイヌの感情表現を写真から評価することができた。

 ただ、イヌに慣れているグループは慣れていないグループよりも正確性に欠け、イヌの表情を読むことに消極的な傾向にあるようだ。イヌに慣れていないヒトは、イヌの感情表現に敏感なのかもしれない。この実験をした研究者は、ヒトの表情研究の第一人者である米国の心理学者ポール・エクマン(Paul Ekman)の理論が、ヒト以外の生物、イヌにも応用できることがわかった、と言っている。

イヌはもっとコミュニケーションしたがっている

 そんなイヌの表情だが、イヌはヒトとのコミュニケーションに表情を積極的に使っているのではないか、という論文が英国の科学雑誌『nature』の「Scientific Reports」に出た(※6)。英国ポーツマス大学の研究者は、イヌの表情がヒトの行動に応じて作られているかどうかを調べた、と言う。

 実験者がイヌに顔を向けているか背を向けているかという条件、食べ物を持っているかいないかという条件を組み合わせた合計4つの状況を用意し、イヌがそれぞれの状況でどんな表情を作るかをビデオカメラで記録し、それぞれの表情を解析した。その結果、実験者がイヌに顔を向けているときのほうが、実験者がイヌに背を向けているときよりイヌの顔の動きが有意に活発になった。一方、食べ物を持っているかどうかは表情に影響を及ぼさなかった。

 つまり、ヒトの顔が見えている場合、イヌも表情を豊かにしたが、食べ物の有無とイヌの表情とは関係がない、ということになる。研究者は、イヌがヒトとコミュニケーションを取ろうとして顔の表情を作り、ヒトと対面しているかどうかで表情を作る頻度が高くなるのではないか、と考えている。

 ネコやウマにはフレーメン(Flehmen)という上唇をめくり上げる生理反応があるが、これはフェロモンの受容器官である鋤鼻器(ヤコブソン器官)を空気にさらすことを目的にし、笑っているように見えるのは錯覚だ。霊長類以外の生物の表情は無意識に生じる不随意筋の反射であり、柔軟性のない情動反応が現れたものに過ぎない、とこれまで考えられてきた。

 だがこの論文によれば、イヌの表情はより柔軟なシステムであり、イヌの「喜怒哀楽」のような情動反応とヒトの存在に対する認知機能のようなものとの組み合わせ、ということが示唆される。イヌは自分の感情をある意志を持って表情に表すことができることを明らかにした、と研究者は主張しているが、尻尾を見ればイヌがどんな気持ちかわかることもある。

 ヒトもイヌも社会的な生物だし、言語を介さずとも表情や尻尾などでノンバーバルな感情表現は可能だ。実は両者のコミュニケーションはもっと密接で複雑なものなのかもしれない。これからはイヌの表情を注意深く観察し、もっとコミュニケーションを取ったほうがいい。

※1:Adam Miklosi, et al., "A Simple Reason for a Big Difference: Wolves Do Not Look Back at Humans, but Dogs Do." Current Biology, Vol.13, Issue9, 2003

※2:B Turcsan, et al., "Fetching what the owner prefers? Dogs recognize disgust and happiness in human behaviour." Animal Cognition, 18(1):83-94, 2015

※3:Turid Rugaas, "On Talking Terms with Dogs: Calming Signals." Dogwise Publishing, 2005

※4:Anne Burrows, Rui Diogo, Bridget Waller, Juliane Kaminski, "Variation of Facial Musculature between Wolves and Domestic Dogs: Evolutionary Divergence in Facial Movement." The FASEB Journal, Vol.31, No.1, 2017

※5:Tina Blooma, Harris Friedman, "Classifying dogs’ (Canis familiaris) facial expressions from photographs." Behavioural Processes, Vol.96, 1-10, 2013

※6:Juliane Kaminski, Jennifer Hynds, Paul Morris, Bridget M. Waller, "Human attention affects facial expressions in domestic dogs." Scientific Reports, doi:10.1038/s41598-017-12781-x, 2017

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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