RIZIN浅倉カンナは「最高の格闘技人生でした」女子格闘家たちは引退で何を語ったか?
9月28日(日)、さいたまスーパーアリーナで格闘技イベント『RIZIN(ライジン)』が開催され、第7試合では2016年に19歳でRIZINに初参戦して以来、RIZINの“顏”のひとりとして活躍した浅倉カンナ(26=THE BLACKBELT JAPAN)が引退試合を行った。
対戦相手である現RIZIN女子スーパーアトム級(-49Kg)王者の伊澤星花(26=Roys GYM/JAPAN TOP TEAM)は、2020年10月のデビュー以来13連勝中。「この階級に敵なし」と言われる絶対王者を最後の相手に選んだ浅倉は、RIZIN女子を盛り上げてきた意地を見せ、最終3ラウンドには執念の鉄槌を振り下ろす場面も見せたが、判定0-3で最後の一戦を終えた。
試合後に行われた引退セレモニーでは、「長くなってすみません」と恐縮しながらも、ジムの会長や仲間、スポンサー、支えてくれた人々へ、あふれる感謝を丁寧に伝えた。なかでも家族に向けた言葉には、家族だけが知る苦悩や強い絆が伺い知れ心に残った。
「お父さん、天才とも才能があるとも言われたことがない私を、諦めずに強くしてくれてありがとう。お母さん、何があっても、どんな時も味方でいてくれてありがとう」。兄と弟、妹に向けては「強い部分も弱い部分もたくさん見せてきたけど、いつも一番の応援団でいてくれてありがとう」。そして、最後に「最高の格闘技人生でした。ありがとうございました」という言葉でマイクを置いた。
引退の言葉から、その選手の人柄や格闘技との向き合い方が垣間見えることがある。試みに、これまで印象に残った女子格闘家たちの引退の言葉を、一部だが集めてみた。
同じRIZINのリングでは、昨年2023年の大晦日にMMAファイターとしてのキャリアを終えた山本美憂(49=当時。以下同)が記憶に新しい。今回の浅倉と同じく伊澤星花と対戦したが、2ラウンド開始早々にリアネイキッドチョークによる一本負けに終わった。「勝ってリングを下りるつもりだった」と、悔しさと茫然自失を足したような表情で話し出した山本だが、これだけは言おうと決めていたとして、こんなメッセージを残した。
「(試合の)終わり方と一緒で、私は戦歴的には本当に良くなかった。それにも関わらず、RIZINの皆さん、ファンの皆さんが変わらず応援してくれて。こんな幸せなアスリートはいないと思っています」
格闘家でもファイターでもなく「アスリート」の言葉を自然と選んだところに、少女時代からアマレス世界女王としてその名を馳せた山本美憂らしさ感じた。
20年前の記憶をたどる。2004年11月、女子総合格闘技イベント『スマックガール』後楽園ホール大会で久保田有希(30)が東京でのラストマッチに臨んだ。170cm・60Kg超級の体格、全日本クラスの柔道の実績で日本の女子中量級をけん引した久保田は、米国強豪アマンダ・ブキャナーを対戦相手に選ぶも、2ラウンド早々に膝十字を仕掛けられた瞬間、左膝が外れ痛みに悶絶。それでも試合後、メインイベンターの務めとしてマイクを握った。
「一生懸命練習してきたけど、相手は強かった。どれだけ練習したら、もっと強くなれるのか…」
この問いを、いったい自分に何度投げかけたきたのだろう。
絞り出すようなその吐露から5ヵ月後の2005年4月、久保田は故郷の静岡で引退試合に臨んだ。選んだ相手は前回をさらに上回る強豪中の強豪、オランダのマーロス・クーネンだった。この一戦でも2ラウンドに記憶を飛ばすほどの右ストレートでKO負けを喫したが、マイクを握る頃には晴れやかな笑顔を浮かべ、これからもリングに上がり続ける女子格闘家たちに向けて、こんなメッセージを残した。
「格闘技は楽しいことばかりではなかったけど、今ではすべてが楽しいと思えます。皆さんもこれからつらいと思うけれど、格闘技を始めた頃の自分の気持ちを思い出して、頑張ってください」
RIZINにも出場経験を持つ第6代DEEP JEWELS(ジュエルス)アトム級王者の前澤智(32)は、言葉にも力を持つ王者だった。2020年10月の『 DEEP JEWELS』で青野ひかるから逆転のギロチンチョークを奪い、引退試合にして王座防衛を果たした前澤。忘れがたい試合に添えた言葉もまた、それにふさわしいものだった。
「格闘技は私にとってたったひとつで、でも私の人生の全部でした。格闘技は私に楽しいことも苦しいことも教えてくれたし、奪っては、奪っては、それ以上のものを与えてくれました。これからは人生という戦いの場で、時にファイターとして 時に誰かのセコンドとして頑張っていきたいと思います」
プロボクシング元WBO女子世界アトム級王者の池山直(なお・53)は2021年10月、大阪市内の会場でグロープを置いた。公務員とプロボクサーの二刀流を貫いた池山。47歳9か月での王座防衛も、53歳まで現役を続けたのも、もちろん男女を通じて最年長記録だった。
現世界王者と2ラウンドのスパーリングをを行い、変わらぬフットワークで沸かせたあと、池山はマイクを握り穏やかな口調で「戦い続けた理由」を語った。
「デビューしたのは2003年。上村里子(かみむら・さとこ)選手と戦ったのが最初でした。上村選手を始め、リングに立ちたくても立てない方々のために頑張ろうという思いと、支えてくださった皆さんのおかげで今まで続けることができました」
上村とはデビュー戦同士の対戦だった。意地のぶつかり合いを制したのは池山だったが、以降は女子プロボクシング不遇の時代を生き抜いた戦友として絆を深めた。不慮の事故により現役のまま38年の人生を終えた上村選手の分まで。1人分ではなかったから、長い、長いプロボクサー人生になった。
引退の言葉からはその選手の人柄や、「なぜ戦うのか」という問いへの答えが垣間見えることもある。