今こそ見直すべきか。戦国時代における自然由来の女性の髪の手入れ法
昨今、ストレス社会を反映してか、女性の間でも薄毛に悩む人が多いと聞く。戦国時代は今のように化学物質がなかったと思われ、自然由来のもので髪の手入れをしていたので、紹介することにしよう。
ポルトガルからやって来た宣教師のフロイスは、著書の『ヨーロッパ文化と日本文化』の中で戦国時代の女性の髪の手入れ法を紹介した。フロイスによると、日本人女性は黒髪を愛し、そのための努力を惜しまなかったという。
日本人女性は中剃といい、頭の中央部を剃り、髷を作るときの台とする小枕を頭にあてていた。しかし、ヨーロッパの女性は、現代人のように櫛を使って、髪の分け目を作っていたので大きな違いである。
ヨーロッパの女性の髪は、芳香性のある香料で良い香りをしていた。ところが、日本の女性の場合は悪臭を放つ油を用いていたので、フロイスは強い嫌悪感を示した。
この油の正体は髪の毛の乾燥を防ぎ、綿に丁子(ちょうじ)油を浸したものである。日本では他に、どのような頭髪用の油を使っていたのだろうか。
戦国時代の頭髪用の油としては、胡麻油、椿油、くるみの油が使用されていた。特に、胡麻油には特有な匂いがあったため、近世になって女性が結髪をするようになると、くるみの油が好まれたようである。
おそらく、宣教師らは胡麻油に香料が混じっていなかったので、悪臭を放ったと感じたのかもしれない。とはいえ、日本人はあまり気にしなかったのだろう。
日本の女性はさまざまな油を用いた効果があり、かなりの高齢になっても頭髪が黒々とし、白髪になることは少なかったようである。逆に、ヨーロッパの女性は相応の年齢になると、白髪が目立つようになったという。
さらに髪の毛には、髪型を整える髢(かもじ)と呼ばれる付け毛を使っていた。髢は女性の髪の毛を用いており、その材料となる女性の髪の毛を集める「おちゃない」という職業もあったほどだ。
家事労働に従事する庶民の女性は髪を束ねることがあったが、身分の高い女性は髪の毛を束ねることもなく、多くは垂髪つまりストレートヘアが標準だった。一般的に結髪が見られるようになるのは、近世になってからである。
庶民の女性は、日々労働に従事するため、髪が邪魔にならないよう束髪がされていた。しかし、武家夫人の大垂髪になると、床に引きずるほどの長さがあったらしい。それは、もともとの地毛に髢をつなぎ合せたものであった。
洗髪は公衆浴場で行われており、別に髪の毛の洗い場が設けられていた。髪を洗う際には、米のとぎ汁が一般的に使用されていた。米のとぎ汁の成分は、髪の毛の艶に有効であったらしい。
これも今で言うところの「エコ」であり、生活の知恵というべきものであろう。現在、さまざまな頭髪ケアの商品が販売されているが、意外に昔の方法が良いようにも思える。