間もなく7・26というタイミングで発表された相模原障害者殺傷事件を素材にした宮沢りえ主演映画『月』
あの事件のあった7・26を前に正式発表
6月30日、問題作といえる劇映画『月』が10月13日に公開されることが正式に発表された。私が初号試写を観たのはかなり前で、その後なかなか正式発表がないので、大丈夫なのかと心配していたが、ようやく発表となってとりあえずほっとした。
この映画は原作が辺見庸さんの小説『月』で、相模原障害者殺傷事件をテーマにしたものだ。もっとも映画は、辺見さんの『月』とは全く別の作品だ。製作・配給はスターサンズだが、スターサンズの大ヒット映画『新聞記者』も、原作の東京新聞・望月衣塑子さんの本とはかなりというか全く異なる作品になっていた。
この映画については紆余曲折がいろいろあってそれも私が心配した一因なのだが、そもそも製作側の強い意思がないと発表できない作品だ。最初に企画したのはスターサンズの河村光庸前社長で、様々なタブーに挑んだ作品をこの何年か立て続けに作っていった河村さんらしい取り組みだ。そして河村さんは昨年6月11日、悲しい急死を遂げた。今の日本の映画界に絶対必要な人だっただけに、その死は本当に残念だった。今回、映画公開まで紆余曲折があったのは、力技でタブーに挑んでいく河村さんが亡くなってしまったことが大きな要因だったと思う。
話をした帰り際に「河村さんで良かった」と感想
実は私はこの映画がまだ企画段階だった何年か前、河村さんにスターサンズに呼ばれて、相模原事件についてプロデューサーらをまじえていろいろ話をした。そしてその帰り際に、「取り組もうとしたのが河村さんで良かった」と感想を述べた。相模原事件という難しい素材を映画にするというのは腹の据わった人でないとできないからだ。
私も最初に相模原事件をテーマにした本『開けられたパンドラの箱』を2017年に出版した時には、まだ中身もできてない段階で、植松死刑囚の本を出すらしいと誤解した人たちが不買運動を起こすなどした。しかもその抗議した人が編集部に抗議に来る際にマスコミに連絡をして新聞・テレビを引き連れてくるというやり方で、NHKニュースでそれが報じられて大変な騒ぎになった。
その後、相模原事件関連本はたくさん出ているし、『開けられたパンドラの箱』も植松聖死刑囚を肯定しているわけでは全くないことはきちんと読んでくれればわかってくれていると思うが、最初は植松死刑囚のインタビューなどが載っているというだけで「許せない!」という反応も少なくなかった。今回のような劇映画となると、本とは1桁違う多くの人の目に触れることになるから、それを突破する覚悟が必要であることは明らかだった。
ちなみに創出版からその『開けられたパンドラの箱』を出した後、相模原事件を描いたドキュメンタリー映画『生きるのに理由はいるの?』(澤則雄監督)や、舞台『拝啓、衆議院議長様』(Pカンパニー)などが作られ、いずれにも私は協力した。2020年上演の『拝啓、衆議院議長様』もなかなか良くできた演劇で、公演は連日満席の盛況(私も公演後のトークに呼ばれた)。その会場では『開けられたパンドラの箱』と『月』が販売された。
障害者施設などへの取材も行われた
そうした試みは既に続いてきたものの、今回の映画『月』は、公開規模も大きいし、キャストが宮沢りえ、オダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみと、超豪華なのが特徴だ。これだけの陣営で臨む以上、何らかの議論やハレーションが起こる可能性も否定はできないと思う。
監督はこの何年か、『茜色に焼かれる』などのチャレンジングな作品を手がけている石井裕也さんで、今回の『月』は脚本も含めて彼が手がけている。実は前述した河村さんに呼ばれて話をした後、私は映画製作のためにいろいろな人を紹介した。あくまでも劇映画であり、ドキュメンタリーではないのだが、リアリティを大事にするために、製作にあたっては実際の障害者施設を取材したり、スタッフはかなり相模原事件の背景を調べる取り組みを行った。津久井やまゆり園の元職員である西角純志さんなども紹介したし、この間、『創』で取り上げた大規模施設の内情も映画には背景として盛り込まれている。石井監督自身も脚本を書くにあたって、障害者施設などの取材には可能な限り関わったようだ。
前述したように映画はあくまでもフィクションの劇映画で、「生きるとはどういうことか」をテーマにしたものだ。相模原事件はあくまでも背景として置かれているだけで、今回公表された公式ホームページでも事件や施設の固有名詞は書かれていない。ただ、私も試写を観て感心したが、取材に基づく背景には、大規模施設の問題点などかなりきちんと描かれている。ディティールの作り込みもかなり考えられている。障害者問題にこれまで関わってきた人なら賛否は別にして関心を持たざるをえない映画だろう。
ちなみに映画の公式ホームページは下記だ。
石井裕也監督のコメントがなかなかいい
公式ホームページに載っている石井監督のコメントがなかなかいい。
《この話をもらった時、震えました。怖かったですが、すぐに逃げられないと悟りました。撮らなければいけない映画だと覚悟を決めました。多くの人が目を背けようとする問題を扱っています。ですが、これは簡単に無視していい問題ではなく、他人事ではないどころか、むしろ私たちにとってとても大切な問題です。この映画を一緒に作ったのは、人の命や尊厳に真正面から向き合う覚悟を決めた最高の俳優とスタッフたちです。人の目が届かないところにある闇を描いたからこそ、誰も観たことがない類の映画になりました。異様な熱気に満ちています。宮沢りえさんがとにかく凄まじいです。》
プロデューサーの長井龍さんのコメントも参考になる。
《目の前の問題に蓋をするという行為が、この物語で描かれる環境に限らず、社会の至る所に潜んでいるのではないか、という問いが映画「月」には含まれています。
障害福祉に従事されている方にも本作をご覧頂き「この映画を通して、障害者の置かれている世界を知ってもらいたい」という言葉も預かりました。本作を届けていく必要性を改めて噛み締めています。そして、映画製作を通して、この数年で障害福祉の環境が変わろうとしている現実も目の当たりにしました。そのこともまた、社会の持つ可能性のひとつだと信じています。》
設定で驚いたのは「さとくん」の障害者の恋人
映画の内容についての細かい話は、もう一度試写を観てから改めて書こうと思う。私が前に初号試写を観てから何カ月も経っているからだが、最初に観た時に驚いたのは、例えば植松死刑囚をモデルにした「さとくん」に聴覚障害の恋人がいたという設定になっていることだ。これはなかなか驚きで、植松死刑囚とは面会だけでも100回近くになるし、彼をある程度は知っているつもりだが、彼に障害者の恋人がいたら…というのはなかなかすごい設定だ。
植松死刑囚の障害者観は2015年頃に急激に変化していき、2016年2月には重度障害者を殺傷するという考えに至っていくのだが、相模原事件でいまだに解明できていない最大の謎は、どうして彼の障害者観があんなふうに変わっていったのかだ。障害者をサポートするべき身近な存在だった施設職員があのような恐ろしい考えに変わっていったということ、しかも当事者はそれを正義だと思い込んで凶行に走り、いまだにその考えを変えていない。それが障害者を支援する立場の人間から起きたことであるというのが、相模原事件の最も深刻なところだ。
支援対象であった障害者がなぜどんなふうにして殺害の対象になっていったのか。裁判では彼の友人知人の供述が相当数紹介されたのだが、その中に例えば知的障害者でなくとも障害者がいたらどうだったのか。これはそれまで考えられなかった視点で、映画を観ながら、現実がこの設定通りだったら、植松死刑囚はどうなったろうかと思いを馳せた。
今年も7月26日前後に様々な取り組みが
さて、今年もあの凄惨な事件が起きた7月26日がもうすぐやってくる。障害者問題に取り組んできた人の中には、いまだに月命日の26日に毎月、津久井やまゆり園を訪れて献花をしている人もいる。そして7月26日前後には今年もいろいろな集会などの取り組みがなされるはずだ。以前はホールを使った大規模なセレモニーを行っていた神奈川県は、昨年から26日当日の献花という形に縮小したが、今年も7月26日当日は、やまゆり園への献花などが行われると思う。
残念なことに社会的には風化が進み、若い人の中には相模原事件について話しても知らない人もいるという。しかし、この事件を風化させてはいけないという取り組みも続いている。
私はと言えば、今年も7月23日(日)午後、新宿のロフトプラスワンで澤則雄監督の映画『生きるのに理由はいるの?』を一部上映し、『こんな夜更けにバナナかよ』の作者・渡辺一史さんと議論するトークライブに出る予定だ。主宰するのは澤さんだが、再審請求など植松死刑囚をめぐる近況を中心に話し合う予定だ。
https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/255468
相模原障害者殺傷事件の真相に迫る!
いまだに届く植松死刑囚の「獄中ノート」
植松死刑囚は未決囚の時から自分の思いやイラストなどを獄中ノートに書いて送ってきていたが、それは今も続いている。その中から月刊『創』(つくる)6月号に8ページにわたって短編マンガを掲載した。獄中で彼はイラストなどの練習を続けており、スキルは格段に上がっている。
最近驚いたのは、『創』6月号に掲載した彼のマンガというかイラストだ。美少女系の少女の顔に「世界は美しい!」のコピーがつけられているのだが、世間が抱いている植松死刑囚のイメージと真逆のイメージで、これを受け取った時には、ある意味衝撃さえ覚えた。彼は一体、このイラストで何を描き、何をアピールしようとしたのか。
そういえば2016年の事件の時に、植松死刑囚は正装した写真をツイッターに投降したのだが、そこには「世界が平和になりますように」というメッセージを掲げていた。多くの人は「悪い冗談」と受け止めたと思うが、その後、植松死刑囚と接して、私は、本人にブラックジョークのつもりはなかったこと、そしてそれこそがこの事件の恐ろしいところだと思い知った。あれだけ凄惨な事件を起こしながら、一貫して彼はそれが「世直し」「革命」であり、自分は救世主と思い込んでいた。
そこがこの事件の最も深刻なところだ。
植松死刑囚は最近、獄中ノートに「短編マンガ」と題したマンガをたくさん描いており、送られてきたものの幾つかは『創』に掲載した。
ごく最近わかったのは、そのマンガをめぐって、拘置所側がこれは描きなおせと通告したものがあり、植松死刑囚はそれを拒否して、懲罰房に入れられたという。恐らく刑務官を描いたマンガではないだろうか。閉じ込められた者が「助けてぇ」と叫んでいるのだが、ぎょっとするのは、それが障害者施設をイメージさせることだ。
刑務官を描いたこういうマンガは普通は外部へ出すことは不許可なのだが、これが懲罰の対象になったマンガだったとしたら、そこまでして発表しようとした植松死刑囚の意図は何なのか、そっちのほうが興味深い。
再審請求は棄却され即時抗告
自らが死刑確定者で、いつ執行がなされるかわからない状況にあることは、植松死刑囚も自覚している。彼は2020年に控訴を自ら取り下げ死刑を確定させたが、昨年4月、再審請求を行った。そして今年の4月18日、横浜地裁は再審請求を棄却。植松死刑囚は高裁に即時抗告を行った。
彼は再審請求も即時抗告の文面も手書きで自分で書いている。一言で言えば、それまでの自分の世界観のようなものを披瀝し、そういう自分の主張に対して、1審判決では裁判所の判断が十分に示されていない、本質的な審理が尽くされていないというのが再審請求の理由のようだ。
即時抗告に対して高裁がどういう判断をくだすのかわからないが、再審請求中でも死刑執行が行われるのが現状だから、彼の場合も予断を許さない。
1審の不十分な審理により相模原事件をめぐってはわからない部分があまりに多い。植松死刑囚は事件を起こす約1年前、2015年夏頃に津久井やまゆり園を退職しようと準備を始めていた。そこで辞めていればあの事件も起きなかったわけだが、事件の1年前に自分の仕事や職場に既に疑問を感じていたわけだ。彼の障害者観が変わっていったことととそれがどう関わっているのか。背中の刺青が見つかって職場で気まずい思いをしたことなど、様々な事情が彼の中でどんなふうに結びついていったのか。
相模原事件をめぐっては事件の本質的部分が解明されないまま風化の一途をたどっているのがもどかしい。秋に公開される映画『月』についてもいろいろな見方や意見は出されるだろうが、そういう議論の新たなきっかけができたことは歓迎すべきだと思う。
ちなみに映画のラストには、協力者として元やまゆり園職員の西角純志さんとともに私の名前も掲げられている。