香港カップ制覇を目指す武豊が語る、エイシンヒカリで勝った時のエピソード
稀代のクセ馬とのコンビ
「変更したわけではなく、変わらずガラ携を使っているんですけどね……」
尾を引く新型コロナウィルス騒動のため、香港へ行くためには各種のアプリが必要になっている。そのためにスマートフォンを入手したところ、思わぬ反響となり、武豊は目を白黒させた。
こんな出来事一つにも、コロナ禍によるブランクを感じさせる。彼が最後に香港でレースに乗ったのは2019年。3年半近く前、4月のクイーンエリザベスⅡ世盃(GⅠ)に出走したディアドラの手綱を取って以来の来訪となった。
「勝ったのとなると、更に遡りますよね。エイシンヒカリですかね……」
記憶に誤りはなかった。2015年、香港カップ(GⅠ)でエイシンヒカリに騎乗した武豊は同馬を見事に先頭でゴールへいざなった。しかし、それは決して簡単な手綱捌きではなかった。勝利の裏に思いもしないエピソードが散りばめられていた。
エイシンヒカリは東京競馬場で外ラチ沿いまで飛んで行きながらも勝利するような馬。類稀なる能力と、かなりの気性の難しさ。双方を合わせ持つ事の分かるレースぶりだった。
15年の途中で武豊を鞍上に迎えると、都大路S、エプソムC(GⅢ)、毎日王冠(GⅡ)と3連勝。天皇賞(秋)(GⅠ)は9着に敗れたが、故障などのアクシデントがあったわけではなかったので、続く1戦で海を越え、香港カップに挑戦した。
7年前の優勝劇に隠された逸話
この年は12月13日が香港国際レースデーとなった。当時としては史上最多となる10頭の日本馬が曇天の沙田競馬場に乗り込んだ。そんな中、メインの香港カップの直前に行われた香港マイル(GⅠ)をモーリス(美浦・堀宣行厩舎)が優勝した。
「日本馬が勝って、勢いをもらいました」
武豊はそう語ってエイシンヒカリに跨ると、ゲートに収まった。
「とくにゲートでうるさいわけではないんですけどね……」
鞍上はそう言ったが、ゲート練習で少々うるさい面を見せたという理由から、陣営はゲートボーイを依頼。絶対的に内有利と言われる沙田競馬場の2000メートルで、抽せんの結果、与えられた枠順は外よりの11番だったから、この依頼が奏功したかもしれない。結果、絶好のスタートを切ると、すんなりと先手を奪った。
「当日のテンションがカギになると思っていましたが、パドックでは大人しかったです。ゲート裏で少しうるさくなったけど、それでもこの馬としては大分マシでした」
こうして先手を取れたのだから、序盤は思惑通りだった。
しかし、最初のコーナーで、意外な事が起きた。左手前でスタートを出た鞍下が、右へ曲がる最初のコーナーに差しかかっても、右手前に変える素振りを見せなかった。結果、逆手前で第1コーナーへ突っ込んで行ったのだ。
「おや?」と思った武豊だが、ここでさすが“天才”と言われる手綱捌きを披露する。
「あえて手前を変えずに行かせました」
理由を聞くと、次のように続けた。
「行きたがっていたので、抑える方を優先しました。順手前に直すと、尚更行ってしまうと判断したんです」
「お陰で向こう正面ではだいぶ折り合った」と言うが、それでもまだ無理に手前を直そうとはしなかった。
「3コーナーへ差し掛かれば自然と変えてくれると思いましたから……」
百戦錬磨の経験則で得た感覚を優先し、そうする事で、無理に手前を変えて行きたがったり、リズムを崩したりするリスクを回避した。それよりも、その鞍上で、パートナーの走りにむしろ感心していた。
「全く右へ行こうとせず、真っ直ぐに走ってくれました」
この大一番で、お行儀良く走ってくれた理由が、次の刹那、分かった。
「カメラを搭載したクルマが右前を走っていました。それを見ていたため、右へ行こうとしなかったようです」
エイシンヒカリに騎乗する際、最後の直線では右に鞭を持つのが常だった。左回りの時は当然だが、右回りの競馬場でもそうしてきた。しかし、香港では全く右へ行く素振りを見せなかったので、直線へ向いても左鞭のまま、追った。そして……。
「ラスト100メートルを残して勝利を確信しました」
天才ジョッキーはラスト2ハロンのラップを綺麗に23秒台でまとめると、2分00秒60というレースレコードで稀代のクセ馬エイシンヒカリをGⅠホースへと導いた。
「マジックを見せてもらったよ」
そう口を開いたのは現地で開業するリチャード・ギブソン。フランスで厩舎を構えていた時代には、武豊に依頼をした事もある調教師だった。その晩に行われた祝勝会に参加したミルコ・デムーロも「さすがタケさんは凄い」と感服して、言った。
あれから7年。当時「勢いをくれた」モーリスの子供のジャックドールとタッグを組み、それ以来となる香港カップ制覇を目指す。
「パワーがあってやっぱり良い馬でした。2番枠も最高だし、よい結果で応えたいと思います」
レース4日前にジャックドールの最終追い切りに跨った時の印象をそう語った武豊。その右手にはスマホ、左手にはガラ携が握られていた。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)