戦国武将も大いに苦労した。実にアナログな情報伝達方法の数々
現代社会はインターネットの発達により、情報伝達は電子メールが主流になったが、高齢者を中心にして使えない人がいるのも事実である。戦国時代は電子メールどころか、電話すらなかったが、書状以外にどういう方法で情報を伝えたのか考えることにしよう。
携帯電話やインターネットがない戦国時代においては、さまざまなアイテムを用いて、効率的に情報伝達を行った。特に、戦場においては、いちいち書状を書いている時間がなかったので工夫が必要だった。
軍扇は、表に日輪、裏に九曜(七曜〈日・月・火・水・木・金・土〉に羅睺と計都の二星を加えたもの)が描かれていた。軍配団扇は、軍勢を率いる武将が指揮する際に用いた。単に軍配あるいは団扇ともいう。
軍配団扇に近いのが采配である。采配とは、白紙(銀紙、朱紙、金紙など)を細く切って束ねて総を作り、それに長さが一尺(約30センチ)ほどの柄を付けたものである。持っている者が指揮官であることを示した。
戦場では、事前に合図を決めて、軍扇、軍配団扇、采配を振るって、軍勢を動かしたのである。また、軍旗は軍勢の位置を示すだけではなく、団結の象徴としても用いられた。
そのデザインはさまざまで、①武将の家の家紋、②軍神をイメージしたデザイン、などが用いられた。合戦図を見ると、軍旗に描かれた紋様により、各部将の配置が明確になる。
陣太鼓は兵卒の士気を鼓舞し、軍勢の進退を指示する合図でもあった。陣鐘も陣太鼓と同じく、兵卒の威武や軍勢の進退や召集の合図として用いられた。中国で用いられた「鉦」に由来するといわれている。
戦国時代の城のなかには、鐘撞堂が設けられることがあった。陣鐘が軍陣専用になったのは江戸時代以降で、それまでは寺鐘を転用することも珍しくなかった。
法螺貝は合戦開始の合図に用いられたが、本来は仏教で諸神を呼ぶための道具だった。吹き鳴らす順番に応じて、一番貝、二番貝、三番貝と称された。
狼煙は薪などに火をつけて煙を高く上げ、遠隔地に合図を送る方法である。あらかじめ煙で出す合図の方法を味方の兵卒に周知しておき、城から城へと中継しながら、かなりの遠隔地まで情報を伝達することが可能だった。
より正確な情報を伝えるには、密書を使者に託すのが一番だった。密書を送る場合、小切紙という小さな紙に要点を記し、文章の末尾に「詳しいことは使者が伝えます」と結ばれていることが多い。
詳しい内容を密使の口頭に託したのは、万が一、密書が第三者に奪われることを恐れたからだろう。密書は小さく折って、髻などに隠すことがあった。
密書を運ぶ際、武将の姿ではまずいので、庶民もしくは山伏などの宗教者に身をやつすことが多かった。なお、急を要する場合は、危険を省みず、早馬で目的地まで馬を走らせた。その場合は馬を乗り潰すこともあったので、宿で馬を乗り換えていたのである。
書状を運ぶ手段は、ほかにもあったと考えられる。一説によると、武蔵の武将・太田資正(道灌のひ孫)は、軍用犬を養成していたという。軍用犬の首輪に書状を入れた竹筒を着け、味方と連絡を取り合っていたと言われている。
戦国時代は現代と比較して不便な時代ではあったが、創意と工夫によって、独自の迅速な情報伝達法を編み出していたのである。