【オートバイのあれこれ】スズキの歴史は3気筒とともに。
全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。
今日は「スズキの歴史は3気筒とともに。」をテーマにお話ししようと思います。
オートバイにおいてはあまりメジャーではない一方、クルマの世界では比較的採用例の多い3気筒エンジン。
今や軽自動車の大半は3気筒で、また最近ではBMWやアウディ等の一部グレードにも3気筒採用モデルが増えてきているそうですね。
クルマの世界において、3気筒エンジンはスモールカーにちょうど良いサイズとパワーのバランスを持ち、また生産コストや燃費の点でもメリットが多いということで高評価を得ているみたいです。
スズキはそんな3気筒エンジンの強みに、いち早く気づいていたメーカーと言えるかもしれません。
スズキが初めて3気筒エンジンを使ったのは、今から約60年前のこと。
1965年(昭和40年)にリリースした乗用車『フロンテ800』に、水冷2ストロークの直列3気筒エンジンが搭載されました。
同社初の3気筒であると同時に、初の水冷エンジンということにもなりました。
その後、スズキはフロンテシリーズを一貫して3気筒で作り続けます。
当時はライバル車としてスバル『360』やホンダ『N360』などもありましたが、これらは2気筒で、小型車カテゴリーでは唯一スズキだけが草創期の頃から3気筒を貫いていたと言えます。
そしてスズキはオートバイの分野においても、当時のフラッグシップモデル『GT750』を2スト3気筒で開発。
GT750が登場した'71年(昭和46年)にはすでにホンダが並列4気筒の『CB750FOUR』をリリースしており、バイクファンの間では「4気筒ブーム」なるものが巻き起こっていましたが、そんななかにあってもスズキは3気筒で勝負を挑んだのです。
「4ストローク6気筒並みのパワーとスムーズさ」という宣伝文句とともに、2スト3気筒の強みを猛アピールしていたスズキ。
しかし'70年代を迎え、世間では大気汚染問題が声高に叫ばれ始め、そのなかで環境性能の悪い2ストエンジンへの風当たりも強まり、スズキは時勢に追われ4ストロークへの移行を余儀無くされるようになってしまいました。
こうして2スト3気筒は消えることになったわけですが、スズキは4ストロークが主流になってからも(クルマの分野で)3気筒レイアウトだけは採用し続け、2気筒や4気筒に負けずにその勢力を保ちながら現在にまで至っています。
冒頭でもお伝えしたとおり、現在はスズキのクルマに限らず、国産軽自動車のほとんど(全て?)が3気筒となっているわけですが、この現状を見るに、3気筒が一般化する前から3気筒にひたすらこだわり続けていたスズキは、「先見の明があった」と言って差し支えないのかもしれません。
画像引用元:スズキ/本田技研工業