被害者女性に「温かな無関心」を:女性監禁事件から
■女性犯罪被害者
同じ事件が起きても、被害者が若い女性だと大きく報道されがちです。さらに、世間の注目は、その若い女性被害者に集中します(加害者側が若い女性でも、やはり大きく報道され注目されますが)。
注目されるだけではなく、しばしば女性被害者は責められます。中年男性が路上強盗にあっても、世間は注目もせず責めもしません。ところが、若い女性が路上犯罪の被害にあうと、なぜそんな道を一人で歩いていたのかとか、なぜそんな服を着ていたのかなどと責められます。中年男性が被害者なら、なぜそんな高級なスーツを着て金持ちそうに見える格好をしていたのかと責められることはないのに。
さらに、犯罪に女性が絡んでいる場合、マスコミ報道は女性の日常行動やプライバシーなどを探りやすくなります。夜遊びをしていた、子どもの面倒を見ていなかったなど、男性なら報道されない私生活が報道されやすくなります。
以前、ある一流企業に勤める女性が殺人事件被害者になった時には、彼女の私生活や副業がスキャンダラスに徹底的に暴かれました。
そのような中で、完全に誤った報道がなされることもあります。以前発生した女性監禁殺人事件では、女性が犯人の男たちと付き合っていたかのような事実無根の誤った報道が一部メディアから流され、関係者は深く傷つきました。
犯罪被害者は、犯罪で傷つき、さらに心ないメディアや世間の目によって傷ついています。女性被害者の場合は、いっそうひどく傷つけられがちです。
長期監禁事件が起きるたびに、なぜ逃げなかった、逃げられたはずだ、何かあったのかなど、被害者が不当に責められます。
■被害者に安全安心を
最近は、被害者の心のケアなどが話題にされますが、まずは安全安心を与えることです。無遠慮な人々に病院や自宅を取り囲まれたり、どこへ行って何をするにもマスコミがついてくるような環境で、どうして安産安心が守られるでしょう。
ここは安全な場所だ、安心してゆっくりして良いと思ってもらえることが大切です。その上での、心のケアです。
■好奇心で聞かない
カウンセラーになりたい人への注意として、「好奇心で質問をしない」ということがあります。個人的な野次馬的好奇心でも、またたとえそれがカウンセラー、心理学者、専門家としての好奇心だとしても、好奇心で聞いてはいけません。
それは、外科医が好奇心でメスを振るわないのと同じです。外科医は患者のために患者に必要な部分だけメスで切ります。カウンセラーも、相談者のためになる質問をしなければなりません。
犯罪に関心を示すことは悪いことではありません。でも、市民もマスメディアも、被害者保護と犯罪防止を願っているなら、それに役立つことだけに関心を示したいと思います。
■儀礼的無関心と温かな無関心
たとえば、レストランで芸能人を見かけたとします。内心では、興奮して興味津々なのですが、ジロジロ見たりするんは失礼だと思って、あえて無関心なふりをすることがあります。これを、社会心理学では「儀礼的無関心」呼んでいます。
道の向こうから思い身体障害を持った人がやってきた時なども、私たちは儀礼的無関心を装います。悪い心ではなく優しい心を持った人でも、周囲と違う目立つ人が来ればつい視線を送りがちなのですが、そんなことをしてはいけないと私たちは思うのです。
犯罪被害者の関心も、決して下品な思いだけではありません。心配しているからこそ、関心を持つこともあります。事件が忘れられ、風化していくことも、時には困ったことです。長い目で見た支援が必要なこともあります。けれども、そっとしておいて欲しいと思うこともあります。
たとえ心配だとしても、必要な支援やケアが与えられているのであれば、その他の人間としては、あえて関心を表さないのもまた、被害者支援の一つです。
そんな「温かな無関心」を、私たちも持ちたいと思います。
今回の監禁被害者の父親も、コメントを出していますね。
「皆様、どうか私たち家族のことをそっと見守って頂けたら幸いです。最後に、自宅への取材は近隣の迷惑となりますのでお控え頂きますようお願い申し上げます。」
加筆3/29・22:00
被害者女性は以外と自由にしていたとの情報がさらに報道される中、「なぜ逃げなかったのか」との疑問を強める人もいる。正しい人間理解をすることが、被害者支援につながる。