911同時多発テロから16年。ニューヨークに住む人々にとって911はどんな日だったのか(前編)
ニューヨークのグラウンドゼロでは9月11日、16回目となる911同時多発テロの追悼式典がしめやかに執り行われた。グラウンドゼロは、私の以前の職場から徒歩5分ほどの場所だったこともあり、今でもたまに足を運ぶ場所だ。
グラウンドゼロに建てられた高層ビル「ワンワールド(別名フリーダムタワー)」や犠牲者の名前が刻まれている「911メモリアルウォーターフォール」などでは、花を手向けたり、祈りを捧げたりしている姿を見る一方、観光名所にありがちな、自撮り棒でセルフィーを撮ったり、満面の微笑みで友人や家族らと記念撮影をしている人をたまに見かけたりもする。そのたびに、911はこのまま風化していくのかなと感じる。
実際にニューヨークに住んでいても、人々との会話で911が話題に上がることはほとんどない。親近者に犠牲者がいるということでもなければ、911を思い出すのはこの追悼式典の日だけなのだろうか。
911同時多発テロに関して、政治や経済にからんだ内容はテレビや新聞で報道されているが、実際にここに住む人々の意識はあまり語られてきていない。ニューヨーカーに、あの日見たもの感じたものを振り返ってもらった。
ニューヨーカーとそれぞれの911(1)
エンジェル・ペレスさん・42歳男性・セキュリティー会社勤務
ツインタワーの一つのビルで、どこの階だったかは覚えていないけど、真ん中よりもう少し上に上がったあたりのフロアで、911のちょうど1週間前に友人の誕生日会のダンスパーティーが開かれたんだ。僕はニューヨーク出身なのにタワーに入るのは生まれて初めてでね、ダンスパーティーもすごく楽しかった。その日はパーティーの会場中がとてもハッピーな雰囲気に包まれていた。
911の朝、僕はブルックリンからマンハッタンのチェルシー地区にある職場に行くために地下鉄に乗った。マンハッタンの空が今日は黒く曇っているなとは思ったけど、それほど気にもしていなかった。マンハッタン橋を通ってマンハッタンに入ったんだけど、マンハッタン橋を通るときに電車がいったん地上(橋の上)に出るんだ。そのときに、ツインタワー周辺が真っ黒な煙で覆われているのを見た。これはただごとじゃないぞと、普段は外の風景に関心のない人々が(僕も含め)いっせいに窓に張り付いた。
そのあとマンハッタンに入って電車が動かなくなった。外に出て、あのビルから、煙や熱に耐えきれなくなった無数の人々が飛び降りるのを見てしまった…。あれは本当に悲しいモーメントだった。写真やビデオを撮っている人もいたけど、僕にはできなかった。911から数週間、メタルの焼け焦げた匂いがブルックリンにもずっと充満していた。あの光景と匂いは、今でもたまに思い出す。
フローレイン・カレラさん・女性・弁護士事務所勤務
あの時間は普段のように通勤途中だった。でもどの電車も遅れていて、ニューヨークではよくあることだから「やれやれ、また今朝もか」って思う程度だった。やっと電車が職場のあるマンハッタンのWhitehall/South Ferry駅に到着したとき、ふと空を見るとすごく低空を飛んでいる飛行機が気になったのと、煙の匂いがしたので、なんだか変だなと思った。
ビルの上階にあるオフィスに到着したら、ビルの管理会社から「ツインタワーが攻撃されたので今すぐビルから離れるように」とアナウンスがあった。外に出ると、空が煙でまっ黒になっていて、無数の書類が空から降ってきた。消防車とパトカーのサイレンがけたたましく鳴り響き、周りにいた人々はパニック状態になった。消防士から「口を覆い、立ち止まらずに避難せよ」と言われ、私は人々の流れに沿ってブルックリン橋に向かった。真っ黒になった空から灰やがれきのようなものがたくさん降ってきて、周りはほとんど何も見えない状態になっていた。ただ聞こえるのは上空のヘリコプターの音だけ。そしてわかったのは「私たちは攻撃されている」ということだった。
橋に到着するころには、煙がもっとひどい状態で、たくさん灰が降ってきた。橋のマンハッタンへの出口は封鎖されており、車が立ち往生していた。パニックに陥った無数の人々と車両で混乱しており、その重さに耐えきれず橋が揺れるほどだった。何人かは足が悪かったりで思うように歩けず、人々が助け合っていた。ブルックリンまでの道のりはまるで永遠のように感じた。携帯電話が使えない状態だったので、とにかく娘を迎えに学校に向かった。灰まみれの私を見た子どもたちは何が起こったのと泣き叫び、疲れ切った私はその場で子どもたちを抱きしめることしかできなかった。ミッドタウンで働いていた夫も、次はいつどこを攻撃されるかもわからない恐怖に怯えながら、なんとか歩いてブルックリンまで帰ってきた。
私の職場が復帰するまで2週間かかったが、その後もツインタワーの周辺は復旧作業に時間がかかり、まるでゴーストタウンのようだった。私は不安神経症にかかってしまい、しばらくの間深い闇の中をさまよっていた。毎年この時期は、あの日の恐ろしい記憶が蘇る。そして同時に生かされていることを神に感謝する。
(後編につづく)
(Interview and text by Kasumi Abe) 無断転載禁止