気象台や学校で見なくなった気象観測のために露場に置かれた「百葉箱」
気象観測
明治初期、外国文明を導入しようとした人々は、色々なものを見事な漢字の組み合わせで表現しています。
気象事業も同じです。
気象観測の「観」は、「全てをみる」という意味があり、観世音菩薩の「観」です。
見(小さくみる)、眺(全体をみる)、省(内面をみる)、望(未来をみる)ではなく、「観」を使っています。
また、明治時代の中頃から、屋外で気象観測を行う場所のことを露場(ろじょう)と言っていました(タイトル画像参照)。
降水量、気温、湿度の観測においては、自然風を妨げない柵などで仕切りを作って不慮の障害をさけ、芝を植生して日射の照り返しや雨滴の跳ね返りを少なくした場所です。
露場の「露」という言葉は、大気現象でいう空気中の水蒸気が凝結してできたもののほかに、「露天商」と使われるように「屋外」という意味と、「悪事が露見する」というように「物事が現れてくる」という意味があります。
明治時代になり、国の事業として行われた気象業務が軌道に乗ったとき、「新しいことを発見しよう」という強い思いがあったと思われますので、露場の「露」は、「物事が現れてくる」という意味の「露」です。
百葉箱
気象観測は、露場におかれた観測機器を用いて行われますが、昔は、タイトル画像のように、温度計や湿度計などの観測機器が百葉箱と呼ばれる木の箱の中に入っていました。
19世紀中ごろにイギリスで開発が始まった百葉箱は、明治7年(1874年)にイギリスのトーマス・ライト・ブラキストンによって日本に導入され、翌8年(1875年)には「百葉箱」と命名されています。
ブラキストンは、津軽海峡を境として動物相が異なる(北のシベリア亜区と南の満州亜区に分かれる)というブラキストン線を提唱した人です。
イギリスで生まれた百葉箱でが、それを導入した各国でその気候風土に根ざした改良が行われてきましたが、日本も同じです。
宮大工の技術が使われ、気象観測に適していながら、美しさも兼ね備えたのが、日本の百葉箱と思います。
気象庁の前身である内務省地理局気象係、通称「東京気象台」が旧赤坂区葵町で観測を始めたのは、明治8年(1875年)6月1日で、最初から百葉箱がありました(タイトル画像参照)。
ちなみに、百葉箱の読み方は、当初は「ひゃくようそう」と「ひゃくようばこ」が混在しており、多く使われていたのは「ひゃくようそう」でした。
しかし、小学校理科教育に関しては、昭和44年(1969年)以降は「ひゃくようばこ」に統一されています。
昭和15年(1940年)三浦栄五郎が著した「気象観測法講話」には、百葉箱について次のような説明があります(図1)。
之は「ヒャクヨウソウ」と読むもので、図の如き形を有し、気象観測所には必ず見受ける白いペンキ塗りの木箱である。箱の大きさは約1米立方で四面は鎧戸で空気が自由に通り抜ける様になってゐる。百葉箱の名は此の鎧板の数が多いことから出てゐると思ふ。底も又空気の出入を自由にするためと、もう一つは自記機械を設置する為に、鎧板より稍々広い丈夫な板を水平に互ひ違ひに武者窓式に列べてある。天井も又空気が抜け出るやうに武者窓式にするか或は通風筒を設ける。しかし雨露を防ぐ為に屋根を設けるが、之は必ず木材を使用す可く、決して亜鉛板や銅板等の金属を使用してはならない。又外観の美を添える為や防腐の為に赤青等の色ペンキ或はコールタールを塗ってはならない。必ず内外全部白ペンキを塗り、汚れた場合は又白く塗替へる。…
三浦栄五郎は、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災のとき、迫りくる火事の熱気の中、気象観測を継続したことで有名な気象観測のスペシャリストです。
小学校に百葉箱
太平洋戦争前から気象台や測候所などをまねて百葉箱が設置され、気象観測を行っていた小学校がありましたが、全国の小学校に普及したのは、戦後の昭和28年(1953年)8月に議員立法として、理科教育振興法が制定されてからです。
太平洋戦争に負けた日本は、これからの日本を託す子供たちへの教育、特に理科教育に力を入れたからです。
理科教育振興法を受けた昭和29年(1954年)の文部省令第32号「理科教育のための設備の基準に関する細目を定める省令」では、別表に「百葉箱」と明示してありました。
つまり、小学校には百葉箱の設置が事実上義務付けられ、補助金がでていたので普及したのです。
しかし、時代は流れ、理科教育の時間が短くなり、敷地の狭い学校が増えたことなどから、百葉箱は次第に使われない存在となっています。
このため、学校が授業方針に合わせて必要な器具等をそろえることができるようにしたのが、平成4年(1992年)2月の省令改正です。
この改正では、「気象学習用具」というおおくくりの表現に変わり、百葉箱という記述が消えています。
つまり、気象学習用具として百葉箱を設置することはできますが、義務ではありませんので、これ以後、百葉箱が小学校から消えてゆきました。
気象庁でも使わなくなった百葉箱
気象庁でも気象観測は露場に置かれた観測機器で行うものの、30年くらい前から百葉箱は使わなくなっています。
ただ、百葉箱は使わなくなっても、しばらくは、露場に置かれたままでしたので、一般の人は、気がつかなかったのです。
温度計や湿度計は、百葉箱の中に置くのではなく、金属製の筒の中に置かれ、強制的に風を当てるなどして観測をしています(図2)。
百葉箱に観測機器を置いていた時代には、観測者が百葉箱の設置している所までいって観測するしかありませんでしたが、百葉箱を用いない現在の観測方法では、離れた所から自動観測が可能になっています。
気象観測を自動で行い、コンピュータ処理をして観測データを利用するといった時代の流れの中で、百葉箱も役目を終えつつあります。
タイトル画像の出典:気象庁(昭和50年(1975年))、気象百年史、日本気象学会。
図1の出典:三浦栄五郎(昭和15年(1940年))、気象観測法講話、知人書館。
図2の出典:気象庁ホームページ。