聖地・甲子園球場のマウンドの秘密
プロ野球は後半戦に突入した。今年のオールスター・ゲームは甲子園球場でも行われ、多くのスタープレーヤーたちが甲子園球場への憧れを言葉にしていた。そんな甲子園球場で、今年の前半戦にこんなことがあった。
■1mmの狂いも許さない正確さ
5月17日の阪神タイガース対横浜DeNAベイスターズ。試合はタイガースのメッセンジャー投手の2試合連続完封(甲子園球場に限ると、この時点で3試合連続完封!)という快挙で、タイガースが勝利を収めた。
試合後、ネットのスポーツニュースに流れたベイスターズの先発・モスコーソ投手のコメント、「マウンドが若干低くてコントロールがつきにくく、徐々に悪くなった」―に、敏感に反応した人がいる。甲子園球場のグラウンドを預かる阪神園芸さんの運動施設部・整備第一課の金沢健児課長だ。「うちはルールブックどおり、寸分違わず作っています!!」
そこで金沢課長に、甲子園球場のマウンドについて詳しく教えて頂いた。ルールブックに記載されているマウンドの高さの規定は、「ホームベースを『0』として、254mmの高さにピッチャープレートを置く」ということになっているという。
ドーム球場など屋内球場のグラウンド全体が平らであるのに比して、屋外の球場は水捌けを考慮し、中心から外に向かって緩やかな傾斜状になっている。その傾斜ももちろん、甲子園球場はルールブックの規定に則っている。
「1cmの違いなんて、選手は気づかないと思う。でも我々は1mmの狂いもないように作っている」。
メジャー、水平器を駆使し、「いつ、誰が測りにきても、『どうぞ』と言える」と金沢課長は胸を張る。
「『全国の地方球場や学校が甲子園球場を真似している』と高野連の方からも聞くし、相談も受ける。一番の基準となっている球場だから、ルールブックどおりにきっちりやらなければやらない。球児にとっても目指す場所であるんだから」。
模範となる球場でありたい、いや、そうあらねばならない。そう考える金沢課長にとっては、「ルールブックどおり、寸分違わずに仕上げている」というのが、矜恃なのだ。
■伝統のピッチャープレート
90年の歴史を誇る甲子園球場。ピッチャープレートもホームベースも、他球場とは違うそうだ。ゴム製のプレートとベース。その厚みは、他球場が80mmのところ、甲子園球場のそれは160mmもあるという。甲子園球場だけの特注品だ。
それを地中に埋め込むわけだが、通常の倍の厚みがあるということは、重いし扱いづらい。
おまけに甲子園球場の場合、設置のやり方にもこだわっている。あらかじめプレートやベースの受け皿となる「型枠」を地中に据えておけば、入れ替えの度に測量の手間も必要ないし、簡単に設置できる。
しかし反面、デメリットもある。「『型枠』に入れようと思ったら、キチキチでは入らない。“遊び”がないと。その“遊び”が数ミリのズレを生じさせてしまう」。そしてその数ミリのズレが、他の箇所のズレにも繋がっていくことを金沢課長は危惧するのだ。
だから甲子園球場では「型枠」を入れず、入れ替えの度に測量し、水平器を当て、いっさいのズレも傾きもなくして埋め込み、硬い土で固める。その工程は非常に手間ひまがかかり、時間を要する。けれど妥協はいっさい許さない。まさに熟練の“職人技”だ。この入れ替えを、シーズン中はセンバツ前、交流戦前、夏の大会前の3度行う。
そして通常の倍の厚みのピッチャープレートとホームベースに関しても、「本当はここまでの厚みは必要ないけど、これも甲子園球場の昔からの伝統だから。これからもメーカーさんに特注で作ってもらって、守り続けていきたい」と、とことんこだわり抜いている。
■「世界の阪神園芸」と称される所以
金沢課長は語る。
「モスコーソ投手のコメントに腹が立ったのではない。あのコメントを、知らない人が目にした時、『あぁ、甲子園球場のマウンドは低いんだ』と思われることが不本意」。
そして、こう続ける。
「ドーム球場のように平らなところにあるのではなく、ホームに向かって緩やかな傾斜があるから、低く見えるのは確か。ただそれは目の錯覚。何より両チーム、公平だから」。
そう。先に述べたようにこの日、タイガースのメッセンジャー投手は完封した。 「低いとは感じないね。気にならないよ。いいマウンドだよ」。
メッセンジャー投手もこう賛える。
90年前から受け継がれてきた聖地の伝統と職人技。それを守り続けているのは阪神園芸さんの矜恃であり、誇りであり、自負である。だからこそ、阪神園芸さんは「世界一」と称されるのだ。
高校野球も間もなく始まる。その直前にピッチャープレートを入れ替えるという大作業をして、球児たちを迎える。
(撮影はすべて筆者)