イスラエル軍のレバノン侵攻/4度目の正直?
10月1日にイスラエルの陸上部隊がレバノン南部に侵攻した。イスラエルの陸軍が国境を越えてレバノンを侵略するのは、これで3度目だとよく言われる。1982年と2006年にもイスラエル軍がレバノン国境を越えているからである。だが実は1978年にもイスラエル軍は、短期間レバノンを占領している。これを数えると今回は4回目の侵攻になる。
なぜイスラエル軍はレバノン侵攻を繰り返すのだろうか。最初の2回は、パレスチナ・ゲリラ対策だった。1948年のイスラエル建国時に故郷を追われたパレスチナ人は、抵抗運動を組織しヨルダンを拠点にイスラエルの支配地域に攻撃をかけた。その中でも最も有名な指導者がヤセル・アラファトだった。ヨルダンという国の国民の過半数はパレスチナ人である。というのは先に触れたイスラエル建国時に難民となった多くのパレスチナ人が流入したからであった。それもあって、ヨルダンという国は、パレスチナ人に配慮した統治をおこなってきた。
しかし、国内にパレスチナ・ゲリラが拠点を作りイスラエルを攻撃し始めると、その報復でイスラエルがヨルダン領内のゲリラの拠点を攻撃した。そしてヨルダン人も不可避に巻き込まれて被害を受けた。これは迷惑だった。そして、そもそも国家の中にゲリラの拠点などを許していては、主権が脅かされる。ついにヨルダン王制は決意を固めた。1970年9月にヨルダン政府軍とパレスチナ・ゲリラが衝突した。同政府軍がゲリラを圧倒した。アラファト以下のゲリラは、今度はレバノンに拠点を移した。レバノンは政府の力が弱くパレスチナ・ゲリラの流入を阻止できなかったからだ。そして、同国南部からイスラエルへの攻撃にゲリラが出撃した。
そのゲリラ退治にイスラエル軍が1978年にレバノン南部に侵攻した。これが第一回目のレバノン侵攻である。しかし、当時のアメリカのジミー・カーター大統領の強い反応もあり、イスラエル軍は短期間で撤退した。そうするとゲリラが南部に戻り、イスラエルへの出撃を再開した。
この記事は有料です。
高橋和夫の中東・イスラム・国際情報のバックナンバーをお申し込みください。
高橋和夫の中東・イスラム・国際情報のバックナンバー 2024年10月
税込275円(記事8本)
※すでに購入済みの方はログインしてください。