【行橋市】全国各地の沿岸部に存在する「鯨塚(くじらづか)」がここ行橋市にもあった
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今回は行橋市の沿岸部、沓尾(くつお)にある「塚(つか)」をご紹介いたします。
行橋市今井にある「行橋総合体育館」から車で3分ほどの場所にある今回ご紹介する塚は、鯨を祀った(まつった)塚「鯨塚(くじらづか)です。
福岡県行橋市沓尾(くつお)の「沓尾漁村センター」前にひっそりと佇んでいます。
もともと龍日賣神社の前にあったのですが、台風被害で現在の場所に移設したそうです。
鯨塚とは、海辺で岸に打ち上げられた鯨を祀った塚のことで、日本の全国各地ほか、ベトナム沿岸地域にも点在するそうです。
行橋市史によると、この行橋の鯨塚は明治36(1903)年2月18日、海辺に体長16メートルほどの鯨が現れました。鯨は長井浜(ながいはま)へ移動したので「沓尾(くつお)」←<鯨塚が祀られている地域>「養島」「長井」の3者で所有権をめぐって争いとなりました。
結果「沓尾」が雇った銛師(もりし)*魚突きのプロ が鯨漁(くじらりょう)の権利を待っていたので鯨を追跡し一番銛(いちばんもり)を打ちました。
鯨は暴れながら大分県の豊後水道の方まで移動したそうです。
2日がかりの死闘の末、沓尾の漁師たちは2月28日に鯨を仕留め浜に引き揚げました。
その大きな鯨を一目見ようと北九州、筑豊、大分から見物人が押し寄せ漁港は大賑わいに。観覧料は1人15銭だったそうです。
観覧料の売上げは470円余りにもなったといいます。
鯨はその後 850円で加工業者に売られました。
当時の1円は現在の価値で2万円相当
観覧料と加工業者への販売で売り上げは現在の価値で2640万円にもなった計算になります。
沓尾(くつお)の漁師たちは大きな利益をもたらしてくれた鯨に感謝し、鯨の霊(れい)を弔う(とむらう)ために「鯨塚」を建てました。
このお話がこの鯨塚が建てられた経緯です。
また
鯨の到来と魚群の到来が重なる事から、クジラには霊力があると考え、漁の水先案内として利用していた経緯があるそうです。
このことから「恵比寿」の仮の姿の鯨を漁業の神として「大漁追福(たいりょうついふく)」または海神(かいじん)として「海上安全祈祷(かいじょうあんぜんきとう)」などを願った塚でもあるそうです。
蓑島、今井方面へ行く事があれば立ち寄ってみてはいかがでしょうか。この物語をしっていると歴史ってすごいなと思うはずです。
鯨塚(くじらづか)
住所:行橋市沓尾