異端なるバスクサッカー、その源流を求めて。
謎に包まれたバスク
スペインの北西部、フランスとまたがるバスク地方。そこは謎が渦巻く地域として知られる。例えば、バスク人の血液型は遺伝型で60%がRHマイナス。バスク語は欧州の言葉と全く異なり、絶滅した古代言語とも言われる。ミステリアスな要素が多いため、地球外生命の子孫ではないか、などと唱える人もいる。それはさすがに珍説だとしても、バスク人が独自の生活や言語を守ってきたことは間違いない。
そこで今回、サッカーというスポーツを軸に、その奥深くまで潜入取材を敢行した。秘密めいた人々。その日常には「異端なる風景」があった。
美食クラブとサッカー
世界的な美食の町として有名なサンセバスチャン。バスク伝統の風習は脈々としてあった。
「シャンパンにするか?」
「いいな。鶏肉を煮込んだから、赤ワインも開けよう」
男たちがエプロンをつけたまま、やりとりしている。友人や親戚同士で施設を借り、男性が料理し、酒を飲む。それは「美食クラブ」と呼ばれ、料理人役がプロ顔負けの腕前を披露する場だ。キッチン、テーブル席、冷蔵庫、ワインクーラーには貴重なボトルが揃う。定額の賃料と使った食材や飲み物代を支払い、清掃や補充は契約した業者が担当。言わば「料理人とウェイターがセルフのレストラン」である。
特筆すべきはかつて女人禁制で、今も女性が入れないクラブもあることだろう。
「男たちがサッカーを楽しむ、そのために美食クラブはできたとも言われているよ。嫁さんにとっても、旦那がレストランで飲んだりするよりは安いし、都合が良かったんだろう。サッカー中心の食卓は退屈そうだから。男同士、心ゆくまで食べ、飲み、サッカーを語り合える。私は料理は苦手で、パンを切る係だがね」
バスクサッカー代表監督であるミケル・エチャリはそう言って上機嫌に笑い、赤ワインを飲み干した。大画面ではサッカー中継が流れ、鮮やかなゴールが決まった。それを合図に、男たちは一斉に熱を込めて分析を語り始める。食後にはきつめのリキュール、パチャランが用意されていた。
バスク人だけでバルサ、マドリーに匹敵する
バスクはバスク州3県、ビスカヤ、ギプスコア、アラバ、それにナバーラ州で主に構成されている。海の民と山の民に大別され、大昔は捕鯨が盛んだったり、開拓精神が強い一方、山にこもって山林業や畜産業、あるいは炭鉱業で生計を立て、自然との関わりが強い。全体の人口は約290万人。ほぼ広島県と同じ人口だ。
そうした限られた人材にもかかわらず、バスクサッカーはヨーロッパに蟠踞(ばんきょ)している。
世界最高峰のサッカーリーグ、リーガエスパニョーラにおいて、バスクは4つものクラブが1部リーグに在籍する。
その筆頭というべきが、ビスカヤ県のアスレティック・ビルバオだろう。アスレティックは純血主義を守り、なんと「バスク人選手のみ」(民族的なバスク人選手とバスクで生まれ育った選手)で100年にわたって、1部リーグで戦い続ける。一度も2部に落ちたことのないクラブは、国内で他にバルセロナ、レアル・マドリーのみ。アスレティックは国内リーグ優勝8度、国王杯優勝23度で、欧州にもその名は轟く。
一方の雄であるラ・レアル・ソシエダはギプスコア県のクラブで、リーグ優勝2度、国王杯優勝2度。1990年代で純血主義を捨てたが、「自前で育てる」という方針はむしろ強め、バスクの土壌で才能を豊かに実らせている。フランス人グリーズマンのような英雄的選手を輩出する一方、欧州カップ戦にも出場するトップチームの先発選手7、8人が下部組織出身。世界中を見渡しても類を見ない育成力を誇る。
他に日本代表の乾貴士を擁するエイバルも、もともとは炭鉱夫のクラブで1部リーグに所属している。また、アラバ県のアラベスは昨シーズン、スペイン国王杯で決勝に進出。そしてナバーラ州の古豪オサスナは2部首位で優勝争いを演じている。
欧州のビッグクラブにも人材を多く輩出。バイエルン・ミュンヘンのハビ・マルティネス、チェルシーのアスピリクエタ、アーセナルのモンレアル、マンチェスター・ユナイテッドのエレーラ、パリ・サンジェルマンのベルチチェなど枚挙にいとまがない。
広島県の規模で、これだけの雄を誇っているわけだ。
フィジカルも強いが、負けん気も強い
バスク人は他のスペイン人と比べ、体格が歴然として屈強である。例えばアスレティックの選手の平均身長は約185cm。スペイン人の平均身長は日本人とさほど変わらないだけに、肉体が生み出す強さは優位性と言われてきた。
では、単純なフィジカルが彼らの強さの理由なのか?
「バスクサッカーの強さを一言で説明するのは難しいけど、バスク人は他のスペイン人よりも勤勉で真面目だと思う。同時に競争が好きな民族。様々なスポーツで賭けが行われているし。ギリギリの勝負を楽しむところがあるんだ」
80年代にレアル・マドリードBでブトラゲーニョと2部優勝を経験したバスク人GKフランシスコ・エロラはそう説明している。
バスク人GKがスペイン代表を支えてきた
GKというポジションは、バスク人の硬骨さと勝負師の特性が最も出たポジションとも言われる。スペイン代表のゴールマウスは、50年代はセドゥルン、60―70年代はイリバル、70年代後半はウルティコエチェア、80年代はアルコナダ、90年代はスビサレータと、ずっとバスク人GKが守ってきた。この5人だけで300キャップ近い。
「憧れの選手がいる、というのが何よりも大きかった。僕も彼らのようになれるはず、彼らのようになりたい、とGKになった。憧れが近くにいることで、すごく励みになる」
エロラはそう言ってから、こうも付け加えた。
「もう一つ、バスクサッカーは他のスポーツの影響を受けているね。バスクの子供達は13歳になるまで複数のスポーツを奨励され、ギプスコア県では12歳までサッカークラブ所属も禁止されている(ちなみにバルサやマドリーなどは7歳からチームがある)。だから、週末はビーチサッカー大会に参加。あのシャビ・アロンソもビーチで鍛えられた。自分の場合は父の影響でペロタをしていたね。硬球を壁に打ち返し、競うゲームさ。結局はGK一本にしたけど、クロスやシュートの対応でペロタは基礎になった。ボールの軌道を読むことやインパクトとか、伝説のGKアルコナダもペロターリだったんだ」
サッカーと並ぶ人気スポーツ、ペロタ
ペロタはバスクボールとも訳され、ペロターリはその選手を指している。ジュドポームというスポーツの派生で、テニスがラケットで相手と打ち合う進化を遂げる一方、ペロタは素手でボールを壁に激しく打ち返し、競い合い、逆に原始化した。
ペロタはバスクの国技とも言える存在だ。日本における相撲に近いだろうか。昔からバスク人に親しまれ、サッカーと並ぶ人気スポーツになっている。
その存在は、バスクサッカーのベースに影響を与えていると言われる。
「サッカーとの関係性?正直、分からないよ。でも、自分はボールを打つのに夢中だった。サッカー選手も同じことだろう」
21歳で新進気鋭のペロターリ、アシエル・アルテアガは肩をすくめ、そう明かす。ペロタの競技場であるフロントンでは、他の選手が壁にボールを打つ、甲高い音が響いていた。
「硬い球を壁に向かって手で打つわけで、時間ごとに苦しさは増す。だから力強さは欠かせないんだけど、それよりもボールのインパクトが大事。手のひらのどこで、いつ、どのようにボールを叩けるか」
アルテアガは座ったまま、テープをちぎって器用にグローブを作った。手のひら、薬指の下あたりでボールを叩く。その手を多少プロテクトするためだが、素手からして大きく肉付きも良く、鍛錬は一目瞭然だった。
「ペロタとサッカーとの共通点は、GKだけでなく、ストライカーにもよく出てる。一つは反射神経だけど、それよりも予測かな。ボールがどこに落ちてくるのか、それに準備し、的確に対応する。ストライカーのクロスからのボレーやヘディングとかも同じだね。力や高さがフォーカスされがちだけど、タイミングなんだよ」
ティコのロングシュート、アギレチェのヘディング
バスクではどんな小さな村にも、フロントンが存在する。一方、サッカースタジアムはそこまで多くはない。しかしどちらの競技も人気を誇り、影響を受け合っている。
例えばアスレティックで活躍し、スペイン代表になったティコはナバーラ出身で、現役時代はロングシュートで有名だった。少年時代、ペロタに親しんだティコは練習後もフロントンに残って壁にサッカーボールを蹴り、強いキックをマスターしたという。跳ね返ったボールをダイレクトで蹴り続けるには、強く正しくボールを叩かなければならない。
「クラブの施設内にフロントンがあるから、チームメイト同士でたまにプレーしているよ」
そう語ったのは、バスクを代表するストライカーであるイマノル・アギレチェだ。サイドからのクロスをゴールに叩き込む、その技術は職人的。バスクではヘディングのシューターが多いが、その典型だろう。
「自分は子供の頃、サッカー、ハンドボール、ペロタを満遍なくプレーしてきた。13歳でプロを目指すようになってから、サッカーに絞ったけどね。異なるスポーツをしてよかったのは、自分の体の動きを知れたこと。どこまで体は動くのか、どうやったら早く動かせるのか。例えばジャンプし、ボールを叩く、そのタイミングを計算できるようになった。味方との呼吸を合わせる、というのも学べた。ペロタは基本、2対2だからね。クロスはタイミングが少しでも違ったら合わない。相手のくせを見抜いて、自分の求める場所を伝えるのが重要なんだ」
バスク人は共闘精神を重んじる。チームはバスク人中心となるだけに、仲間とともにいかに守り、いかに攻めるか、が重要になる。そのプレーに派手さはないが、自然と責任感が増し、質実剛健なプレースタイルになる。
そうした土壌こそ、バスクの根源的な強さだろう。
精鋭集団を生むために、力を結集
「我々の人材は限られ、精鋭集団になる必要があるでしょう。まずはスカウティングが大事。最小で最高の結果を出すために、トレーニングでは要求をし続けます」
トップチームの下部組織出身選手率はバルサをも凌ぐラ・レアル・ソシエダの育成ディレクターであるルキ・イリアルテは、その哲学を淡々と語っている。
「ラ・レアルはギプスコア県のすべてのクラブと協定を結んでいます。選手を供給してもらう代わりに、資金や医療を提供。我々を中心に一つの家族となって、みんなが高め合っています。昨シーズンは我々のトップチームの選手と別に、欧州の1部と2部で25人もがプレー。その数字は自分たちには誇りです。育成こそ、自分たちの基礎ですからね」
ラ・レアルはギプスコア県外のクラブも含め、68クラブと提携。年間で約1億円を提携費用に充てている。アスレティックもビスカヤ県とそれ以外の人材を集めている。それぞれがバスクの力を結集しているのだ。
スポーツ精神が日々の生活と一体化
単純な肉体の強さが本質ではないのは、取材を通じてわかった。しかし、実際にバスクには力そのものを競うスポーツが少なくない。
そこでバスク地方、港町であるサラウスの山奥深くを訪ねた。怪力たちの住処があると聞いたからだ。
空は晴れ渡って、地上に近い。放牧された羊や牛たちが悠然と草を食んでいた。バスクは侵略を受けると山に逃げ込み、点々と拠点を持っていたことで、ローマ帝国やイスラム王朝からも完全に支配されることはなかったという。その山の中腹にある一角、小屋の一室は饐えた匂いがした。
「オソンド!」
三代にわたって石持ち上げ選手のイセタ一家、祖父は巨体を揺らし、孫をバスク語で「いいぞ!」と励ました。
「この競技、大人は1分間で100キロ以上の石を20回は上げる。怪力と思うかも知れないが、9歳の孫も片手で30キロの石を連続で持ち上げられる。力だけでは上げられない。持ち上げる技が重要なのだ」
大会賞金は2000ユーロ程度(約26万円)だが、賭けによる稼ぎの方がずっといい。石持ち上げだけでなく、丸太斧切りも一家の得意芸。たった1分間で丸太を断ち割る。
バスクでは、スポーツ精神が日々の生活と結びついている。地域伝統スポーツは、どれも従事する仕事に起源がある。丸太斧切り、石持ち上げは建築業、ボート競技は漁業、芝生刈り競争は農業、牛乳瓶走は畜産業。バスク人はスポーツとさえ認識せず、そうやって日常的に競い合ってきた。
「父ちゃんやじいちゃんがやってなかったら、石持ち上げはやってないさ。サッカー選手?僕は石持ち上げの選手になる。丸太もいいけどね」
孫の言葉に、祖父は顔を綻ばせた。誰もがサッカー選手を目指しているわけではない。しかし、その根っこは同じか、とても似ている。
バスク人は大柄でエネルギッシュだ。しかし力を恃みにしない。苦しさを苦しさと思わない精神で、力を技術に変換し、苛烈に戦う。その個人がまとまった集団は不屈だ。
「バスク人として逞しい男になってほしい。それだけだよ」
祖父は言い、太い腕を組んだ。孫がはにかむ。撮影が終わっても、少年が一人で丸太を斧で叩き続けていた。
撮影 中島大介
Photograph by Daisuke Nakashima
【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画につい て、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動 は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】