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【光る君へ】藤原道長の妻・源倫子と源明子は、なぜ明暗を分けたのだろうか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
京都御所。(写真:イメージマート)

 大河ドラマ「光る君へ」の主人公は「まひろ」であるが、藤原道長の妻・源倫子と源明子も注目される存在である。2人は名門貴族の娘だったが、くっきり明暗を分けたので、その辺りを考えることにしよう。

 倫子は、左大臣を務めた源雅信の娘である。倫子が道長と結ばれたのは、永延元年(987)のことである。道長は22歳で、倫子は2歳年上の24歳なので姉さん女房だった。

 2人の結婚は、雅信にとって悪くない話だった。とはいえ、道長の今後の出世が未知数だったので、倫子を一条天皇の后にしたいとの考えもあったようである。

 2人はたくさんの子に恵まれ、のちに娘の彰子は一条天皇の中宮に、同じく女の妍子は三条天皇の中宮に、同じく威子は後一条天皇の中宮になった。

 長男の頼通は摂政、関白、太政大臣を務め、五男の教通も関白、太政大臣を務めた。倫子もまた従二位に叙され、正妻としての確固たる地位を築いたのである。つまり、倫子だけでなく、産んだ子供たちは幸運に恵まれたといえよう。

 一方の明子は、左大臣を務めた源高明の娘である。明子が道長と結ばれたのは、永延2年(988)のことだった。もちろん倫子が正室であり、明子が側室である。ところが、父の高明には問題があった。

 高明は醍醐天皇の皇子だったが、源姓を与えられて臣籍に入った。その後、順調に出世を重ね、ついに左大臣に就任したのである。そんな高明を不幸のどん底に陥れたのが安和の変だった。

 高明の娘の1人は、村上天皇の皇子・為平親王の后だった。康保4年(967)、藤原氏は守平親王(のちの円融天皇)を皇太子に据えることに成功したが、なお為平親王の存在を脅威と感じていた。そこで、藤原氏は高明を失脚させることによって、為平親王をも排除しようと画策したのである。

 安和2年(969)3月、源満仲の密告により、謀反の疑いで橘繁延と僧蓮茂らが逮捕・尋問された。その後、高明が事件に関与していたとされ、大宰員外帥に左遷されたのである。事件後、右大臣の藤原師尹が左大臣になるなど昇進した。この事件は、藤原氏の陰謀だったといわれている。

 その影響もあったのか、明子が産んだ男子のうちでは、頼宗が右大臣まで昇進したものの、摂政、関白の座に就くことはなかった。天皇に入内した女子もいなかった。こうしたことは、いかに陰謀だった可能性があるとはいえ、高明の事件が関係していたと思われる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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