新千円札「北里柴三郎」とは 初代千円札は誰か知っていますか?
2024年7月3日から新しい日本銀行券(紙幣)が発行されます。主たる目的は、偽造防止の強化です。デザインが変わるのは、2004年以来20年ぶりです。今回取り上げる千円札は、野口英世から北里柴三郎へ変更されます。
千円札の歴史
最初の千円札は日本武尊(ヤマトタケル、やまとたけるのみこと)です。古代神話に登場する英雄で、諸説ありますが、西暦100年あたりに活躍していたそうです。
戦時のインフレの懸念から額面の大きな紙幣が必要になったため、日本武尊の千円札は取り急ぎ発行されたものです。わずか1年しか流通していません。
その後、千円札は聖徳太子、伊藤博文、夏目漱石、野口英世と変遷し、2024年7月3日から北里柴三郎に変わります(図)。
- 画像クレジット:上から順に①Series Ko 1000 Yen Bank of Japan note. Portrait: Yamato Takeru no Mikoto. Takebe shrine, Shiga prefecture. First issued in 1942 (Released for circulation in 1945). Demonetized in 1946.(CC BY-SA 4.0)、②パブリック・ドメイン、③パブリック・ドメイン、④パブリック・ドメイン、⑤パブリック・ドメイン、⑥独立行政法人 国立印刷局 2024年度発行予定の1000円紙幣(CC BY-SA 4.0)
新千円札はすでに2021年から製造されています。これは、前回のE号券の改刷時に準備期間が短かったことから、自動販売機やATMの対応が間に合わなかった反省によるものです。
北里柴三郎とは
北里柴三郎(写真)は、結核菌を同定したコッホの弟子にあたる細菌学者です。破傷風菌の純培養に成功し、破傷風毒素に対する血清療法も確立しました。ペスト菌を発見したのも彼です。
北里は「キタザト」「キタサト」の2つの読み方があります。実は、北里大学は「キタサト」、北里柴三郎記念館は「キタザト」のように一貫していません。これには理由があり、留学先のドイツで「キタザト」と呼んでもらうため、ドイツ語表記で「ザ」と読む「sa」を使ったことから、署名が「Kitasato」になったというものです。
1913年に北里柴三郎の提唱のもと、日本結核予防協会が設立されました。1923年に財団法人となり、新一万円札になる渋沢栄一を会頭に迎えて、北里柴三郎は理事長に就任しました。この団体は、結核予防法(現在は感染症法に併合)の制定を目指して調査研究や当局へはたらきかけを行いました。1939年に財団法人結核予防会(現在の公益財団法人結核予防会)の設立後、解散しています。
さらに、北里柴三郎によって設立された「土筆ヶ岡養生園」は、日本最古の結核療養所とされています。彼は結核にゆかりが深く、1923年に日本結核病学会(現在の日本結核・非結核性抗酸菌症学会)も設立し、初代会長になっています。結核に関する医学書の多くの編さんにも関与しています。
まとめ
北里柴三郎は、教科書では「近代医学の父」として知られています。2024年6月現在流通している千円札に描かれている野口英世など、多くの弟子の指導・育成にも取り組みました。
結核予防に尽力した渋沢栄一と北里柴三郎。まさか自分が100年後の紙幣になるとは、ゆめにも思っていなかったでしょう。