<シリア>アフリン侵攻1年、故郷を奪われたクルド住民(写真5枚+地図)
◆香川県ほどの広さのアフリンをシリア武装諸派とトルコ軍が攻撃
シリア北西部アフリンは、トルコ国境に接する町だ。オリーブの木がつらなる緑豊かな土地に、多くのクルド人が暮らしてきた。内戦後、早い段階からクルド主導の行政機構が統治してきた。(玉本英子・アジアプレス)
昨年1月末、隣国のトルコ軍は、香川県ほどの面積のアフリンを、戦闘機数十機で爆撃、地上ではトルコの支援を受けたシリア武装諸派が攻撃した。
「クルド・テロ組織の排除」が理由とされたが、空爆などで一般市民も犠牲となった。2か月間にわたる作戦で町は制圧された。死傷者は1000人以上。イスラム武装過激派が町や村を支配することへの恐れから、15万人を越える人びとが脱出した。
◆追われた家、その後、武装組織の家族が転居
「これまでの人生のすべてを奪われた」。
北西部コバニの親戚の家に身を寄せるデルウシュ・ナスロさん(55)は、涙が止まらなかった。幼い頃から働き、農業で成功した彼は、アフリンに4つの家を持つまでになった。
そこをトルコ軍が爆撃、親戚2人が死んだ。家族は町を脱出したが、彼だけはアフリンにとどまった。家や、先祖代々受け継いできた土地、オリーブの木800本のことが気になったからだ。
デルウシュさんは市内に残ったものの、村の家が心配になり、戻ることにした。家の扉の鍵は壊されていた。
中に入ろうとすると、ひげを長く伸ばしたイスラム組織の戦闘員らしき男が出てきた。デルウシュさんが「ここは私の家です」と言うと、男は「家は我々のものだ。奥には家族の女たちがいる。入ると殺す」と彼を殴った。
そして「我々は東グータから来た」と言った。
東グータは首都ダマスカス東部にある地区で、反体制武装諸派が拠点にしてきた。シリア政府軍は「テロリスト掃討」の名目で、昨年2月18日、大規模な攻撃を始めた。
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その日から1週間のあいだに1000人以上の市民が空爆や砲撃で死亡したといわれる。
その後、3月下旬、東グータでは、反体制派が政府軍と部分合意。戦闘員と家族らはバスで他の反体制派拠点地域へ移動した。多くは北部イドリブの避難民キャンプなどへ移り、一部は武装組織の手引きでアフリンに移住した。
デルウィシュさんは言う。
「東グータの人たちが、アサド政権に家族を殺されたのは知っている。故郷を追われてアフリンに来るのもいい。だが、家や財産すべてを奪い、私たちを追い出すのはあまりにもひどい」。
4か月後、デルウィシュさんはアフリンを脱出し、コバニで家族と合流した。
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娘のバロズさん(19)は、ある日、見知らぬ人から携帯電話にSNSメッセージを受け取った。
「誤解しないで、私たちは東グータから強制的に移住させられたの」。
自分の家に入り込んで住み始めた女性らしき人物が、バロズさんの部屋から連絡先を手に入れ、送ってきたようだった。しかしバロズさんは到底許すことはできなかった。すぐに受信拒否にして削除したという。
東グータから逃れた住民に私は連絡を取り、アフリンへ移った人はいないか聞いた。しかし、誰も知らないとのことだった。敢えて答えなかったのかも知れない。
現在、アフリン住民の多くが脱出、お年寄りなど少数が残る。しかし電話やSNSで連絡を取り合うのは容易ではないという。トルコの情報機関に盗聴されているという噂が広まり、住民たちが話すのを恐れたからだ。
戦争は被害者と加害者を容易に分けることはできず、すべての人びとを巻き込んでいく。
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(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2019年02月05日付記事に加筆修正したものです)