昭和の食文化 回転寿司 消えていく回転レーン
回転寿司 昭和の食文化
回転寿司は、回転するレーン、寿司シャリ機を厨房に導入したことで値ごろな価格でも収益構造を生み出し、昭和の象徴的な食業態といえる。しかし、ここにきて回転レーンがなくなりつつある。食の潮流が変わり、寿司においても、昭和の食文化から平成の食文化に移行しているのだ。
回転寿司の幕開け
1958年、大阪で「元禄寿司」が回転寿司の店舗をオープンしたことが始まりである。
同年、「インペリアルバイキング」を帝国ホテルで提供したことで、人気を博し、ブッフェが誕生。回転寿司とブッフェという業態が、奇しくも同じ年に誕生したことは興味深い(後述)。
その後、外食産業の幕開けとされる1970年、万博で紹介されたことで一気に回転寿司の存在が知られることとなる。
レーンに並んだ、寿司を眺めながら、どれにしようか、と悩む。考えるうちに目の前から、くるりとあっという間に過ぎ去ってしまう。それをあたふたしながら、お皿をとるのは、ある意味、スリリングであり、小さな感動があった。
外食と中食の違い、外食でロスが発生する業態とは?
外食といえば、お客様がメニューを見て、注文して提供。その場で瞬時に食べられ、出来立てであり、注文後のロスが発生しない。これがおおむねの外食の特徴である。
では中食は、というと・・・基本、作り置きが主流であり、そのため、陳列しても購入してもらえないと、ロスが発生する。この点が外食との大きな違いがあり、外食から中食に参入しようと幾度となく挑戦した企業は多々ある。しかしこの違い、そして難しさがわかると断念する。
そんななか、外食で唯一、提供後にロスが発生する業態というと、同じ年1958年に誕生した回転寿司とブッフェなのである。
より身近なものとなった寿司、それが回転寿司
さてさて回転寿司に戻ると、本来、ハレの日本料理であった寿司を回転させて効率化、直径15センチの皿に2巻100円という設定にすることで、一気に日常食として定着させた。郊外型だと初期投資1億以上かかるとされ、この価格設定での提供が実現できたのは、仕入れを吟味し、高原価にすることで品質を保ちつつ、徹底した厨房でのシステム化を進め、高い売り上げにする。そして売り上げが上がれば上がるだけ、他の業態より低い人件費となり、ようやく成り立つビジネスであった。そのような厳しい損益分岐点でのビジネスであるため、もちろんロスは死活問題なのである。
その上、顧客の目も厳しい。
品質が良くないと売れない
「原価率を1%でも落とすとたちまちお客様が遠のくのです」
大手寿司チェーンの幹部は言われる。
回転寿司は40%以上の高原価であるにもかかわらず、1%でも落とすものなら顧客は容赦ないのだ。
現状、日本の魚仕入れはことごとく買い負けが生じ、高騰している。品質を維持するべく、1皿100円という枠では収まりきらなくなっている。人件比率も他の業態より低いとはいえ、全体に人件費が押し上げているため、これまでの収益構造では難しくなっている。
より鮮度、そして高級化、多様化 脱寿司化?
ということで、
原料の高騰から
・1皿100円2巻→1貫へ
・メニューの拡大→デザート、麺、つまみ、天ぷらなどの充実
といった状況になっている。寿司業態というイメージから離れてきているとの声も。
さて寿司については、単品管理をすることでロス軽減させるべく、回るレーンからタッチパネルの高速レーンに移行にしている。顧客にとって、自分の食べたい寿司をより早く食べられ、鮮度も以前より良い。店にとっても、単品管理でき、ロスが少なくなる。双方にとって良いのである。
そこで最近の寿司動向をみると
スシローでは回らない新業態を・・・
顧客の食への変化もさることながら、既に郊外での回転寿司の出店は飽和状態と言われている。残された立地を考えると都市部への出店となる。当然、賃料も高いことから、限られたスペースでの戦いで、タッチパネル(高速レーン)もしくは新たなる業態となる。つまり回らないのである。
これまでのように寿司が回りながら、「もうすぐ食べたい○○の寿司が来る」と待ち構える楽しさは、すでにのどかな時代だったと過去系になりつつあり、一抹の寂しさもある。しかし回転寿司は過渡期に入っており、時代は瞬く間に変化している。