6部からスペイン代表へ。這い上がった遅咲きの男、ハイメ・マタの物語。
30歳で、初めてA代表に辿り着いた。
ルイス・エンリケ監督が3月15日に発表した招集リストに、彼の名前はあった。ハイメ・マタ。今季開幕前にヘタフェに加入して、ストライカーとしての本能を爆発させている選手だ。
■思い描いていた人生
ハイメ・マタのキャリアを遡ると、不思議な事実が浮かび上がってくる。
まず、彼は常に移籍金ゼロで他クラブに移籍してきた。これは非常に珍しい。例えば、代表の同僚であるアトレティコ・マドリーのアルバロ・モラタに関しては、レアル・マドリー、ユヴェントス、チェルシーと複数クラブが合計で1億1160万ユーロ(約138億円)の獲得資金を費やしている。
ペガソ、ソクエジャモス、モストレス...。この中に、聞き覚えのあるクラブ名が、あるだろうか。ここに挙げたのは、ハイメ・マタが所属してきたクラブの名前である。プリメラ・レヒオナル(地域1部にあたる実質6部リーグ)、プレフェレンテ(5部)、テルセーラ(4部)というカテゴリーでプレーしていたから、馴染みがなくて当然かもしれない。
実際、ハイメ・マタはサッカーのない人生を思い描いていた。
後期中等教育に相当する「バチジェラト」を卒業すると、大学に進学して4部でプレーしながら法律学を専行した。しかし、まもなく、彼は大学を辞める決断を下す。ただ、理由はサッカーではなかった。
「余りにも自由だった。もっと、授業が義務付けられるような、規律のある生活が必要だった。だから、大学を辞めて、経営と財政を学び、資格を取得した。その後、国際貿易についても同様に学び、資格を取得した」
■転機
もとより、プロ志望ではなかった。転機が訪れたのは、24歳の時だ。ジェイダ(当時2部B)からオファーが届いたのである。
「仕事を始めようと考えていた頃だった。2年契約だったんだけれど、サッカーで生活するという経験をしてみようと思って、移籍を決めたんだ」と、ハイメ・マタは振り返っている。
ジェイダでは、移籍1年目に14得点、移籍2年目に15得点をマークした。そのマタに、ジローナが強い関心を寄せる。そして、2部で戦っていたジローナに加入すると、26歳でプロデビューを飾った。
ジローナでは82試合に出場して21得点を挙げたものの、2年連続で昇格戦に敗れ、目標として掲げていた1部昇格は果たせなかった。そして、2016年夏にバジャドリーに移籍。バジャドリーでは、17-18シーズンに35得点とゴールを量産して、バジャドリーの1部昇格に大きく貢献した。だが、彼自身は契約終了に伴い、地元マドリッドに拠点を置くヘタフェへの移籍を決めた。
■道のり
先の招集リストが発表されるまでに、ハイメ・マタは13得点9アシストを記録していた。スペイン人選手だけの得点ランクにおいては、トップに位置。堂々のA代表招集であった。
かくして、3月23日に行われたEURO2020予選ノルウェー戦で、88分にモラタと交代でピッチに入り、A代表デビューの瞬間が訪れた。
「素晴らしいデビューになった。リードしたまま試合を終わらせるため、チームに貢献したかった。いま、僕の身に起きていることは、本当に夢のようだよ。この夢が少しでも長く続くように、僕は働き続けなければいけない」
一年前まで、ハイメ・マタの名前を知る者は、ほとんどいなかった。しかし、彼は言う。
「テルセーラ(4部)でプレーできるようになった時、すでに光栄なことだと思っていた。専用のマッサージルームがあるだけで、信じられなかったんだ」
謙虚な男は、フル代表まで上り詰めても、満足していない。偶然と神の差配が複雑に絡み合うフットボールの世界だからこそ、彼のような選手が現れるのである。ゴールを重ねて扉をこじ開けてきたハイメ・マタの、終着点はまだ先だ。