さよならbjリーグ、惜別のファイナルズ
今秋に開幕する新プロバスケットボールリーグ『Bリーグ』の誕生に向け、統合される『bjリーグ』『NBL』は歴史に幕を閉じる。そのbjリーグのファイナルズの会見が13日、東京・有明コロシアムで開かれた。
2005年、企業スポーツのあり方に限界を感じ、河内敏光コミッショナーらがプロバスケのbjリーグを立ち上げた。様々な試練を乗り越えながらも、発足当初6チームだったリーグが、いまや地域密着の24チームの人気リーグとなった。
バスケットボールをラブする河内コミッショナーは「bjリーグの最後のゲームがここ有明コロシアムではじまる。思えば11年前、2005年11月5日、リーグの開幕戦もここからはじまった」とあいさつした。会見後、心境を聞けば、「さみしさというより、いまは喜びの方が大きい」と笑顔を浮かべた。
「何回か、ひとつ(のリーグ)になろうというプロ化検討委員会みたいなものをやってきましたので…。やっと統一リーグが決まって、東京オリンピック・パラリンピックに向かって、そして日本バスケットのメジャースポーツ化に向かって、突き進んでいくことになります。最後(ファイナルズ)は、たくさんのブースター(ファン)が会場に来てくれると思いますので、一緒になって、“11年間、よかったなあ、面白かったなあ”と言い合って終わりたいですね」
bjリーグは地域密着をうたい、“アリーナ・エンターテーメント”を追求してきた。結果、観客動員ではNBLをしのぐまでに発展した。各チームの企業努力のなせる業であるが、日本において「アリーナスポーツ」の可能性を示した功績はおおきい。こういったリーグ理念はBリーグにもひきつがれていくことになるだろう。
もちろん、リーグ統合の一番の目的は、2020年東京五輪パラリンピックなどに向けた日本バスケットの強化にある。
歴史に刻まれる最後の王者を争うのは、ウエスタンカンファレンスから「京都ハンナリーズ」と「琉球ゴールデンキングス」、イースタンカンファレンスから「富山グラウジーズ」と「秋田ノーザンハピネッツ」。リーグ初年度の参加チーム(オリジナル6)がいないのはちょっと寂しいが、14日、15日と熱戦が展開されることになる。
最後のbjリーグの感慨や功績について、ファイナルズの4人のヘッドコーチ(HC)に聞いた。
▽京都・浜口炎HC
「(2005年)私は幸いに仙台のヘッドコーチから始めさせていただき、最初の舞台である有明に立たせてもらいました。11年経って、チーム数も増えて、最後にまた4つのファイナルズに残って、この記者会見に参加していることをうれしく思います。チームとしても、リーグとしても、非常に成長したなあと感じています」
▽琉球・伊佐勉HC
「リーグ最終年度ですけど、私はずっと琉球キングスにいました。キングスは3シーズン目から参入しましたけれど、毎年、(チームもリーグも)レベルが高くなってきました。功績といえば、なんといっても子どもたちがバスケットボールのプロ選手をまじかでみられて、プロ選手になるという夢が持てるようになったことではないでしょうか」
▽富山・ボビー・ナッシュHC
「bjリーグの素晴らしいビジョンがあって、私もまた、HCをする機会をもらった。各国から選手もきて、ユニークなリーグになったと思う。(スポンサーとして)グローバルなブランドもリーグに貢献してくれている」
▽秋田・長谷川誠HC
「11年前、プレーヤーとして、この場に立てて、そこから素晴らしいbjリーグの歴史が始まった。日本のバスケットボール界に大きな影響を受けたリーグだと思っています。プロバスケットボール選手を目指そうという子どもたちがたくさんいます。それはbjリーグができたからだと思っています。ものすごく日本のバスケットボール界に大きな影響を与えたと思っています」
同感である。日本バスケットボール界に多大な影響を与えたbjリーグが、その歴史に幕を閉じる。惜別と敬意と称賛を。