ファイナル進出を決めたセルティックスが、レジェンドに捧げた勝利
東地区1位でプレイオフに勝ち上がったボストン・セルティックスが、現地時間27日にアウェイでインディアナ・ペイサーズを105-102で下し、今シーズンのファイナルに駒を進めた。第4戦は、一進一退のクロスゲームだったが、試合終了間際にデリック・ホワイトが3ポイントシュートを決め、劇的なフィナーレを飾った。
地区決勝は4連勝でのスイープ。筆者はペーサーズ戦の前に「中5日と、次戦までに十分な休養を得られたセルティックス有利」と記したが、予想以上の強さを見せている。
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セルティックスはこの3年で、2度目のファイナル出場となる。東地区ファイナルのMVPはジェイレン・ブラウンが受賞。ブラウンは「MVPをもらえるなんて、思ってもみなかった。俺、勝ったことが無かったからさ…」とコメントした。
また、セルティックスのオーナーであるウィク・グラウスベックは、地区ファイナル最終戦当日の未明に、71歳で永眠したビル・ウォルトンにこの勝利を捧げると語った。
1985年から1988年までセルティックスに所属したウォルトンは、1977年、1986年と2度NBAチャンピオンとなったセンターで、1993年に殿堂入りを果たしている。
ウォルトンが音楽教師と社会福祉士の二足の草鞋を履いていた父、図書館司書だった母の下にカリフォルニア州ラメサで生まれたのは、1952年11月5日。スポーツ以上に音楽、芸術、文学、政治に関心のあった両親は、ウォルトンに音楽のレッスンを受けさせた。が、小学生時代にバスケットボールとの出会いが訪れる。
当時、吃音に悩まされていたウォルトンは、内気で控えめな少年であったが、自分の居場所を見付けたのだ。
1977年にNBAファイナルで、翌シーズンはシーズンのMVPを獲得したウォルトンは、ビギナーだった頃を振り返っている。
「最初のコーチ、フランク・グラシアーノが痩せっぽちだった私に、バスケットボールの楽しみを教えてくれた。プレーする喜びを味わわせてくれたんだ」
1985年、そんなウォルトンが自身3チーム目となるセルティックスのユニフォームを着てコートに立った折、ファンはおよそ1分間のスタンディングオベーションで、彼を迎えた。このシーズンの彼は、キャリアハイとなる80試合に出場している。
西地区のファイナルはダラス・マーベリックスがミネソタ・ティンバーウルブズに3連勝し、こちらもスイープかと思わせたが、第4戦でティンバーウルブズが粘りを見せ、105-100で勝利。本日、5戦目が行われる。
休養と調整時間というアドバンテージを取ったセルティックスが、ウォルトンのレガシーを武器にファイナルでも躍動するのではないかーーー筆者はそう見ている。