藤井聡太七冠の新たな挑戦。なぜ大一番で『右玉』を採用したのか
9月12日(火)に第71期王座戦五番勝負第2局が行われ、挑戦者の藤井聡太七冠(21)が永瀬拓矢王座(31)に勝利しました。
これによりシリーズの通算成績は1勝1敗のタイとなりました。
永瀬王座が角換わりを採用し、対する藤井七冠は右玉に構えました。
この右玉は古来からある作戦ながら、B級戦法と見られて公式戦で積極的に採用されることなくきていました。
しかし、この重要な対局で藤井七冠が採用して、見事に勝利しました。
藤井七冠は過去に流れの中で右玉の陣形を採用したことはありますが、最初から右玉を選んだのは初めてでしょう。
右玉は今ブームの兆しがあり、今後のトレンドになる可能性がある作戦です。それについて詳しく解説していきます。
昭和のB級戦法が令和の有力戦法に
図は互いに陣形を組み上げたところです。
相居飛車では後手は通常、左(3筋寄り)に玉を持っていきますが、この図では右(7筋寄り)に玉を配置しています。この陣形を「右玉」と呼びます。
以前の感覚では、この右玉は陣形的に違和感のあるものでした。
しかし、この局面を別の視点から見てみましょう。
令和の時代に入り、角換わりでは図のように二段金+下段飛車が定番の配置となりました。
この図で玉が4二や3一にいれば、角換わりにおいて一般的な陣形です(5四歩→5三歩の違いアリ)。
現代の角換わりは超攻撃的で先手がすぐに攻めてきます。その時に玉の位置が4二や3一だと相手の攻撃陣と正面から対峙するため、あらかじめ7二に玉を据えるのも自然な考え方です。
そもそも以前より右玉では二段金+下段飛車の構えをとっていたのです。実は素晴らしい配置の陣形だったことが令和になって再認識されたといえます。
このような発想から、昭和のB級戦法が令和の時代に有力な作戦と生まれ変わったのです。
右玉の流行
右玉といえば、先日行われた第94期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負と伊藤園お~いお茶杯第64期王位戦七番勝負で後手番の佐々木大地七段(28)が採用していました。
勝利への困難な旅!藤井聡太七冠に勝つための"3つの険しい山"
当時の記事でも右玉について解説していますので、ご参照ください。
佐々木七段が藤井七冠の対策として採用するほど、若手棋士の中では右玉が有望視されていたのです。
筆者もそれを肌で感じており、練習対局で若手相手に角換わりを用いると右玉を選ばれることが増えており、苦戦を強いられています。
ABEMAで解説を担当した増田康宏七段(25)も右玉の流行について触れていました。実際に公式戦で、増田七段に対して奨励会三段が右玉で勝利をあげてファンを驚かせたこともありました。
棋士を目指す奨励会の三段には右玉の専門家が複数いるようで、結果も残しています。
流行は若い人が作るものです。藤井七冠が右玉を採用して勝利を収めたことで、本格的な流行が訪れる可能性が高まっています。
右玉が注目されている他の要因として、角換わりの後手番が苦戦していることもあげられます。
9月13日現在、2023年度の先手角換わりの勝率は5割6分で、後手の苦戦は数字に表れています。
この背景から、後手番の選択肢として右玉が急浮上しているのです。
第3局でも右玉が登場する可能性も
令和の時代の右玉は攻撃的です。その特徴が現れたのは、藤井七冠が指した△6五歩の一手でした。
将棋の格言に「玉飛接近すべからず」というものがあり、通常、攻めの駒と玉は離れて配置するべきだとされています。
玉がいるために飛車がいる側から戦いを起こすのはリスクが高く、昭和の右玉は相手の攻めを待つカウンター重視の戦い方でした。
しかし、令和の右玉はスキあらば動いてきます。この辺りは将棋AIの影響もあり、右玉側が△6五歩のように自玉の近くで戦いを起こしても問題ないと示しているのです。
この後、藤井七冠は6筋を制圧することに成功して戦いの主導権を握りました。
角換わりの後手番で、先手に主導権を渡さずに戦いを進められたのは作戦選択として成功といえます。
そして難解な中盤を経て、最終的には入玉して長手数の戦いを制しました。
後手番の藤井七冠にとって、右玉で非常に大きな1勝をあげました。
次局は藤井七冠の先手番となりますので、角換わりを志向するでしょう。
それに対して永瀬王座がどんな作戦を持ってくるか注目です。もし右玉を採用するなら、本格的な右玉ブームが訪れるかもしれません。
第3局は9月27日(水)に、愛知県名古屋市「名古屋マリオットアソシアホテル」で行われます。お見逃しなく。