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「モアイ」って帽子かぶってたっけ

石田雅彦科学ジャーナリスト
プカオという帽子を載せたモアイ(写真:アフロ)

 南太平洋の孤島、ラパヌイ島(Rapa Nui、イースター島)については、考古学的にも文化人類学的にも依然として謎が多い。

モアイを「歩かせて」移動する

 例えば、巨岩彫刻のモアイについてだが、残された最大のもので高さ10メートル、重さ90トンという立像を採石場からどうやって運び、どうやって立てたのか、はっきりとわかってはいなかった。放射性炭素年代測定では、西暦1250年頃から1500年頃にかけて887体ほどが作られたようだが、どんな人たちがどんな目的で巨石をこのように細工したのかも謎だ。

 謎めいている理由は、島の住人にほとんど伝承が残っていないためだ。現在のラパヌイ(イースター)島は、行政的には南米のチリに所属している。だが、地理的にも南米大陸や他のポリネシアの島々と隔絶し、埋葬遺骨などの遺伝子解析(ミトコンドリアDNA)ではもともとの住民は、従来考えられていたように南米由来の人々ではなく、ポリネシア起源であることがわかった(※1)。また、遺跡調査でも南米との関連性は薄いとされている。

 ラパヌイ(イースター)島に最初にたどり着いた西洋人は、オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーン(Jacob Roggeveen、1659〜1729)だった。オーストラリアを目指した彼の探検隊は、1722年4月5日のイースターの日にラパヌイ島に至り、2000人から3000人の住民を見たと報告した(※2)。

 ロッヘフェーンはモアイも見ていたが、その後、古い祭事なども伝承されないほど島の人口は激減し、島の文化は崩壊した。その理由は、モアイを作る過程で起きた環境破壊とも西洋人の奴隷貿易(人狩り)とも疫病とも近親交配とも部族間の闘争とも言われている。かつて島を覆い尽くすほど生えていた巨大ヤシの木(disperta Paschalococos)がなくなっていることから環境破壊が主因と考える研究者が多いようだ(※3)。

 おそらく、環境破壊で打撃を受け、その後に奴隷貿易や疫病が追い打ちをかけて島の人口が激減したのだろう。また現在、部族闘争は否定的にとらえられている。

 いずれにせよ、モアイについては島民の文化を調べてもわからない。そのため、遺跡調査や考古学的な研究などを人類学と組み合わせて推理していくわけだが、ほとんどのモアイが海に背を向け、陸側を向いていることから先祖信仰や部族長の祭事目的で立てられたのではないか、と考えられている。また、採石場からの移動は実験により「モアイを歩かせた」のではないかという説(※4)が有力だ。

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モアイを「歩かせる」レプリカによる実験。垂直に立てたモアイの頭部に綱を付け、左右に振りながら前進させる。Via:Carl P. Lipo, et al., "The ‘Walking’ Megalithic Statues (Moai) of Easter Island." Journal of Archaeological Science, 2013

 モアイを立てた理由に信仰や権力誇示があったという根拠の1つは、モアイの一部に「プカオ(pukao)」という帽子をかぶったものがあるということも大きい。プカオの素材はモアイ本体とは異なり、島の南西にあるプナパウ(puna pau)という採石場で採れた赤い色をした軽い火山岩(scoria)によって作られている。赤い色の火山岩はプナパウでしか得られない。

 赤い色のプカオは、円筒形をしており、二段重ねのもの、上部へテーパーがかけられたものなどがある。また、放射性炭素年代測定により、プカオが作られたのは14世紀〜17世紀の間と考えられている(※5)。

 プカオが何を意味しているか、研究者によって意見は様々だ。ポリネシア文化には「マナ(mana)」という概念があるが、これはオーストロネシア語で「力」や「威信」「生命力」などを意味する抽象的な言葉だ。マナは頭部や髪の毛に宿るという考え方もあり、島民で高い階級の男性は帽子をかぶったり特徴的な「ちょんまげ」を結っていたりしていたらしい(※6)。いずれにせよ、赤い色に執着した形跡があり、信仰や呪術的な意味合いがあったと考えられている(※7)。

 重さ数トンにもなるプカオを、モアイの上にどう載せたのかということも議論になってきた。採石場からは転がして運び、モアイと同じくらいの高さに土を盛り、その上からずらしたのではないかという説(※8)もあれば、あらかじめプカオを載せたモアイを立てたのではないか説(※9)もある。

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プカオを転がして運び、盛り土をして載せた、という説。Via:Vincent R. Lee, "Awakening the Giant." Rapa Nui Journal, 2012

プカオの彫刻は何を意味するか

 また、最近の調査によれば、プカオには微細な岩石彫刻(petroglyph)がほどこされていることが新たにわかった。米国ニューヨーク州立大学機構に所属するビンガムトン大学などの研究者が、2次元カメラで撮影した画像から3次元解析するSfM(Structure from Motion)マッピング技術により、モアイの上のプカオとプナパウに残された13個の未完成のプカオを調べたところ、これまで考えられていたよりも多くの図形や文様が浮かび上がってきたと言う(※10)。

 この岩石彫刻が何を意味するか、まだはっきりとわかっていないが、部族間の平和や共存を意味し、共同体の協調や資源所有の共有のために彫られたのではないかと研究者は考えている。なぜなら、ラパヌイ島にはモアイに載せられていないプカオも多いが、その彫刻の種類は多様で、それらが領土主張や闘争を表現したものとは考えにくいからだ。

 だが、軽石で作られたプカオに彫られているため風化が激しく、肉眼ではほとんど判別できない。今回、SfMを利用することでかろうじて読み取れたようだが、研究者はこれらの遺跡の保存の必要性も強く訴えている。

 この論文で解析された彫刻は、かなり複雑で見ていると何か意味めいたものを感じる。ラパヌイの人々は文字で伝承文化を残していないが、もしプカオに彫られた模様にメッセージが込められているとすれば、いつかロゼッタストーンのように解読されるかもしれない。

※1:B A. Lie, et al., "Molecular genetic studies of natives on Easter Island: evidence of an early European and Amerindian contribution to the Polynesian gene pool." Tissue Antigens, Vol.69, Issue1, 10-18, 2007

※2:Jacob Roggeveen, "Plan and Views of Easter Isle, on the Same Scale." London, 1798

※3:Claire Delhon, et al., "The Vanished Palm Trees of Easter Island: New Radiocarbon and Phytolith Data." Gotland University Press 11, 2010

※4:Carl P. Lipo, Terry L. Hunt, Sergio Rapu Haoa, "The ‘Walking’ Megalithic Statues (Moai) of Easter Island." Journal of Archaeological Science, Vol.40, No.6, 2859-2866, 2013

※5:Sue Hamilton, "Rapa Nui (Easter Island)'s Stone Worlds." Archaeology International, Vol.16, 69-109, 2013

※6:W H. R. Rivers, "The statues of Easter Island." Folklore, Vol.31, No.4, 294-306, 1920

※6:Henry Balfour, "The statues of Easter Island." Folklore, 70-72, 1921

※7:Sue Hamilton, Mike Seager Thomas, Ruth Whitehouse, "Say it with stone: constructing with stones on Easter Island." World Archaeology, Vol.43(2), 167-190, 2011

※8:Vincent R. Lee, "Awakening the Giant." Rapa Nui Journal, Vol.26(2), 2012

※9:William Mulloy, "A Speculative Reconstruction of Techniques of Carving Transporting and Erecting Easter Island Statues." Archaeology in Oceania, Vol.5, Issue1, 1-23, 1970

※10:Sean W. Hixon, et al., "Using Structure from Motion Mapping to Record and Analyze Details of the Colossal Hats (Pukao) of Monumental Statues on Rapa Nui (Easter Island)." Advances in Archaeological Practice, DOI:10.1017/aap.2017.28, 1-16, 2017

※2017/12/26:0:56:最後のフレーズを追加した。

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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