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3度のがんを乗り越えた86歳の米国最高裁女性判事

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
多くの米国女性から慕われるルース・ベイダ―・ギンズバーグ最高裁判事(写真:ロイター/アフロ)

悪名高きRBG

 今年3月に86歳となり、最高齢の米国最高裁判事として活躍を続けるルース・ベイダー・ギンズバーグ判事。小柄で物静かな語り口ながら、女性の権利擁護を含むあらゆる差別と闘う信念にもとづき、幅広い法知識と冷静な判断力を駆使して、四半世紀あまりにわたり最高裁で炎のように強い意見を繰り出し続けてきた。

 真面目一方のイメージがあるが、オペラの大ファンで、2010年のオバマ大統領の一般教書演説では、その前に飲んだワインがたたって眠りこけてしまったり、2016年の大統領選ではインタビューでトランプ大統領を公然と批判してしまったりと、時々、素顔をのぞかせる。

 この数年は、その凛とした生き方に共感する女性達から、90年代に人気を博した黒人で巨漢のラッパー「ノトーリアス(悪名高い)B.I.G」をもじって、「ノトーリアスRBG(判事の名前の頭文字)」というあだ名で呼ばれるほどの文化的アイコンとなった。

 日本でも3月に同判事の伝記映画「ビリーブ 未来への大逆転」が公開され、5月10日にはドキュメンタリーの「RBG」も公開される。

3 度のがんサバイバー

 映画を見ればわかるが、ギンズバーグ判事は文字通り寝食を忘れて法務に没頭する完全なワーカホリックである。最高裁判事になって以来、昨年末までの25年間は、10月から翌年4月末まで頻繁に行われる最高裁の口頭弁論を欠席したことは一度もなかった。

 80代半ばでもリベラルの旗手として最高裁で活躍し続けるギンズバーグ判事が、今年に入ってはじめて欠席した理由が、3度目のがん手術の直後だったからと知ったら、驚く人が多いのではないか。同判事は、異なる3つのがんのサバイバーなのだ。

 1回目は1999年に発覚した大腸がんだった。前年に急性憩室炎という腸の疾患の治療を受けていたが、検査の結果、大腸がんであることがわかった。その時、ギンズバーグ判事は66歳だった。最高裁の会期が始まる前の9月中頃に手術を受け、一週間ほど入院した。

 治療は手術だけでなく、予防的な化学療法、放射線療法も行われた。しかし当時、同じ最高裁に籍を置くもう一人の女性、サンドラ・デイ・オコナー判事のアドバイスで、法廷を欠席しないですむよう、金曜日に化学療法を受けて、土日に休むといった工夫をしながら、9カ月にわたる治療を終えたという。

学業もがんも仕事も夫と支えあう

 ギンズバーグ判事が、こうした驚異的なバイタリティを見せたのは、この時がはじめてではない。判事はコーネル大学時代に同じ大学出身のマーティ・ギンズバーグ氏と結婚し、娘をもうけた。その後、子育てをしつつ夫とともにハーバード法科大学院で学んでいた際に、夫が精巣がんの診断を受けた。

 夫のがん治療中は、夫と娘の面倒を見ながら、夫の授業にもでてノートを取り、自分の授業にも出るという超人的な生活を送っていた。

 無事に治療を終えた夫のギンズバーグ氏も有能な税務弁護士となったが、結婚当初から妻の才能を尊重し、壊滅的に料理が下手な妻にかわって台所に立ち、子育ても引き受け、妻が最高裁判事になるための支援をおしまなかった。

 判事はかつて、「思いやってくれる人生のパートナーがいれば、お互いが必要とする手を差し伸べるもの。私は、私の仕事を自分の仕事と同様に大切に考えてくれる伴侶を持てた。それが私の人生を大きく変えたと思う」と話したことがある。

 ドキュメンタリー「RBG」では、ギンズバーグ判事が今も週2回、ジムでトレイナーについて、運動をするシーンがでてくる。これは、大腸がんの治療を終えて体重、体力を失った判事を心配した夫のアドバイスではじめた習慣で、以来、欠かすことなく続けているという。

早期発見という幸運

 高齢になるにつれ、なにかと病気のリスクも高まるもの。ましてがん治療の経験者は、のちに別のがんを発症することもある。

 ギンズバーグ判事も75歳の時に、今度はすい臓に1センチほどのがんが見つかり、2009年2月に再び手術を受けた。これは幸運にも、年に一度、判事が受けていた健康診断で偶然に早期発見できたため、手術だけで治療を終えることができた。

 その翌年、判事は56年間パートナーとして支えあった夫を、がんによる合併症で見送った。

 そして昨年11月。執務室で転倒し、肋骨3本を折る怪我をした。そしてその時にとったCTスキャンが、肺に二つの小さな腫瘍を映し出していた。

 85歳になったギンズバーグ判事は、クリスマス直前に肺葉切除の手術を受けた。転移などは認められず、治療は無事に終了。自宅療養を経て、手術からちょうど60日後に法廷に復帰した。療養中も法廷資料を読むなど自宅で仕事をしていたが、1月に行われた最高裁での口頭弁論6回は病気療養のために、はじめて欠席した。

がん=引退じゃない

 米国の最高裁判事は終身職で、最高齢のギンズバーグ判事の去就には常に注目が集まる。特にトランプ政権下の現在、保守派にとってはギンズバーグ判事が引退すれば、保守派の判事を指名できるチャンスである。

 ギンズバーグ判事がはじめて口頭弁論を欠席した1月、米国でも病気を理由に引退を促すような意見や、判事の肺がんは実は深刻な病状で余命は3カ月といったフェイクニュースも流れていた。がんサバイバーの私は、そうした心ない言論を目にしては「余計なお世話だ」と腹を立てていた。

 しかしギンズバーグ判事は、これまでと同じように淡々と強く、しなやかに自らの人生を歩み続けていた。判事は常々、「怒りやねたみ、恨みといった感情にとらわれてはいけません。そうした感情はエネルギーを奪い取って、時間を無駄にしてしまうから」と口にしてきた。また自らの去就については、「この年になると一年単位で考えないといけません。全力で仕事ができないと自分で判断する時まで続けます」と発言している。

自分の人生は自分で決める

 3月15日に86歳を迎えたギンズバーグ判事は、再び、3度目のがん手術の前と同じように、精力的に仕事をこなしている。

 今年1月、私はギンズバーグ判事が無理に法廷に出ることなく、自宅療養していることに安堵していた。がんの手術をしても、一度も法廷弁論を欠席したことがないという判事の使命感には頭が下がる思いだが、同時に病気になってもそこまでしなければ働く資格がないと思わせるような社会環境の容認にも思えたからだ。

 判事は、夫の、そして自らの人生で、何度もがんという困難に出会ってきた。社会環境や周囲の思惑などは気にとめず、家族を支え、支えられ、どんな時でもひたむきに自らが情熱を注ぐ最高裁判事としての職務に全力で取り組む。それがギンズバーグ判事の理想とする人生なのだろう。

 自然体で自分の信じる人生を、情熱を持って生きてきたからこそ、判事は幾度ものがん経験を凛とした態度で乗り越えてこられたのかもしれないと、ふと、思った。

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』(エスコアール)がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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