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強豪相手の好投で人生を変えた元オリックス右腕が社会人ジャパンの晴れ舞台アジア大会を振り返る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
2018年アジア大会での好投がきっかけでプロ入りした荒西(信濃グランセローズ)

 先週23日、5年ぶりにアジア大会(アジアンゲームズ)の開会式が催された。日本、韓国、台湾の優勝争いとみられる野球競技は一昨日26日に開幕している。この大会に出場する日本代表チームは、社会人野球選抜で構成されるのが常であるが、この後控えているドラフトを前に、プロ入りを目指す選手にとっては、登竜門的な大会でもある。前回のインドネシア・ジャカルタ=パレンバン大会からもプロの扉を開いた選手が現れたが、荒西祐大(ルートインBCリーグ・信濃グランセローズ)もそのひとりだ。

熊本で生まれ熊本で育った肥後もっこす

 荒西は、熊本県の玉名工業高校から地元実業団の強豪、ホンダ熊本に進み、8年間プレー。2018年秋のドラフトでオリックスから3位指名を受け26歳でプロ入りした。

「もともとプロ志向はむちゃくちゃ高いというわけではなかったですね。高校の時は、もともと強いチームじゃなかったので、(プロに)行けるならって感じです。育成(指名)でもいいって感じで、目指してはいました。実際、高校時代は調査書とかそういう話にはなりませんでしたけど。ただスカウトは見には来てくれていたんで、いい結果を残せば、プロじゃなくてもその後も野球の道はあるんだろうなって思っていました」

 複数の大学からも声はかかったが、荒西は進路として社会人実業団を選んだ。次のドラフトまで、進学なら4年かかるが、社会人だと3年。プロへの近道と思っての選択だと思ったが、荒西はそうではないと笑う。

「高校の監督が大学は行くなって。多分、僕があんまり勉強できるほうじゃないので、卒業できないって思ったんじゃないんですかね」

 監督の配慮もあって荒西は地元大企業に「就職」した。監督の親心は、荒西にとって悪いものではなかった。好きな野球を続け、伴侶も見つけた彼には、約束されたレールが敷かれていた。球児の大半がそうであるように、幼いころからの夢は夢のままで、目の前にある現実の小さな幸せを育んでいこう、荒西もそう思うようになった。

「もう24、25歳くらいでプロ入りの気持ちはなくなっていましたね。結婚もしましたし。プロを諦めるという前提で結婚したって感じでした。ただ、まだ会社から言われない限りは競技は続けるつもりでいました」

インタビューでアジア大会を振り返る荒西祐大投手兼任コーチ(信濃グランセローズ)
インタビューでアジア大会を振り返る荒西祐大投手兼任コーチ(信濃グランセローズ)

 この頃から荒西の目標は、「社会人ジャパン」、つまりアマチュアの日本代表に変わっていた。そんなときに参加したのが、オフシーズンに台湾で行われるウィンターリーグだった。台湾のプロリーグCPBLが主催するこのリーグには日本をはじめとするアジア各国のプロリーグの若手選手の他、日台もアマチュアの精鋭を参加させていた。荒西が参加した2017年の大会には、日台韓のプロリーグの他、日本の社会人(JABA)選抜、それにアメリカをはじめ各国のマイナーリーガーで構成されるアメリカ・ヨーロッパ選抜チームが参加していた。プロ選手を前に自分の力量を試す機会であったが、しかし、これによってプロへの気持ちが再び頭をもたげてくるようなことはなかった。

「メンバーも別にプロ志望者を集めたというわけでもなかったと思いますよ。あくまで社会人の、アマチュアの強化っていうことでした。翌年にアジア大会が控えていたんで、その選考も兼ねていたと思います。監督も同じ石井(章夫)さんだったので。僕自身もアジア大会の代表が目標でしたから」

 オリンピックがプロのものになってしまった今、アジア大会はアマチュア選手にとって大きな目標になっていた。

 トーナメント方式のプレーオフは、準決勝でNPBイースタンリーグ選抜に敗れたものの、17試合のレギュラーシーズンでは、JABA選抜は11勝4敗2分けの首位に立ち、プロ相手にそのレベルの高さを見せつけた。荒西自身も9イニングを投げ無失点。翌2018年の都市対抗でも敗れたもののMAX149キロを出し、アジア大会代表として初めて「侍ジャパン」のユニフォームに袖を通した。

人生を変えたアジア大会

 アジア大会、正式にはアジア競技大会は、第二次大戦後に始まった総合スポーツ競技会で「アジア版オリンピック」とも呼ばれている。野球は1990年の北京大会で公開競技として採用され、その次の広島での第12回大会から正式競技に格上げされた。競技のアジアにおける普及度から当然のごとく日本、韓国、台湾の「ビッグ3」を追いかける中国に、その他新興国という構図になっており、メダルはこれまでこの3か国が独占している。

 中でも、兵役免除との関係からプロによるドリームチームを派遣してくる韓国が5度の金メダルと、2度(うち公開競技1度)の台湾、1度の日本を圧倒している。インドネシアで開かれた前回、2018年のジャカルタ・パレンバン大会でもプロリーグKBOの精鋭を集めた韓国に社会人選抜で臨んだ日本は決勝で敗れ去った。

 荒西はこの大会、リリーフとして大車輪の活躍を見せた。グループリーグ初戦の対パキスタン戦でセットアッパーとして1イニング無失点で自身とチームに初白星をつけると、3戦目の対タイ戦でも1イニングを投げ、試合を締め、社会人ジャパンの3戦すべてコールド勝ちでの決勝ラウンド進出に貢献した。

 決勝ラウンドの相手は韓国とアマのトップとプロの若手の混成チームで臨んできた台湾。もうひとつのアメリカ独立リーグにナショナルチームごと参加していた中国とはすでにグループリーグで対戦しているのでここでの対戦はなかった。

大活躍のアジア大会でインタビューを受ける荒西(左)
大活躍のアジア大会でインタビューを受ける荒西(左)

「結構優勝できてなかったんで、やっぱ勝ちに行きたいと思いました。とくに韓国がアジア大会はガチで来るんで。実際強かったです。ちょっとレベル違いましたね。きちんと編成されたチームっていう印象でした。前年のWBCも出ていた一流のやつらが出ていて、闘志むき出しだなっていう感じはしました。中国とかは正直、全然警戒はしてなかったです。自分たちの野球をちゃんとやれば勝てる相手だったので。台湾はやっぱり警戒はしてましたけど」

 プロ選手も集ったこの大会だったが、この時点では荒西は自身のプロ入りは意識しなかったと振り返る。

「プロについては全然意識しなかったですね。ドラフトに掛かるとは思ってなかったんで。『優勝したいな』、『金メダル取りたいな』しか思わなかったです」

 大会中、とくに意識したのは韓国だった。国内プロリーグの精鋭を集めたチームは、格上、強い相手を前にアスリートの血は騒いだ。この大会のメンバーには、今年のWBCにも出場し、メジャーも注目しているという安打製造機、イ・ジョンフ(キウム・ヒーローズ)もいたが、中距離打者の彼にはあまり意識はいかなかったという。荒西がマークしたのは、長距離砲のキム・ハソン(パドレス)だった。

「やっぱキム・ハソンと対戦できたのは自分にとってもプラスになりました。当時も結構有名だったので、抑えることができたのは大きいですね」

 社会人ジャパンは、第2次ラウンド初戦で韓国と対戦。5対1で力負けしている。キム・ハソンは、2番ショートで出場した3回に先制のソロホームランを放っている。荒西はこの試合にも、5点をリードされた5回途中から2番手として登板。この回を締めた後、6回はイ・ジョンフをショートゴロ(記録はエラー)、キム・ハソンを三振に切って取り1イニング1/3を無失点で切り抜けた。続く台湾戦ではロングリリーフを務め、3イニング1/3を無失点に抑えている。

 そして韓国1位、日本2位で迎えた決勝戦。日本は、この大会後のドラフトで荒西のチームメイトになる富山凌雅(当時トヨタ自動車)が先発するも初回に2失点。3回にも1点を追加した韓国に対し、1番に近本光司(現阪神・当時大阪ガス)を据えた日本打線は韓国投手陣の前に沈黙。惜しくも金メダルを逃す結果となった。

 6イニング2/3で無失点8奪三振。この数字にスカウトが食いついた。一旦諦めていたプロへの思いが荒西の中で再びもたげてきた。

「アジア大会が終わって、スカウトがめちゃくちゃ来始めたので、ちょっと(プロへの)意識はするようにはなりました。それで、ちょっと悩んだんですけど、妻に『ちょっと夢を追い掛けていい?』って聞いたんです」

 伴侶の返答はオーケーだった。

2018年秋のドラフト会議。荒西はオリックス・バファローズから太田椋(当時天理高)、頓宮裕真(当時亜細亜大)に次ぐ3位指名を受け、入団した。

急速に強くなるチームの中でもがき続けたオリックス時代

 明けて2019年、27歳のオールドルーキーには当然のごとく即戦力の期待がかけられた。当時のオリックスはいわゆる「暗黒時代」真っただ中。即戦力ルーキーの出番は、すぐにやってきた。開幕15戦目の4月16日、荒西はリリーフのマウンドに立ち、チームの勝利に貢献している。先発投手がコマ不足になった6月には初先発のマウンドにも立った。以後、谷間の先発的な役割で計8試合、先発マウンドに立つが、ルーキーイヤーの成績は1勝4敗、防御率5.57。国際大会で韓国のトッププロ相手に好投を演じた荒西だが、日本のトッププロは勝手が違った。

「やっぱり観客は多いし、多少は圧倒されました。対戦する打者もテレビで見てる選手ばっかりだったんで、最初は夢見てるような感じでしたね。すごいなって、相手を上に見てしまいました」

 プロの水にも慣れただろうと思われた2年目も荒西の数字が上がることはなかった。リリーフで前年を上回る29試合に登板し3ホールドを挙げたが、勝敗はつかず。戦局を左右する場面での起用は次第に少なくなっていった。そして、29歳で迎えた3年目。チームは連続最下位から見事リーグ優勝を飾るが、胴上げの場には、この年一度も一軍の舞台に立つことのなかった荒西の姿はなかった。12球団ナンバーワンとも言われるピッチングスタッフを整備したチームの中で荒西は居場所を失っていた。荒西は当時をこう振り返る。

「チームが強く…、うーん、なんて言えばいいんですかね。でも、弱気にはなっていなかったです。投げれば絶対抑えられるっていう気ではあったんで。だから、いつ呼ばれてもいいように、二軍では結構いい成績残してたんですけど、呼ばれなかったんで。実際、ファームではベテランの比嘉さんより僕のほうが抑えてましたし…」

 そのベテラン右腕が好投を演じる日本シリーズを荒西は複雑な思いで眺めていた。

 日本シリーズ後、荒西には自由契約が通告された。青天の霹靂だった。

「覚悟なんかしてなかったですよ。全く。リリースされる選手は、ファームでの試合でも、シーズン途中から使われなくなったりするんです。そういう人は危ないなって思っていたんで。僕は全然投げてたし、別に防御率も2点台で悪いわけじゃなかったし。クビはないと思っていました」

 しかし、突き付けられた現実は厳しいものだった。しかし、この世界の常。突き付けられた通告を黙って受け入れるしかなかった。それではと、受験した合同トライアウトでも三者三振の快投を演じたが、獲得の電話が鳴ることはなかった。

いまだ衰えぬ野球への情熱

現在も現役投手としてマウンドに立っている。。
現在も現役投手としてマウンドに立っている。。

 荒西は現在、独立リーグのマウンドに立っている。オリックス退団時、社会人チームからのオファーもあったが、再びプロ(NPB)の舞台に戻るため、独立リーグを選んだ。長野という縁もゆかりもない地への移籍だったが、プロ入りの時と同じように妻は黙ってうなずいてくれた。

「まあ、今年はもう(独立リーグ)2年目なんで、もうなにがなんでも(NPBに)戻るっていう意識は、そんなにはなくなっていますけど」

 今のやりがいは、兼任コーチとして若い選手を育てることだ。

「いいピッチャーもいるし、そういう選手を育てる、指導の仕方だったりを学んだりするのをモチベーションとしてやっています。もちろん現役なんで、チームを勝たせるように、自分も頑張りますよ。チームは首位を走ってますしね」

 アジア大会を転機に大きく変わった野球人生だが、荒西に後悔はない。最後に、5年ぶりに行われるこの大会についての思いを聞いた。

「結果は知りたいですね。どういうメンバーが選ばれているのかも知りたいし。行けるもんなら僕も参加したいですよ(笑)。やっぱ面白いんで、ああいう国対決は。普段、勝負できないじゃないですか、外国人となんて。バッターとかも何考えてるかわかんない(笑)。日本人と考え方が違うバッターを見るのは面白いですよ」

 前回大会同様、社会人野球選抜で構成される侍ジャパンは、第2ラウンドが始まる10月1日に初陣を迎える。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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