天使が見えるノルウェーのプリンセス、交際発表がなぜ炎上した?
ノルウェーで王位継承権4位のプリンセス、マッタ・ルイーセ王女が大きな注目を集めています。
ここ数日間、日本のテレビ番組からも取材の依頼が私に何本もあり、日本での関心の高さには驚きました。
事の発端は5月。デュレク・ヴェレット氏というアメリカ人男性との交際を公に発表しました。それだけであれば、「良かったね、おめでとう」という話で済みました。
王女は3年前に作家・芸能人であったノルウェー人男性と離婚。「私たちも人間です」というコメントは同情を集め、世界的に報道もされました。
日本と比較して、ノルウェーの人は他人の恋愛・離婚・浮気などにはあまり口を出しません。王室メンバーでありながらも、一生懸命に恋愛し、頑張ったけれど家庭はうまくいかなかった、でも次の恋愛を諦めないという姿勢は、「私たちと同じなのね」と、本来であれば女性から大きな支持を受けるでしょう。
まず、ルイーセ王女は「普通のお姫様」として現地では認知されていないことを、基本情報として押さえておく必要があります。
王女はもともと王家の中で、一番の変わり者として以前から有名です。自分は「超敏感」人間であり、他の人にはない能力があり、天使を見ることができ、死者とコミュニケーションできると主張しています。最近までは「天使の学校」といわれていたセンターを運営していました。
「え?」と思う方もいるかもしれません。
王女といえば、「天使の人」で有名。「天使が見えて」、「天使の学校の運営をしている人」というのが、国民がまず思い浮かべる彼女のイメージです。
天使発言はこれまで多くの国でニュースとなってきました。
王女の天使セラピーとも言われる代替医療は、ノルウェー国営局NRKで特集ページがあるほど。
王女と死者の接点が発覚したのは、2010年のスタヴァンゲル・アフテンブラ新聞でのインタビューにて。過去記事でネットでは見当たりませんが、「天使と同じ方法で、死者と接触を図ることは難しくはない」と王女が発言したことは、現地では有名。
先日は、自分の個人番号、パーソナルナンバーが写った写真をインスタグラムに投稿してしまったことでも話題を集めました(VG紙)。「おっちょこちょい」でもあるのです。
彼女の以前の夫は、裸の男性の足をかつぐポーズで、裸の女性たちと新聞の表紙を飾ったこともあります(VG紙)。私は2012年にこの表紙を見た時、「天使のお姫様の夫? 変な国だな」と思ったのを覚えています。
ルイーセ王女といえば、公務でニュースになるのではなく、このような話題でノルウェーを賑わせる人なのです。ちなみに、私は彼女がまだ公務をしていることを、今回初めて知りました。
スピリチュアル・カップル誕生
彼女の今回の新恋人は、ノルウェーではまったく無名でしたが、アメリカでは「シャーマン」、霊能者として活動しています。つまり、王女と同じ、スピリチュアルな人なのです。
スプリチュアル・カップル。王女は、自分と同じ価値観の人と付き合っているのです。SNSインスタグラムはほぼ毎日更新され、ラブラブな映像がアップされています。
「良かったですね」で終わらないのは、なぜでしょう?なぜ批判されるのでしょう?
一言でいえば、「タイミングが悪かった」
ノルウェーでは個人の自由が尊重され、平等の精神を大事にしているので、王室メンバーの自由にはある程度は寛容です。天使を信じる王女を社会が受け入れてきたこと事態、ノルウェーの寛容性と多様性の深さを意味しています。
今回の批判は交際宣言ではなく、王女の自分の立場の認識の甘さにあります。相手の国籍、肌の色、意味不明で怪しそうな職業ということもあります。
「シャーマンとはなんぞや」
まず、「シャーマンってなに?」と、困惑が広まりました。ノルウェーでは日本と比べて、スピリチュアルなテレビ番組もほとんどありません。「他の人には聞こえないものが聞こえる」発言などを日常生活ですると、病院に行ったほうがいいと思われやすい国です。
いつもは真面目なニュースを届けているノルウェーの記者たちが、「シャーマンとはなんだ」という記事を出し始めました。
問題は、王女が交際発言をした直後、シャーマン彼氏との講演ツアーを発表したことです。「プリンセスとシャーマン」というタイトルで、1席1万円ほどはする有料チケットの販売が始まりました。
「それはおかしいのではないか」とすぐに反応したのがマスコミです。国際ランキングで自由な報道1位の国なので、記者たちは王室批判にも容赦ありません。
個人が利益を得る「商業活動」アレルギーのある国で
人口が520万人という小国で、国民は高い税金を払っています。「公的」なものを好み、日本では到底考えられないレベルで、「民間営業」や「商業活動」、私立の教育機関などに懐疑的な傾向があります。権力者やお金持ちは、得ている利益や影響力をひとり占めせずに、社会に還元することを強く期待されます。
「プリンセス」という立場は、国民がどれだけ頑張ってもたどり着けないものであり、彼女が努力して得た称号ではありません。「平等」社会である北欧で、王室メンバーの存在はずるく見えることもあります。
王女は、「プリンセスという称号を使って、有料チケットを売る」=「商業活動をする」ことの意味を分かっていないようでした。
交際宣言をした直後の販売もタイミングが悪すぎ、称号の「悪用」だと言われても仕方なかったでしょう。
本人がそのことに気づいてなかったとしたら、また問題です。これまで天使発言などで物議を何度も醸してきた彼女が、純粋におかしさに気づいてなかったとしたら、王室メンバーとして、あまりにも判断能力が低すぎるということになります。放っておけば、肩書を使って、彼女も相手も、どんどんと暴走していたでしょう。
だから、「プリンセス、おかしいのではないですか」、と報道機関が一斉に批判しました。注意喚起をする意味で。
シャーマンである彼は、別の世界からの力で、ひとびとの体の中の悪いもの、ガンなどを治療する手助けをする力があると言っています。このような考えを、王室メンバーが後押しすることを、医療関係者は好みません。
ノルウェーにある教会で、シャーマニズムの講演をしようともしたので、王室メンバーがキリスト教を否定するような行動に批判も集まります。
王室の見解も求められ、王様や皇太子は、「彼女と話をします」とマスコミに話していました。
結果、つい最近、王女はSNSのインスタグラムで、「家族と相談した結果、今後は商業的な活動ではプリンセスの称号は使用しない」と発表しました。
同時に、「わたしはマッタ・ルイーセ」という別のアカウントをインスタグラムに開設しました。
今後は、「王女として公務をする自分」と、「個人として商業活動をする自分」を、切り分けていくという意味です。
時と場合に合わせて、プリンセスをしたり、プリンセスのお面を外すのだそうです。
愛する彼とのスピリチュアル講演は続けていきますが、SNSやチラシでの宣伝の際には、「プリンセス」というタイトルは表示させず、「マッタ・ルイーセ」という個人の名前だけ表記するということです。
人口が少ないノルウェーでは、ひとりの人が「複数の顔」をもつことは珍しくありません。ただ、その立場の自覚と言動の切り分けができていないと、注意されます。注意された後に、それを認めて、態度を改めれば許されます。
ただ、彼女が王女であることは、もうみんな知っていることです。商業活動を続けることには変わりなく、観客にとっては舞台の上にいるのはプリンセスなので、問題が解決しているわけではないとする指摘もあります。
二つのインスタグラムアカウントがあるように、二人の自分を彼女がうまく使い分けていけるかどうかは、これからということになります。
批判を受け入れたのは偉い、勇気がある
一方で、批判をされて、自分の行動がおかしかったことを認め、改善しようとする態度、恋愛を貫こうとする姿勢、どれだけバカにされてもスピリチュアルな世界を信じる貫こうとする姿勢、ありのままの自分を隠さない強さは、「勇気ある」として讃えられてもいます。
「こういう王女を受けいれてこそ、ノルウェーが目指す多様性ある社会の証拠となる」、という見方もあります。
国民の王室に対する考え方は?
王女が不思議で変わり者だということは、今に始まったことではないので、王室全体のイメージが今さら大きく下がることはありません。ひとりの人物の行動を原因に、家族全員に責任を求めないのもノルウェーの特徴です。
平等社会なので、働かず、納税せず、恵まれた王室の存在は不公平で、王室制度はそもそも必要かという議論はたびたび出ます。それでも、王様をはじめとする他のメンバーは人気があり、2年前にハーラル国王が80歳を迎えた年には、81%もの市民が今の王室を維持したいと答えました。
王室がどれだけ愛されているのか、もともと不思議な人として有名なプリンセスひとりの暴走がなぜ王室全体のイメージ落下につながらないのか。それは、ノルウェーの「ナショナルデー、憲法記念日」とネットで画像検索すれば、少しわかるかもしれません。
ノルウェーのゴシップ雑誌SE OG HORによると、デュレク氏は、交際発表後から、肌や国籍も関係して、脅迫を受けているそうです。
ルイーセ王女は、「プリンセスとして公務をする自分」と、「スピリチュアル活動をしたい個人の自分」をうまく切り分けていくことができるのか?
差別発言や脅迫、殺害予告も受けているというデュレク氏は、ヘンリー王子と結婚したメーガン妃と同じようなプロセスを辿るのではとも言われています。
スピリチュアル言動もいきすぎると、また医療や教会関係者が眉をひそめることになりそうです。報道陣は、商業活動とインスタグラムに目を光らせているでしょう。
スピリチュアル・インフルエンサーとしての今後の展開と、恋愛の行方は、まだまだ注目されそうです。
Text: Asak Abumi