2月は「Black History Month」
2月はアメリカ社会で「Black History Month」とされ、肌の色で迫害を受けながらも時代や世間と闘った先人を敬い、歴史を再確認する。
米国の黒人女性として初めて自力で億万長者になったマダム・C・J・ウォーカー、ピーナッツから約300の製品を生み出したジョージ・ワシントン・カーバー、モンゴメリーにおけるバスボイコット運動の引き金となり、公民権運動を活性化させたロサ・パークス。そして、アフリカ系アメリカ人女性として初めて米国下院議員に選出されたシャーリー・チザムなどが挙がる。
Black History Monthは、アフリカ系アメリカ人の歴史研究家であり、出版者でもあったカーター G. ウッドソンによって1926年に創設された。当初は「黒人歴史週間」として始まり、1976年に1カ月間に及ぶ祝賀行事となる。フレデリック・ダグラスと第16代大統領のエイブラハム・リンカーンの誕生日に合わせて 2 月が選ばれた。
ボクシングの世界では、当然のように黒人として初めて世界ヘビー級王座に就いたジャック・ジョンソンが、クローズアップされる。
1878年3月31日にテキサス州ガルベストンで生を享けたジョンソンは、元奴隷の息子であり、9人きょうだいの3番目だった。家計を助けるために小学校を中退し、故郷でボートや食器を洗ってカネにした。
ジョンソンは10代でボクシングを始める。"試合"と称して非公式な殴り合いを何度も行っては収監されている。
16歳でプロデビュー。相手は同じ沿岸労働者のボブ・トンプソンで、4回判定勝ちして、25ドルのファイトマネーを受け取った。その後、頭角を現すが、人種の壁が存在し、白人のチャンピオンは黒人と肌を合わせることに嫌悪感を露にしていた。しかし、ジョンソンのあまりの強さに無視を続けられなくなる。
1908年12月26日、11度のタイトル防衛に成功していたカナダ人王者のトミー・バーンズが、当時としては破格の3万ドルのファイトマネーでジョンソンの挑戦を受ける。
ジョンソンは11回KO勝ちを収め、アフリカ系アメリカ人として初めて世界ヘビー級の王座を獲得。レフェリーが試合を止めたのではなく、バーンズのダメージを考慮した警官がリングに飛び込んでのフィナーレとなった。
ジョンソンは1915年までタイトルを保持し、50歳になるまでボクシングを続けた。プロとしての戦績は「73勝(40KO)13敗10引き分け、ノーコンテスト5」とか「72勝(38KO)11敗11引き分け、ノーコンテスト3」など、諸説ある。
黒人初の世界ヘビー王者は1946年6月10日、ノースカロライナ州ローリーで自動車事故で亡くなった。
過去を学ぼうとする米国の風潮に触れる度に、健康的だと感じる。が、差別が決して無くならないのも事実だ。