Yahoo!ニュース

取材現場で見たカタールワールドカップ。「カタール人」は逞しく日々を生きていた。

小宮良之スポーツライター・小説家
ドーハの街角(写真:ロイター/アフロ)

 取材現場で見たカタールワールドカップとは?

 カタール国内のいわゆるカタール人は、全体の10%程度しかいない。極端な移民の国と言える。砂漠の上に町が建った歪さもあった。

 しかし、単純に批判したり、称賛することはできない。

 カタールで出会った人々は、逞しく日常を生きていた。 

クリケットを愛するスリランカ人
クリケットを愛するスリランカ人

 11月25日、オランダ対エクアドルの試合が開催される日だった。ドーハ市の隣のワクラ市にあるホテル近くの広場で、クリケットに夢中になっている15人ほどの若者がいた。建設中の建物が立ち並び、土管のようなものが転がり、古き良き日本の空き地のようだった。まもなく、砂漠の開発が進んで見違えるような「町化」が進むのだろう。

 話を聞くと、彼らはみんなスリランカ人だという。イギリスの影響でクリケットが盛んな国だからか、サッカーW杯に興味はなそうだった。朝7時からプレーし、9時過ぎには帰る。強烈な日差しを避けるためで、夕方になると今度はスリランカの子供たちが熱心にバットを振っていた。

ワクラの空
ワクラの空

バターチキンカレーはセットで約2千円。現地では高めのランチ。インド、ネパール人は多かった。
バターチキンカレーはセットで約2千円。現地では高めのランチ。インド、ネパール人は多かった。

 11月26日、日中はとにかく日差しがきつい。冬は30度程度で落ち着くが、夏は50度を超え、数十メートル歩くだけでも危険を伴う。正体は砂漠なのだ。

「カタールで働いて24年になる。好きな国だよ。戻る気はない。ずっとここで働きたいね」

 公営ビーチを散歩していると、守衛の男性は言った。彼はアルジェリアからやってきたという。出稼ぎというよりは移民。彼のようなケースは多い。

「僕はネパールから来たよ。もう20年になるかな。出て行くつもりはない」

 帰り道に立ち寄ったスーパーマーケットで、真っ赤な服を着た店員も似たような希望を口にした。

 町中に、カタール人はいない。片っ端から出身地を聞いたが、インド、スーダン、フィリピン、パキスタンなど各国からの移民ばかりだった。彼らが実際の「カタール」を形作っていた。

 その夜はアルゼンチン対メキシコで、帰り道、深夜で流ししかいないタクシー乗り場でふっかけてきたバングラデシュ人がいた。

「50リヤル(約1900円)ね」

 本来は30リヤル(約1100円)もしない。深夜帯や正規ではないことを差し引いても高い。「40」と突き返すと、「45」と刻むので、「本当は30だろ?」と言うと、そこで交渉が成立した。その後、運転手は罪悪感があるのか、カタール観光案内のようなことをペラペラ捲し立てた。

インド、パキスタンンンなど東南アジア、中近東で好まれる炊き込みご飯「ビリヤニ」。定食屋だとサラダもついて約500円。
インド、パキスタンンンなど東南アジア、中近東で好まれる炊き込みご飯「ビリヤニ」。定食屋だとサラダもついて約500円。

メトロと町をつなぐバスがほぼ24時間稼働していた。メディア関係者は地下鉄やバスは無料。激務のため、途中でタクシーに切り替えたが…。
メトロと町をつなぐバスがほぼ24時間稼働していた。メディア関係者は地下鉄やバスは無料。激務のため、途中でタクシーに切り替えたが…。

 11月27日、日本対コスタリカ戦。駅までのバスに乗るため、ホテルを出て急ぐ。しかし、数十m先でバスが来てしまった。停留所に間に合わない。そこで近くの女性が、「大声で呼べば止まってくれる」と言うので、両手を上げて「乗りたいです」をアピールした。バスは停車し、無事に乗り込むことができたが…。

「バスは停留所で乗るからバスなんだ」

 スーダン人の運転手に叱られてしまった。ぐうの音も出ない。

 カタールにいる人たちは「遵法精神」が意外なほどに高かった。規律正しく、言われたことをきちんとやって、ルールを守る。それが移民でいられる条件でもあるのだろう。だから治安はすこぶる良く、丑三つ時に町中を歩いていても、犯罪の匂いなど一切しない。東京の繁華街の方がよほど危険だ。

 一方で、人種の坩堝だけに暴発の恐れもある。

 深夜のバス停留所、小さな事件があった。あまりにバスが来ないことに苛立った男性と、「不満を言うな」と叱る黒人紳士が英語で口論に及ぶ。共通言語が辿々しい英語になるだけに、どうしても摩擦が生じる。バスが来ると一斉に乗り込もうと、将棋倒しになりかけた。スペースがなかったら、胸部を圧迫される危険もあっただろう。

 筆者は安全を重んじ、タクシーに切り替えた。

 ギリギリのところで、彼らのバランスは成り立っているのだ。

コンテナを使ったスタジアムで、大会前半で使われたが、後半にはすでに解体がスタート。レガシーという意識はなく、むしろ実用的なのは好感。
コンテナを使ったスタジアムで、大会前半で使われたが、後半にはすでに解体がスタート。レガシーという意識はなく、むしろ実用的なのは好感。

スタジアムを背景にメディアセンターの外。雨が降らない前提だからこそのセットだろう。
スタジアムを背景にメディアセンターの外。雨が降らない前提だからこそのセットだろう。

 11月29日、アル・バイト・スタジアム。午後6時の会場は満員には届かない。仕込まれたようなカタールサポーターがゴール裏の一角で場を盛り上げるが、ゴールに近づいても決定機は訪れず、次第にトーンダウン。前半20分過ぎに失点を喫し、それで思い出したように声援を送るも、後半開始早々に追加点を決められて万事休すだった。

 開催国カタールは、グループリーグ最終戦でオランダに0−2と敗れ、屈辱の3連敗で大会から姿を消した。会場には、言い知れぬ虚無感が残った。

「セネガル、エクアドルだったら、少しは勝ち点が拾えたかもしれないけど、そこに連敗だから、オランダに勝てるわけない。ワールドカップは世界の最高の代表が集まる場所だよ」

 スタジアムからの帰途、インド人タクシー運転手は訳知り顔で説明した。

「俺はインドのケーララから出稼ぎに来て、14年になる。毎月、父母や妻子に送金しているから感謝されてるよ。カタールは小さな町治安も良く、便利で稼ぎも悪くない。サウジアラビアやUAEに住もうと思ったことはないよ。この国は世界中からいろんな人種が集まっているから、疎外感もなくて居心地がいいんだ。インドのカレーも食べられるし(笑)」

 カタール代表は脆くも散った。自力でW杯に出たことはない。国内組で高年俸を稼ぐ選手ばかりで、海外で生き抜く猛者たちに太刀打ちできるはずはなかったのだ。

「自分たちのように海外に活躍の場を求めたらどうかな?きっと、タフになる。まあ、サッカーに興味はないけど」

 料金を受け取ったインド人タクシー運転手は、去り際に言った。

ワクラはリゾート地で、ホテルアパートメントをカメラマンとシェアした。
ワクラはリゾート地で、ホテルアパートメントをカメラマンとシェアした。

地下鉄の製造は日本の有名企業が関わっていた
地下鉄の製造は日本の有名企業が関わっていた

 12月3日、パキスタン人の運転手のタクシーで、ホテルを引っ越した。新しい宿は、いわゆる民泊に近かった。ミャンマー人が経営していた。

「(2021年に)軍のクーデターがあって、故郷に戻れなくなった。カタールに来て12年になる」

 経営者の一人は言った。彼はサッカーには一切興味がなく、車の運転が好きで、トヨタのFJクルーザーに乗っていた。前の前は三菱のパジェロで、その前はトヨタのランドクルーザープラドで、とにかく日本車を褒めまくった。

「カタールでは水とガソリンが同じくらいの値段で、高級車を乗り回せる。昔シンガポールにも住んだが、物価が高く、車を維持できない。カタールでは運転を楽しめる。日本車は最高だ!」

 彼はそう言って表情を緩めた。エンジニアとして空港の設備メンテナンスでお金を稼ぎ、サイドビジネスで民泊をしているという。最近、昇進したことを小さく自慢した。

―カタールでカタール人に会わないんだけど?

 そう話を向けたら、彼は肩をすくめて言った。

「カタール人は働かないんだよ。政府からお金ももらっているから。昼間は寝て、夜は高級車でパーティに出かけるんだ」

 海沿いまで行けば、石油や天然ガスのプラントがあるという。当然、そこは撮影禁止。莫大な富を生み出す、カタールの心臓部だ。

砂漠の町にこれだけの規模のスタジアムをもいくつも建ててしまう財力はすさまじい。
砂漠の町にこれだけの規模のスタジアムをもいくつも建ててしまう財力はすさまじい。

通りの脇にはパイプが敷き詰められていて、植物が植えられている。ここは砂漠なのだ
通りの脇にはパイプが敷き詰められていて、植物が植えられている。ここは砂漠なのだ

 12月10日、準々決勝でベスト4が出揃った。この日は曇りで気温が低く、地滑りするような烈風が吹いた。砂を巻き上げ、景色を曇らせる。砂漠の現実が透けて見えた。

 道端には、芝生が整備されたり、きれいな花も植えられたりしているが、至る所にパイプが張り巡らされ、定期的に水が供給される仕組みになっている。海水を淡水に変えるシステムは充実。それがなかったら、すぐに枯れてしまう。

 町を維持するために移民を迎え入れ、仕事を用意し、国を発展させる。カタールはそのサイクルを成功させた。W杯もその一環なのだろう。

 当然ながら、その歪みもある。建設ラッシュの最中にやってきた出稼ぎ労働者が、過酷な労働環境で数千人も亡くなったという報道も出た。砂漠にポツンとある巨大なスタジアム、冷房が完備した会場、最新の地下鉄、空港の拡張など、大会開催を推し進めるプロセスはあまりに巨大で置き去りにされた人々もいるはずだが…。

「それでも、我々はカタールにやってくる。住めば都。インドよりも、階級の区別がなく職にありつけるし、住み心地もいいよ」

 インド人タクシー運転手は言った。多くの人にとって、カタールという国は拠り所なのだ。

 W杯があろうとなかろうと、彼らがやるべきことは変わらない。カタールで生きる。その人生があるだけだ。

メインメディアセンターには巨大蜘蛛のオブジェ
メインメディアセンターには巨大蜘蛛のオブジェ

町中にはたくさん猫がいた。ブラジル代表の会見場にも紛れ込んだが、その時の広報の対応が雑だったことで、敗退後に「猫の祟り」と噂された。でも猫は無事だし、そんなはずはない。狂騒曲は流れ続けた。
町中にはたくさん猫がいた。ブラジル代表の会見場にも紛れ込んだが、その時の広報の対応が雑だったことで、敗退後に「猫の祟り」と噂された。でも猫は無事だし、そんなはずはない。狂騒曲は流れ続けた。

※クレジットのない写真はすべて筆者の撮影

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

小宮良之の最近の記事