月曜ジャズ通信 2014年6月23日 タチアオイからはジャズのルーツの香りがした号
もくじ
♪今週のスタンダード〜ブルー・ボッサ
♪今週のヴォーカル〜チェット・ベイカー
♪今週の自画自賛〜ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第7巻
♪今週の気になる2枚〜大隅寿男『キャリー・オン』/伊佐津さゆり『Field』
♪執筆後記〜ビリー・ジョセフ・メイヤール
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♪今週のスタンダード〜ブルー・ボッサ
「ブルー・ボッサ」は、ケニー・ドーハムが自分のバンドに所属していたジョー・ヘンダーソンの初リーダー作『ページ・ワン』(1963年)に収録するために作曲しました。
“ボッサ”はボサノヴァを意味しています。1963年といえば、スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルトを呼んで『ゲッツ・ジルベルト』を制作、アメリカにボサノヴァ旋風が巻き起こった年で、ドーハムもこのブームに乗っかったのでしょう。
ケニー・ドーハム(1924〜1972)は、1950年代から60年代にかけて活躍したビバップ〜ハード・バップを代表するトランペット奏者。ジョー・ヘンダーソン(1937〜2001)は、1960年代から40年ものあいだジャズやロックなどポピュラー音楽シーンの最前線で活躍したサックス奏者。
ジョー・ヘンダーソンの談話として、「この曲はシャンソンの名曲をヒントにドーハムが書き上げた」というエピソードが残っています。該当曲は「パリの空の下」で、ユベール・ジローが作曲した原曲は映画「パリの空の下セーヌは流れる」(監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、1951年製作)の挿入歌です。
♪Joe Henderson- Blue Bossa
ジョー・ヘンダーソンが語ったエピソードが本当なら、哀愁漂う3拍子のシャンソンを見事にブラジリアン・フレーヴァーの軽快なバップ・ナンバーに仕立てたドーハムのアレンジ力を褒めるべきでしょう。“ボッサ”と言いながら、どちらかといえば曲調がキューバ音楽っぽいのは、1960年代前半当時のアメリカではボサノヴァがまだちゃんと認識されていなかったからだと思われます。
♪Art Pepper- Blue Bossa
アート・ペッパーの1988年の作品から。チャーリー・パーカー直系と讃えられるテクニックとウエスト・コースト・ジャズの最前線で活躍したセンスを融合させた、聴き応えのある構成です。展開部でペッパーとベースのボブ・マグヌッセンのメロディ・ラインが錯綜するあたりは、イースト・コースト・ジャズのケニー・ドーハムとジョー・ヘンダーソンによるアンサンブルとはひと味違ったこの曲の表情を引き出していると言えるでしょう。
♪Michael Brecker- Blue Bossa- 1985
1985年に六本木ピットインで収録された映像。マイケル・ブレッカー(テナー・サックス)、スティーヴ・ガッド(ドラム)、エディ・ゴメス(ベース)、佐藤允彦(ピアノ)という豪華メンバーです。
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♪今週のヴォーカル〜チェット・ベイカー
チェット・ベイカー(1929〜1988)をトップ・ヴォーカリストに列席させるには異論もあります。なぜならば、彼はトランペットを本業とし、その腕前こそがジャズを代表するものであるとされるからです。
しかし、そのはかなげな歌声はそれまでのジャズ・ヴォーカルのイメージを一新し、多様化していくことになる1960年代以降のヴォーカル・スタイルの新たな起点となりました。
チェット・ベイカーは米オクラホマ州イェールで生まれるとすぐにオクラホマシティへ移り、少年期はカリフォルニア州グレンデールで育ちました。グレンデールはロサンゼルスから15kmほど離れた都市です。
父親がラジオの音楽番組などを担当する仕事をしていたことから音楽が身近にある環境で育った彼が、楽器を手にしたのは13歳のとき。父親はトロンボーンを買ってきたのですが、子どもには大きすぎてうまく扱えなかったため、トランペットに替えることにしたのだとか。
チェット・ベイカーがジャズと出逢ったのは1946年に徴兵で入隊したとき。第二次世界大戦中にも従軍したジャズ・ミュージシャンは多かったのですが、終戦後もそれは続いていたと考えられます。当時はスウィング・ジャズが一般的ではあるものの、腕の立つミュージシャンのあいだでは競うようにビバップを演奏していたと思われるので、チェット・ベイカーもたちまち魅了されたに違いありません。
除隊すると、ロサンゼルスに創設されたばかりのエル・カミーノ・カレッジで音楽理論を学び、演奏のみならず譜面にも強いミュージシャンとして活動の場を広げていきます。
1950年代初頭にはチャーリー・パーカーの西海岸ツアーのためのメンバー・オーディションに参加し、その座をゲット。正式にチャーリー・パーカー・バンドのメンバーにも抜擢され、レコーディングにも参加しています。
注目を浴びるようになったチェット・ベイカーのルックスのよさに目をつけたレコード会社は、彼に歌を歌わせることを提案。これにチェットも同調します。彼にはフランク・シナトラやナット・キング・コールのような太く張りのある声は出せなかったようですが、それを逆に武器にしようとしたのです。お手本にしたのはクール・ジャズを生み出したジェリー・マリガンのサウンド。ジェリー・マリガンはマイルス・デイヴィスの“クールの誕生”セッションにアレンジャー&バリトン・サックス・プレイヤーとして参加していた、クール・ジャズのオリジネーターのひとりです。チェット・ベイカーは1950年代初頭にジェリー・マリガンと出逢い、意気投合して彼とピアノレスのバンドを結成しています。ところが1953年に麻薬禍でマリガンが逮捕され、バンドも解散。シンガーとしてのオファーがあったのはちょうどこのタイミングでした。チェットは「クール・ジャズのスタイルなら自分の声の個性が活かせる」と思ったようです。
こうして生まれた『チェット・ベイカー・シングス』(1954年)は目論見どおりの大ヒットとなり、彼をアイドルの地位へと押し上げることになりました。
ところが、人気が上がるにつれて、彼の素行にも問題が増えていきます。具体的にはドラッグの深みにずるずるとハマってしまったこと。療養所にも入所しますが手を切ることができず、逮捕と出所を繰り返すようになってしまうのです。
1970年代初頭にはドラッグのトラブルが原因で前歯を折られる怪我を負い、しばらくステージに立てない生活を余儀なくされるという時期もありました。
ようやく1973年にディジー・ガレスピーの尽力でアメリカのクラブへの“出禁”も解かれ、1975年にはヨーロッパに拠点を移して活動を続けました。
このような波瀾万丈の半生に興味をもった著名なファッション写真家のブルース・ウェーバーが、彼をモデルに自伝的ドキュメンタリー映画「レッツ・ゲット・ロスト」を撮り始めましたが、映画完成直後、チェット・ベイカーはオランダのアムステルダムで投宿していたホテルの窓から転落、天に召されてしまいました。
♪Chet Baker / My Ideal
『チェット・ベイカー・シングス』収録の「マイ・アイディアル」です。
彼が先鞭をつけたクールでささやくような歌い方は、ブラジルに渡ってボサノヴァの歌い方に影響を与えたと言われています。
♪CHET BAKER- You'd Be So Nice To Come Home To
死の前年、来日公演のステージです。
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♪今週の自画自賛〜ジャズ耳養成マガジン「JAZZ100年」第7巻
富澤えいちが記事を担当している「JAZZ100年」の「名演に乾杯」7回目は、付属CD収録の「イースト・オブ・ザ・サン」の演奏に合わせてスタア・バー・ギンザの世界チャンプ・バーテンダー岸久さんが選んだ“プースカフェ・スタイル”について。
リキュールをグラスに注ぎ、その上にスピリッツを足して層を作るスタイルのカクテルをプースカフェといいます。
飲み始めはスピリッツをストレートで飲むかたちになるので、お酒に弱い人にはお勧めできません。でも、見ているだけでもいい酔い心地になるのではないでしょうか。そういう楽しみ方があってもいいかもしれませんね。
この取材で、超一流のバーテンダーであるスタア・バー・ギンザの岸さんからカクテルの楽しみ方をいろいろ教えていただき、その自由さと奥深さに改めて目から鱗を落としているところです。
カクテルなんてマティーニとソルティドッグを知ってれば十分だ、という狭量な考えは捨てました。それはすなわち、ジャズなんてマイルス・デイヴィスとビル・エヴァンスを知ってれば十分だよ、と言っているようなもの。カクテルだってジャズだって、100年以上の歴史があるエンタテインメント文化のひとつなんですから、まだまだ学ぶことは多く、それだけ楽しませてくれる余地も多いということです。
♪Carmen McRae- East of The Sun
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♪今週の気になる1/2枚〜大隅寿男『キャリー・オン』
ベテラン・ドラマー大隅寿男がプロ活動45周年を記念して制作した珠玉のピアノ・トリオ・アルバム。
あえて“珠玉の”という言葉を使わせていただきたい。それぐらいゴージャスでラグジュアリーなサウンドが詰まった1枚です。
リリースのタイミングでジャズ専門誌の取材の機会があり、その45年の歴史の一端に触れさせていただきましたが、いやぁ、興味深いエピソードが次々に出てきました。
本作は、一貫してトリオにこだわってきた大隅寿男が、その経歴をたどるように7人のピアニストと3人のベーシストを配して、磨き上げたエンタテインメント・ジャズを奏でています。
このアルバムのボクのイチオシは、山本剛と横山裕による「ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ」。
山本剛トリオに大隅寿男が加入して、それが六本木の伝説のジャズ・バー“ミスティ”のハウス・トリオになっていくという経緯のエピソードもおもしろかったのですが、この曲での山本剛は当時連夜繰り広げられたセッションを思い出したのでしょうか、その研ぎ澄まされた一音一音に鬼気迫るものを感じさせます。といって圧迫感のあるサウンドではなく、ピアニシモでこれだけの情感豊かな表現が可能なのかという驚きを伴う、まさにレジェンダリーな1曲になっているのです。
大隅寿男は一時期体調を崩していましたが、主治医に“お墨付き”をもらってのこのレコーディングで、取材のときもすこぶるお元気そうでした。
彼がめざしているのはアメリカンでもヨーロピアンでもなく、まさに日本でしかできないジャズ・ピアノ・トリオのサウンド。ますます発展させて、若手にも継承されていくことを願っています。
♪Tsuyoshi Yamamoto- Misty
大隅寿男と山本剛の共演映像を探したのですが、見当たらず。こちらは2001年収録の山本剛のアルバム『オータム・イン・シアトル』という映画音楽を集めた企画盤で、メンバーは大隅寿男(ドラム)と金子健(ベース)。
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♪今週の気になる2/2枚〜伊佐津さゆり『Field』
故郷・信州安曇野を拠点に活動するピアニスト伊佐津さゆりが2012年にリリースしたセカンド・アルバム。
“信州ジャズ”というキーワードでライヴ活動を展開しているこのプロジェクト、すでに次のアルバム制作の話もでているようですが、その規範となるサウンドを収めたものがこのアルバムと言えるでしょう。
“信州ジャズ”とはなにかと問われれば、それはすなわち“信州の自然の情景を心象風景としてサウンドに転換して生み出されたもの”という説明になるでしょうか。
ブルースという要素を核にしてきたジャズは、喜怒哀楽に伴った感情風景を描写するサウンドには長けているものの、心象風景を描写するにはまだまだ歴史が浅いと言わざるをえません。
しかし、日本人にとって自然とは、松尾芭蕉や小林一茶が文学表現のための要素として扱ってきたように、感情をそこに託すことのできる心象であり、これによって写実主義的な手法とは一線を画する表現を可能にしていると言えます。
伊佐津さゆりのピアノから伝わるのは、風景を描写しようとしてそれを見ていた作曲者の、感情の揺らぎなのかもしれません。それはつまり、信州の自然を客観的に把握しようとしているのではなく、そこに生活する者だからこそ感じることのできる日常的な受け取り方の変化が基準になっているということではないでしょうか。
だからこそ、本作に収められた“自然”はパンフレット的にはならず、シズル感が伴っているのだと思うのです。
♪Field / Sayuri Isatsu 【信州ジャズ】伊佐津さゆり
『Field』のプロモーション動画です。音楽が景色に負けてしまうとBGMにしかなりませんが、伊佐津さゆりの音楽観は風景の見え方を変えてくれるーーそんな気がします。
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♪執筆後記
<月曜ジャズ通信>のタイトルは、少しでもジャズに興味をもってもらえるように、キャッチーなものにしようと努力しているつもりです。
でも、ほぼ毎週となるとネタを探すのもひと苦労。
そこでネット検索にすがるわけですが、玉石混淆でいろんな情報が出てくるなか、365日すべてに“誕生花”というものがあることを知りました。
で、6月23日はなにかというと、タチアオイなのだそうです。
“誕生花”の決め方は何通りもあるようなので、これも“一説に”と言わざるをえないのですが、確かに散歩をしていると庭先にひときわ背高くタチアオイが花を咲かせているのが目立つ季節かもしれません。
タチアオイの英名はhollyhock(ホリーホック)。必ずしも日本で目にするタチアオイとは同種ではないようですが、そこのところはご勘弁を。
早速、「hollyhock」&「jazz」で検索してみると、Billy Joseph Mayerl(ビリー・ジョセフ・メイヤール、1902〜1959)という人が「ホリーホック」という曲を書いているという情報が。
ビリー・ジョセフ・メイヤールはイギリスのピアニスト・作曲家で、20世紀初頭のポピュラー音楽界を席巻したヒットメーカーだったようです。
彼が注目を浴びるようになった1920年代後半から30年代は、イギリスでも“ジャズ・エイジ”と呼ばれるようなジャズ・ブームが巻き起こり、クラシックとは一線を画したエンタテインメント・ミュージックが台頭していました。
ジャズ、とくに1920年代から30年代にかけて隆盛を極めたスウィングは、アメリカのシーンばかりが注目されますが、大西洋を挟んで対岸のイギリスでもジャズの種を大きく成長させた才能が存在していたことを忘れてはいけないと、ビリー・ジョセフ・メイヤールの見事なストライド・ピアノが教えてくれます。
♪"Hollyhock" played by Christopher Duckett
ビリー・ジョセフ・メイヤールの動画も残っていますが、「ホリーホック」が見つからなかったので、オーストラリアのピアニストが弾く「ホリーホック」をご覧ください。これを見れば、1930年代のイギリスにアメリカのジャズがそのまま流入していたことがわかるでしょう。
それにしてもこの曲、「ダイナ」によく似てますね……。
♪ダイナ/ ルイ・アームストロング ディック・ミネ
富澤えいちのジャズブログ⇒http://jazz.e10330.com/