WASJ優勝の武豊が、世界中の招待イベントで残して来た爪痕を振り返る
53歳で見事に優勝
先週の8月27、28日、札幌競馬場で行われたワールドオールスタージョッキーズ(以下、WASJ)。世界中から名手が集い、各レースの着順に応じたポイントで優勝を争うこのイベント。今年は武豊騎手の優勝で幕を閉じた。
「初日を終えた時点でトップだったけど、過去に同じような形で最後に逆転された事が何度もありました。それだけに今回は逃げ切れて良かったです」
そう言った53歳で今なおトップを走る彼は、これまでも世界各地で同様のジョッキーイベントに招待されてきた。私も世界中で立ち合わせていただく中で、思わぬ出来事に出くわす場面も多々あった。今回は一部ではあるがそんな逸話を順不同で紹介しよう。なお、既出のものもあるが、読まれていない読者もおられると思うので、再度、記させていただく。
まずは2004年、香港のインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップ。1勝した日本のナンバー1騎手は総合ポイントもC・スミヨンと並び最多。2人で優勝を分け合った。そして、この時の勝利で海外通算100勝を達成。レース終了後には祝勝会をして、記録達成を祝った。しかし、実は01年の仏国での1勝が数週間後、検体から薬物が検出されて失格になっていた事が後に判明。1勝が取り消されていた。つまり我々は99勝でお祝いをしてしまっていたのだ。
また、フランスのエルメス杯に招待された時はその運営のしかたに驚かされる場面があった。出走馬の頭数が招待騎手の人数を下回り、乗れない騎手が出てきたかと思えば、はるかに多い頭数でエルメス杯参加騎手以外の騎手が一緒に乗るレースもあった。
「お国柄ですね」と日本の天才騎手は苦笑した。
本場イギリスでベストライド賞
更にイギリスのシャーガーC。アンジュレーションや形態が日本とはまるで異なるアスコット競馬場という事もあり、日本人騎手は誰もが苦戦する中、唯一勝ち星を挙げている日本人ジョッキーが武豊騎手。07、08年に招待された際は2年連続で勝利すると11年にはシャーガーCステイヤー(約2マイル)で1着。長距離戦は騎手の腕がモノをいうと言われるのは競馬発祥の国でも同様で、このレースの騎乗ぶりは「本日のベストライド賞」を受賞。世界中から名手の集まるイベントで、トップとして表彰されたのだ。また、この時の手綱捌きは後に、地元テレビ局が全英で行われた1週間の全レースを対象とした「今週のベストライド3選」にも選定された。
13年にはトルコの招待競走に呼ばれた。地元トルコの騎手対世界選抜というイベントで、武豊はF・デットーリらと同じチーム。この時は勝ち星こそあげられなかったものの、5000勝ジョッキーであり、地元の英雄でもあるH・カラタスとマッチレースの激しい叩き合いの末、2着となりポイントを加算。団体戦の優勝に貢献すると、デットーリが音頭をとり、優勝した世界選抜チームの皆で記念撮影。
「俺は0ポイントだけど、優勝だぜ!!」と叫ぶデットーリの言葉に武豊も思わず吹き出し、皆で笑った。
最後に17年、藤田菜七子騎手と共に呼ばれたマカオの国際男女混合ジョッキーズチャレンジ。当時、2人は6回にわたって同じレースで騎乗。抽せんであてがわれた馬ではあったが、実に全6競走で武豊が先着。“さすが”と思わせたモノだ。ちなみにこのマカオのイベントはその後、行われていないが、1度だけ開催されそうになった事があった。しかし、武豊の都合がつかず不参加を表明すると、企画そのものが中止になってしまった。日本のレジェンドは世界中どこへ行っても目玉となり得る存在であると、改めて思わせた出来事だった。
さて、冒頭で記したようにWASJを制した大ベテランは今週末の競馬を終えると、フランスへ飛ぶ。凱旋門賞(GⅠ)に挑戦するドウデュース(牡3歳、栗東・友道康夫厩舎)が前哨戦であるニエル賞(GⅡ)に出走。同レースに参戦する予定だ。衰え知らずの日本のトップジョッキーが、今度は海の向こうでも表彰台に上がるよう、応援しよう!!
(文中敬称略、写真撮影;平松さとし)