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かつてのパウンド・フォー・パウンドの愛息が自死

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
(写真:ロイター/アフロ)

 ミドル、スーパーミドル、ライトヘビー、ヘビーと4階級制を成し遂げたかつてのパウンド・フォー・パウンド、ロイ・ジョーンズ・ジュニアが6月25日に哀しき声明を出した。

 息子のデアンドレが32歳の短い生涯を終えたのだ。しかも、自死で亡くなったと発表した。

写真:ロイター/アフロ

 ジョーンズは、SNSで以下のように綴った。

 「残念なことに私の息子、デアンドレは土曜日(※6月22日)に自ら命を絶ちました。金曜日の夜、神が家族と私に人生最後の夜を過ごす時間を与えてくれたことに心から感謝します。

 今、多くの人が困難な状況に置かれていることを理解しています。でも、自分の命を絶つ行為に、価値などありません。生命とは神によって与えられ、神がそれを奪うべきものです。

 私自身と家族が喪の作業に向かう間、どうか我々のプライバシーを尊重してください」

写真:ロイター/アフロ

 55歳のジョーンズは、筆者と同じ歳である。強過ぎて相手が見当たらない悩みを抱えていた1999年夏、HBOの解説者として訪れていたレイク・タホでインタビューに応じてくれた。

 一度失格負けを喫したこともあったが、ジェイムス・トニー、マイク・マッカラムといったビッグネームに勝利し、これといったライバルが見当たらないことを嘆いていた。日本サッカー界のJ3のような位置づけのプロバスケットボールのゲームに出場したその夜に、世界タイトルマッチのリングに上がるスケジュールを組み、かろうじてモチベーションを維持していた。

 その後の2003年3月1日、ネバダ州ラスベガスのトーマス&マックセンターでWBAヘビー級王座を奪取。

写真:ロイター/アフロ

 2004年5月、階級を上げ下げしたことがマイナスとなり、アントニオ・ターバーにKO負け。晩年は負けが込み、引退のタイミングを誤った感もあるが、全盛期の非の打ち所の無さは、鮮明に記憶されている。

写真:ロイター/アフロ

 ジョーンズはフロリダ州ペンサコーラで育ち、故郷で法律家を目指していた女性と恋に落ちて結婚。元チャンピオンと妻には3人の息子がおり、彼らはそれぞれバスケットボールやフットボールに勤しんでいた。

 トレーニングの合間に息子の試合に駆けつけ、客席から「Good Try!」と声を掛けるチャンピオンの姿を覚えている。

写真:ロイター/アフロ

 4階級を制した強靭なメンタルをもってしても、息子が死を選んだ事実、そして逆縁に耐えられる筈も無い。非常に胸が痛む知らせである。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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