廃止からもうすぐ21年 先行き不安な廃駅のキハ58保存車 可部線 安野駅(広島県山県郡安芸太田町)
平成15(2003)年12月1日に可部~三段峡間が廃止された可部線。平成29(2017)年3月4日には可部~あき亀山間が電化の上で再開業して注目を集めた。今年の12月で廃止から21年を迎えるが、廃止区間は現役当時の面影を今も随所に残している。保存された駅も多く、安野(やすの)駅もその一つだ。
安野駅は昭和29(1954)年3月30日、可部線が布から加計まで延伸した際に開業。当時の所在地は山県郡安野村で、昭和31(1956)年9月30日に山県郡加計町と合併して消滅した。加計町は可部線廃止翌年の平成16(2004)年10月1日に戸河内町・筒賀村と合併し、山県郡安芸太田町の一部となっている。
安野駅が開業したのは、ちょうど駅舎の建材が木からコンクリートへと本格的に移行していた時期で、国鉄標準型のコンクリート造駅舎としては初期のものにあたる。同時に開業した小河内、水内(みのち)、加計の各駅にもコンクリートの駅舎があったが、いずれも廃止後に解体されており、現存するのは安野駅のみだ。
駅舎は現役当時の姿を留めており、改札横には廃止当時の時刻表も掲げられている。改札口から覗く停車中の列車の姿は、ここが現役の駅かと錯覚するほどには自然だ。
駅舎の待合室には昔の写真や近隣の名所の案内が掲げられ、事務室は地元の集会所として使用されているようだ。よく清掃されていて荒れた様子もない。
駅構内は「安野花の駅公園」となっており、ほぼ現役当時の姿で残されたホームには、かつて可部線で活躍した気動車「キハ58」が保存されている。安野駅のホームは島式だが、廃止時点では駅舎側の線路が撤去されて片面使用だった。
安野駅構内にはかつて猫が住み着いており、「猫の駅長」として知られていたが、里親に引き取られたり寿命で亡くなったりして、現在はその姿を見ることはできない。
ホーム裏手には桜の木が植えられており、「花の駅」の名にふさわしく春には桜が咲き誇る。あいにく筆者は冬と秋にしか訪れることができていないが、今度は桜の時期に来たいものだ。
保存されている車両はキハ58 554。昭和39(1964)年6月26日富士重工製で、大阪の宮原機関区に新製配置。大阪と能登を結ぶ急行「ゆのくに」や大阪と美作を結ぶ急行「みまさか」、大阪と飛騨を結ぶ急行「たかやま」などで活躍した。
昭和61(1986)年10月29日には広島運転所に転属し、芸備線の急行「ちどり」「みよし」「たいしゃく」に用いられたが、その廃止により平成3(1991)年3月18日に小郡運転区へ転出。急行「さんべ」でも活躍したが、その廃止により晩年は可部線などの普通列車で活躍した。可部線運行最終日の平成15(2003)年11月30日に廃車となり、同日に安野駅に回送されている。
以降は、廃止になった安野駅で20年に渡って保存されてきたが、屋根のない野ざらしでの保存のため、車体の傷みが目立つ。雨漏りも発生し、管理する住民団体からの要望を受けて町が解体・撤去を検討していることが4月に中国新聞で報じられた。
貴重な車両だけにこのまま解体されるのは惜しいが、過疎化や高齢化で地元住民も減る中で保存車を維持していくのは負担が大きいのだろう。たとえクラウドファンディングで修復したとしても、現状のまま保存を続けるのであれば、また数十年後に解体危機を迎えるであろうことは想像に難くない。
持続的に保存していくための方策が見つかればよいとは思うが、このままではキハ58 554に待つ未来は明るいものではなさそうだ。
関連記事