アマゾンに単身入り、ジャングルで部族と行動を共に。「危険を察知して難を逃れたこともありました」
インフラの整備された都市とはまったくの別世界。いわゆる原生林の中のような未開の地に縁もゆかりもないひとりの若者が足を踏み入れて、現地の人々と出会い、同じ時を過ごす。
簡単に表すとこんな過程を辿って生まれたといっていいのが、現在公開中のドキュメンタリー映画「カナルタ 螺旋状の夢」だ。
ある種、誰もの心のどこかにある見たことのない世界へのあくなき冒険心と探究心が結実している1作といってもいいかもしれない。
単身でアマゾンに分け入り、1年に渡って現地の部族に密着して本作を作り上げた太田光海(あきみ)監督に訊くインタビューの第二回へ入る。(全三回)
人づてにたどっていきアマゾンで生きるシュアール族の夫婦と出会う
前回のインタビューでは、アマゾンに取材にいくまでの経緯について語ってもらった。
そこでも触れたが、彼は最終的にエクアドル南部にたどり着き、アマゾンの熱帯雨林に住むシュアール族に出会う。
シュアール族は、かつて首狩り族として恐れられ、スペインによる植民地以後も武力制服されたことのない民族として知られるという。
その部族の中で、彼はセバスティアンとパストーラという夫婦に焦点をしぼって取材することになる。
このふたりとはどうやって知り合ったのだろうか?
「簡単に言うと、人づてにたどっていったら出会いました(笑)。
まず、南米に行く前から、エクアドルのアマゾンでこういうフィールドワークをしたいということを会う人に片っ端から伝えていたんです。
すると周りは映像人類学の学生ですし、人類学者の友だちもいて、アマゾンに直結するわけではないですがエクアドルに知り合いのいる人が何人かいた。
彼らから現地の知り合いの連絡先をきいて、まずエクアドルに行きました。
そこからはアマゾンの原生林で暮らしている人はいませんかと、訪ね歩いて。
知っているという人の情報を頼りに、そこを訪ねてみて、またそこで出会った人に聞いて、次のところを訪ねてみる。
その繰り返しで、ときにちょっと騙されたりして遠回りしながらも、最後はセバスティアンとパストーラが暮らす村にたどり着いた感じです(笑)。
ただ現地にはひと言で『村』といってもいっぱいあるんです。その村もほぼ地図上に載っていない。ほとんど情報がない。
このあたりに住んでいるといわれても、地図に載ってないし、情報がないので、ふつうではたどり着けない。
そのエリアのことを知り尽くした人に案内されて、ようやくたどり着ける。
あと、幸運といってしまうと語弊が出てしまうんですけど、僕が語るビジョンをきちんと受けとめてくれる人に要所要所で出会えて、最後に彼らのもとに連れていってくれる人に出会えた。
その過程では、やはりきちんと聞いてくれない人もいたし、僕を騙そうとしてきた人間もいた。
ほんとうにまったく関係ないところに連れていかれそうになって、直前に僕がなにか怪しいと感づいて引き返して難を逃れたこともありました。
でも、その中でも、きちんと次の道を教えてくれる人たちに数珠つなぎのように出会えて、最終目的地に着くことができた。
だから、セバスティアンとパストーラに出会ったのもほんとうに運といえば運です」
心をもっていかれた薬草の話
ふたりを撮影しようと思った理由をこう明かす。
「初めて会ったときに、彼らの話にすごく心をもっていかれたというか。すごく興味をもちました。
とくに薬草の話には聴き入りました。
アマゾンで生きている人でもみんながみんな薬草についての知識をもっているわけではない。
薬草のことなんかまったく知らない人もいる。
でも、セバスティアンは僕が聞く前に、もうこの植物はこういうことに効果があるんだとか、自ら説明をしてきて。
彼自身、薬草になみなみならぬ興味があって、映画の中でも触れていますけど、新たな効能のある薬草を探していたりする。
ちょっと研究者っぽいところがあるんですよね。近くに薬草や樹液の出る木を植えておいたりして。
この村にたどりつくまでにいろいろと経験しましたけど、それでも僕はアマゾンの全体像はまだまだわかっていなかったし、どういう人たちがいるのかというのもわかっていなかった。
ただ、それまでにセバスティアンのような人物には出会わなかった。
実際に、その後もいろいろと回ったんですけど、彼らのように脈々と受け継がれてきた慣習や暮らしの知恵を大切にしながら、現代も視野に入れて生きている存在には出会わなくて。
そこで彼らといっしょに映画を撮りたい、彼らの村に滞在して大学の研究も含めて一緒に映画ができればなと考えました。
まあ、今振り返るとそう思えるんですけど、最初は彼らのことをそこまでわかっていなかったです。
もうポスターとかみていただければわかるんですけど、この村ってほんとうにジャングルの中で緑に覆われている。
初めてその土地に足を踏み入れたときの衝撃ってやっぱりすごいんです。もう『何だ、これ』って土地の雰囲気にのまれるというか自然に圧倒されてしまう。
でも、長期滞在すると、だんだん慣れてきて彼らの昔ながらの部分と、近代社会との結びつきと、双方がみえてきた。『あっ、こういう古くからの営みは残っているけど、こういう近代化された側面もあるな』と。
たぶん、多くの人は数日しか滞在しないので、もうジャングルに圧倒されて、ジャングルの記憶しか残らない。
でも、僕は長期滞在することで、双方に気づくことができた。それも大きかった。
長期滞在をするにつれて、僕の中でだんだん日常がジャングルになっていく。ジャングルが特別ではなくて日常の風景になるわけです。
そうなると、彼らと外の世界との関わりがみえてくることがある。僕も目線がどこかここで暮らす人間になっていくことで、いろいろと見えてくることがある。
それで、ジャングルが日常になったときに、さらなる未知の土地というか、セバスティアンが暮らす村よりもさらにワイルドな村に行ったりもしたんです。
でも、意外とそういう場所で暮らしている人々が薬草のことを全然知らなかったりする。
ちょっと行ったらジャガーやアナコンダや猿たちが頻繁に出るぐらいのジャングルに住みながら、古くからの風習や伝統がほぼ残っていないところも多かった。
セバスティアンとパストーラの営みには絶妙な対比があったというか。古くからの営みと近代化の影響を受けた営みがバランスよく交わって成立しているようなところがあった。
セバスティアンは、古くから伝わっている口噛み酒のチチャをふるまいながら、仲間とともに原生林にあるもので家の屋根をかえたり、生活の糧を得ている。
アヤワスカをはじめとする覚醒植物がもたらす『ヴィジョン』をみることでこの先のことを考えたり、自ら発見した薬草で傷や病気を治す。
一方で、ふだん着ている洋服はジーンズにTシャツだったり、森に入るときはゴム長靴を履いていたりする。
アマゾンの中で暮らす部族のイメージって、もうそうじゃないだろうと思いつつも、現地に行く前の自分も含めていまだに裸足で腰みのつけてみたいなことを想像してしまう人はやはり多い。そういうイメージを変える意味でも、彼らのような存在を撮影したいなと。
彼らにとって押し付けられたイメージを払拭するような作品を撮りたい気持ちもありました」
(※第三回に続く)
「カナルタ 螺旋状の夢」
監督・撮影:太田光海
シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
場面写真はすべて(c)Akimi Ota