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試して浮き彫り、コパ・アメリカの夢の後。「善戦」の裏側にあった五輪世代の「ショック」と決意

川端暁彦サッカーライター/編集者
チームとして奮戦したのは確かだが、当人たちが痛感したのは「差」のほうである(写真:ロイター/アフロ)

0勝2分1敗の中で

 1999年大会以来2度目の参加となったコパ・アメリカ(南米選手権)が日本サッカーにとって意義深い大会だったのは間違いない。

「僕らにとって実りある大会でしたし、決して無駄ではなかったと思います」

 主将を務めた柴崎岳の言葉はまさにその通りだろう。1勝もできなかったとはいえ、相手は南米の列強である。登録23人中18人がU-22の東京五輪世代という編成で臨んだことを思えば、0勝2分1敗という結果も悪くはない戦績だ。日本はA代表の主力級をほとんど招集できず、Jリーグの期間中だったことから「東京五輪世代のベスト」も揃えられたわけではない。苦肉の策と言うべきメンバー構成の中でよく戦った。そうした評価は妥当だ。善戦だったと言っていい。

 ぶっつけ本番の急造チームであり、久保建英の言葉を借りれば、「即席と言えば、即席」の編成である。その上、地球の裏側まで遠征して開幕5日前に現地入り。事前の練習は必然的にコンディショニングが中心となり、練習試合も組めないままいきなりチリのA代表とぶつかった流れは、常識的に考えてかなり無理があった。その中でチリに大敗してからチーム内で戦術的な課題を共有、修正し、次のウルグアイ戦での実践した流れは称賛すべきものだった。

 ただ、オーバーエイジ選手の選考を含めて今後に繋がる材料は提供されたとは思うが、別にこのチームで東京五輪を戦うわけでもない。チリとの初戦を除くと、オーバーエイジ選手が5名起用されている(五輪本番は3名まで)のだから、それも当然だ。一方で「個」としての力量や適性を問われる場としてはこれ以上のモノはなかったのも間違いない。だからこそ、試合に出た選手たちも、出なかった選手たちも、それぞれ思うところの深い大会となった。

「Jリーグでは感じられない」

 大会を取材していて五輪世代の若い選手たちから頻繁に聞かれたフレーズがある。「Jリーグでは感じられない」という言葉だ。スピードやパワーだったり、あるいは駆け引きの巧みさについてのコメントである。3試合すべてに先発出場したDF杉岡大暉(湘南ベルマーレ)はこう振り返る。

「自分の力を本当に試せる場でしたし、自分の力が浮き彫りになった大会でした」

 個としての守備力にも定評がある杉岡だが、今大会はしばしば出し抜かれるシーンを作られた。もちろん中島翔哉を攻撃で押し出すチームとしての形が災いして杉岡が守備でさらされやすかったという面もあるのだが、「そこでなお止めてこそ」というのが杉岡の考え方。また守備に追われて攻撃面で十分な貢献ができなかったという思いもある。

「このレベルだとすぐに寄せられてしまって、奪ったボールを繋げない。その判断のところ。(ボールを)持って持って縦パスなんてやらせてもらえない」

 普段のリーグ戦ではボールを持ってから寄せられても奪われない自信もあるし、狙い澄ました縦パスも通せる。だが、その感覚が通じないのがこのレベルである。だからこそ杉岡は「本当に参加できて良かった」と言う。

 一方、杉岡と逆の右サイドで2試合に先発出場したDF岩田智輝(大分トリニータ)は、ウルグアイとの第2戦を終えたあとに「こんな感覚は初めて」とスアレス、カバーニという世界的ストライカーとの対戦で感じた驚きを語った。

「強いし、速い。体を当てられればと思っていたけれど、当てられないくらいに速い」

 Jリーグではむしろ対人プレーの強さで知られる選手だが、間合いを取って抜かれないようにするしかないという感覚を持ったと振り返る。そして最後のエクアドル戦では相手の力強さを前面に押し出し、個で迫ってくるスタイルへの対応に苦闘することとなった。

「こういう対人が多い試合というのはJリーグではなかなかないですし、ここで経験できたのは自分の中で大きい」

 そう言った岩田は「(今回の経験で)海外志向が強くなったし、日本でももっと強く意識しないといけない」と言う。Jリーグとの一番の違いはと問われても、やはり挙げるのは個での「バトル」の部分である。

「空中戦だったり、デュエル、1対1の部分ですよね。かなり強かったし、ルーズボールになっても向こうにこぼれることが多かった。そこはもっと突き詰めないといけない。エクアドルは特に個人でこじ開けるという意識が強くて、自分の良さである1対1という部分で負けていた。そこで勝てるようにならないといけない」

 ボールを持って動かす部分では岩田も特長をよく出していたが、DFとしての「個の戦い」になると心許ない部分があったのは否めない。エクアドル戦の失点にしても、直接的な原因の一つが岩田のヘディングでの対応ミスである。高さ・強さで勝る相手に対して「先に跳ぼうとした」ことが裏目に出た形だったが、まさにそうした事故を狙った攻め方でもあった。

 普段できていることができない。武器にしている部分が武器にならない。これは選手であればある種の恐怖感すら覚えるところで、ウルグアイ戦をベンチで観ていたある選手は「出たかった? いや、自分が出ても通用しなかったと思います」と、そのショックを語っていた。チームとしては善戦していた一方で、「個」としてのレベル差はピッチにいた選手もベンチにいた選手も痛感させられていた。

未来への種まき

 ただ、杉岡にしても岩田にしても、「A代表また来たい?」というこちらの問いには、明確に「Yes」の回答を返してきた。

「ここのレベルを自分の基準にしたい。五輪代表に選ばれればいいということじゃなく、Jリーグでも『いかにA代表へ選ばれるか』という勝負をしていきたい」(杉岡)

「今までは『Jリーグで良いプレーをしていれば自ずと選ばれるだろう』なんて思っていた。でもここに来たら、周りのレベルも高いですし、本当に楽しかった。またこういう時間を過ごせるようにやっていきたい」(岩田)

 新たな目標とモチベーションを得た形で、これは彼らの成長に間違いなく繋がる要素だろうし、こうした意識の変化は今回のコパ・アメリカにおける最大の収穫だろう。オーバーエイジの先輩たちが高い意識でトレーニングと試合に臨んでいたこともあり、「意識が変わった」「今まで甘かった」といった言葉も聞かれるようになった。「A代表未満」のレベルの選手たちを招集することへの批判もあったが、まさにそうした選手たちに対して早めに「A代表レベル」を基準として示せたこと自体に今大会の意味の一つがあったように思う。すぐに何かが変わるわけではないだろうが、きっと後々効いてくる材料である。

「先輩たちが示してくれた基準だったり、相手が示してくれた世界の基準というのを本当に忘れないようにしたい」(杉岡)

 結果はグループステージ敗退。コパ・アメリカに臨んだ「日本代表」はチームとして何か大きなものを残せたわけではない。善戦すれども勝利なし。それが結果である。ただ、苦肉の策の面もあった「A代表未満」の選手が揃ったメンバー構成は、結果として将来に向けた種まきとして、確かな効用を予感させるものがあった。来年の東京五輪はもちろん、そのもっと先のステージまで。

 南米最高峰の大会で「試して」「浮き彫りになった」「自分の立ち位置」。レベル差にショックを受けていた選手を含め、それぞれが感じた課題をどう処理してどう日常に反映させていくのか。その進化と変化を楽しみにしたい。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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