Yahoo!ニュース

高校サッカー選手権初優勝・岡山学芸館、「おじいちゃん+教え子」のコンビが栄冠を導く

川端暁彦サッカーライター/編集者
平清孝ゼネラルアドバイザー(左)と高原監督(写真:森田将義)

「おとなしい子だったからね。指導者向きとは思ってなかったなあ」

 そう言って懐かしそうに目を細めたのは、岡山学芸館高校の平清孝ゼネラルアドバイザー。高校サッカーを指導して46年目を迎える大ベテランの名伯楽は、東海大五高校(現・東海大福岡高校)時代の教え子である高原良明監督についてそう語った。

 第101回全国高校サッカー選手権大会。「ベスト8の壁を越えるために」恩師を招へいした高原監督率いる岡山学芸館高校は、周囲の予想も、自ら設定した目標も大きく飛び越える快進撃を遂げ、決勝では東山高校を3−1と撃破。初めての栄冠を勝ち取ってみせた。

 そこに至るまでの道のりは数奇な巡り合わせによって生まれている。

国体を機に縁のなかった岡山へ

 福岡県で生まれ育った高原監督と岡山県の縁を繋いだのは、2005年に行われた岡山国体である。東海大学を卒業後の2003年、国体に向けた強化選手として県に招かれて岡山学芸館高校に就職。当時は地域リーグに所属するアマチュアチームだったファジアーノ岡山(現在はJ2)に加入した。元より「ずっと高校サッカーの指導者になりたかった」という氏にとって、プレーを続けながら指導もできるこの体制は願ってもない話だった。

 もっとも、当時の岡山学芸館は強豪校とは程遠いチームである。部員は20人に満たず、練習環境も劣悪だった。自らトンボをかけていたという高原コーチ(当時)は、「よく体も動いたので」と自ら選手たちの練習に混じってプレーを実演しつつ指導にあたる。同時に生活面でも選手たちを正していった。

「最初のころは『ちょっと煙たいぞ』となって『おい、ここを開けろ!』みたいなこともありましたし、本当に色々なことがありましたよ」

 高原監督はそう言って笑う。悪ぶってはいたけれど、悪い子ではなかったという生徒たちに体当たりでぶつかり合い、語り合った。高校生を指導する難しさを痛感することもあったというが、感じていたのはやり甲斐だったと言う。

「大変でしたけど、楽しかった。本当にやり甲斐のある仕事だなと感じた」

 岡山国体が終わり、ファジアーノ岡山がプロ化へと大きく舵を切って選手を入れ替えた07年シーズンを前に教職へ専念することを決断。翌08年には監督を託されると同時に、本格的な強化へと乗り出した。

 当時の岡山県と言えば、作陽高校が連続出場を重ねていた全盛期。県北の津山市に対するライバル校として学校と協力しながら徐々に地位を作っていくこととなった。

 大きな転機となったのは、高原監督が「本当にあそこから変わりましたね」と語る2012年の夏の全国高校総体出場。監督個人としても学校としても大きな手応えを掴み、また周囲からの見られ方が一変する出来事となった。集まってくる選手たちのレベルも大きく上がり、練習試合などで対戦に応じてくれるチームのレベルも上がり、それに伴って選手たちの意識も変わった。

 選手寮や人工芝グラウンドなどハード面でも大きな投資が行われるようになり、トレーニング環境は一変した。練習後30分以内に食事がとれる環境が整ったことで選手のフィジカル的なベースも向上。また進路選択においても施設環境の影響は大きい。実際、選手たちに話を聞くと、学芸館を選んだ理由の一つとして、しばしば「施設」という答えが返ってくる。これは大きかった。

 プリンスリーグ中国で2019年に初優勝を果たし、2021年、22年と高校総体では2連連続の8強入り。選手権出場も5回と重ねた。ただ、「何か」が足りなかった。

決勝前日の練習で選手たちに指示を出す高原監督(写真:川端暁彦)
決勝前日の練習で選手たちに指示を出す高原監督(写真:川端暁彦)

「おじいちゃん」というラストピース

「(就任直後)選手の力は間違いなくある。(高原監督に)『良い選手が揃っているよ。いけるよ』と言った。でも、確かに何か足りていなかった」(平アドバイザー)

 高原監督が70歳に迫る「恩師」の招へいに踏み切ったのは、「自分自身も含めて足りないものがあるから全国大会で勝てない」と思っていたから。平アドバイザーに指摘されたのは、やはり心の部分だった。

 たとえば、試合に向けての気持ちの持って行き方。メンタルコントロールの部分に平アドバイザーの提示する方法を導入。トレーニングでは専ら外から見守るが、機を見て選手個々に気さくに話し掛けて笑いを取りつつ、サラッとアドバイスをしていく。大一番となった準決勝を前にしては、逆に引き締める言葉も並べた。

「選手は平先生のことを『優しいおじいちゃん』だと思っていますよ」

 高原監督はそう言って笑う。かつては「昭和スタイル」(平アドバイザー)の厳しい指導で知られたが、「むしろこっちが本来のわしなんだよ。昔は厳しくしないといけないと思っていたからそうなっていたけど」と言うように、笑顔を絶やさず、得意のギャグも交えながら選手を導いてきた。

「この年で単身赴任は大変なのよ!自分で米を研ぐのも久しぶりだったわ」

 そう笑いながら「新しいチャレンジをしたい」と岡山までやって来た平アドバイザーの姿勢は、単に選手たちに影響を与えたばかりではない。

「スタッフに与えた影響も本当に大きかった」と高原監督は言う。情熱を絶やさず指導に当たる「おじいちゃん」のもたらす刺激は大きく、「本当にスタッフの仲が良いなと思った」(平アドバイザー)と言う岡山学芸館のベンチに、古くも新しい風が吹くこととなった。

「こんなジジイを受け入れてもらえるか不安だったんだ」と笑った平アドバイザーだが、今ではすっかりチームに馴染んでもいる。

「本当に高校サッカーという場があってそこに情熱を燃やせることに感謝したい」(高原監督)

「やっぱ高校サッカーから離れられねえんだよな。そういう場所なんだよ」(平アドバイザー)

 そう語る師弟が、東海大五高校時代は果たせなかった優勝旗を、岡山の地から掴み取った。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

川端暁彦の最近の記事