7年ぶりに重賞を勝利したジョッキーが涙した本当の理由とは?
指揮官が惚れた五十嵐の仕事に対する考え方
10月17日。純白のヒロイン・ソダシが馬群に沈みアカイトリノムスメが突き抜けた。そんな秋華賞から約1時間半前、東京競馬場で1人の男の頬を涙がつたった。
この日の東京競馬場で行われたのは東京ハイジャンプ(J・GⅡ)。復活を期すオジュウチョウサンの出走でも話題を集めたこのレースで、真っ先にゴールに飛び込んだのはラヴアンドポップ。美浦・岩戸孝樹調教師が管理する同馬の手綱を取ったのは五十嵐雄祐(37歳)。レースで騎乗したのは今回が初めてだったが「本当は1年以上前に乗ってもらう予定で話していたんだけどね」と岩戸は言う。
「今回のレースの2ヶ月ほど前、ラヴアンドポップが帰厩してすぐに初めて乗りました。その後、障害試験、練習と乗り、それからは追い切りの度に乗るという感じでした」
五十嵐はそう言う。同馬は20年6月に東京ジャンプS(J・GⅢ)を勝っていた。しかし、今回はそれ以来、約1年4ヶ月ぶりの実戦。それでも新たなパートナーは手応えを掴んでいた。
「岩戸先生からは『我が強くてたまに気の悪い面を見せる』と聞いていたけど、そんな事はありませんでした。体が柔らかくて、飛びが抜群に上手。無駄がないのでスピードも落ちないし、安定感もある。重賞勝ち馬のセンスを感じました」
最終追い切りを終え、レースを迎えるだけとなった時には次のように感じたと続ける。
「厩舎で普段から時間をかけて乗ってくれていた事もあり、いきなりからやれると思い、かなり期待をしました」
期待していた事の分かる逸話がもう1つあった。
新潟ジャンプS(J・GⅢ)、阪神ジャンプS(J・GⅢ)と連続してトゥルボーの2着に好走したのが、五十嵐の乗るサーブルオールだった。同馬は前走後、故障をして引退に追い込まれたのだが、順調なら東京ハイジャンプに駒を進め、ラヴアンドポップと被ってしまったのではないか?その場合、ラヴアンドポップに乗れたのか?と問うと、五十嵐は答えた。
「サーブルオールがここになれば、ラヴアンドポップを他のレースに回してもらえるように岩戸先生と話し合っていました」
それだけラヴアンドポップも捨て難い存在だったわけだが、これには岩戸が違う角度から言葉を発した。
「自分の中では勝負のかかった馬には五十嵐に乗ってもらいたい。技術的な面は勿論だけど、仕事に対する彼の考え方が好きなので、全面の信頼を置いています。だからラヴアンドポップも、彼が乗れるところで使いたいという気持ちが強かったのです」
指揮官が気に入った“仕事に対する考え方”については、次のように説明した。
「五十嵐と話をした時に『骨折をするのも仕事ですから』と言っていました。彼のそういう腹の決め方が好きです」
この事について、五十嵐本人は次のように言う。
「岩戸先生の馬で僕が怪我をした時に、先生が何度も謝るので、そう答えたかもしれません。自分としては当たり前に思っている事を普通の会話の中で話しただけなので、はっきりと覚えているわけではありませんけど……」
即座にプランを変更し、7年ぶりの重賞制覇
さて、そんなコンビが送り込んだラヴアンドポップの東京ハイジャンプを、鞍上からの視点を中心に改めて振り返ってもらおう。
「状態は良かったので、あとは久々の分、息が持つかどうかだけだと思いました」
五十嵐はそう言った後、レースを述懐した。
「枠順が決まった後、有力馬のオジュウチョウサンをマークしながら行くプランを考えていました」
ゲート内で少しガタついたが、五分にスタートを切ると、前に絶対王者を見る位置を取れた。プラン通りと思えた次の刹那、事態が急転した。
「飛越が良くて自然と上がって行く形になりました」
マークするために無理に抑える事はせず、瞬時にプランを変更。オジュウチョウサンをかわして前に出た。
「元々無理に抑えるのはあまり好きではないし、ラヴアンドポップ自身の飛越が抜群に上手で、飛ぶ幅も大きいので本人が行きたいなら、と行かせました」
1周目のスタンド前を通過し、ゴール板を横切る時には単独の2番手。ここで改めて計画を立て直した。
「後ろのオジュウは気にせずに、逃げているホッコー(メヴィウス)をあえて楽に行かせようと思いました。道中はプレッシャーを与えずに、ギリギリまで逃げ残ってもらい、ゴール寸前で差す形に持ち込もうと考えたのです」
向こう正面に入るあたりでは逃げ馬との差が開いたが、それも「ペースを遅くしてあえて追いかけなかった」(五十嵐)のだった。
レースが動いたのは3コーナー。人気のオジュウチョウサンとアサクサゲンキが進出し、ラヴアンドポップは4番手まで下がった。
「逃げ粘る馬を差せば良いという考えを変えずにいたので、他が来ても逃げ馬だけを見ていました。これでそのままオジュウに突き抜けられたらそれはそれで仕方ないと考えていたんです」
直線へ向くとアサクサゲンキが脱落し、3頭の争いに絞られた。逃げるホッコーメヴィウスの外から迫るオジュウチョウサン。これに対し五十嵐ラヴアンドポップは内を突いた。
「最後に止まるかも、という心配を他所に、伸びてくれました」
絶対王者をかわすと後は逃げ馬だけが前にいた。そして、これをプラン通りにパスしたところがゴールだった。
「ゴールの瞬間は『良い仕事が出来たかな』という気持ちだけでした」
ところが、引き返してくる際、ある事を想うと、涙が溢れた。
涙を流しながら上がってきた勝利騎手を見て、岩戸は思った。
「7年ぶりの重賞制覇だったし、途中、大きな怪我もして、それは込み上げてくるモノもあるよな……」
ところが、涙の真相は、何を隠そう岩戸にあるのだった。
レース後の涙の真相
話は2年近く、遡る。岩戸厩舎の障害戦に於ける主戦となっていた五十嵐は、あるレースで岩戸からの依頼を受ける。それまでも五十嵐が乗り続けて来た馬でもあり、当然、承諾した。ところが……。
「直前になって、別の陣営からも依頼が来ました。正直、そちらの方が勝負になる馬だったので、岩戸先生に何とかしていただけないか相談しました」
プロの騎手である以上、勝てる確率の高そうな馬を選択するのは決して悪い行動ではない。しかし、五十嵐は言う。
「ただ、岩戸先生にはそれまでも随分と自分を優先してくれていたという恩義がありました。その先生に前から頼まれていた馬がいたのに、勝つ可能性が高いというだけで他の馬を選択したのは、完全に僕が悪いですよね……」
いや、決して悪くはない。ただ、道義に反する行為は間違いだったかもしれない。当然、2人の間にはひと悶着あった。結果、岩戸が折れるのだが、決して矛を収めたわけではなかった。これを境に岩戸は五十嵐に騎乗依頼をしなくなったのだ。当時の心境を岩戸は次のように語る。
「恩着せがましく言うわけではないですけど、五十嵐のために障害馬を作る事もあるくらい、彼とは一対になってやってきたつもりでした。それなのにいきなり義理を欠く事をされて、正直、カチンと来ました」
どちらも血の通った人間同士。割り切って考えられない事もあるだろう。こうして2人は疎遠になった。本来、五十嵐騎乗を考えていたラヴアンドポップも、岩戸は他の騎手に依頼。昨年の東京ジャンプS(J・GⅢ)を勝利した時もその背に五十嵐の姿はなかった。五十嵐が当時を述懐する。
「岩戸先生の顔を見かける度『あの時はすみませんでした』という気持ちを緊張しながら僕なりに伝えるようにしました」
乗せてもらえない間も挨拶だけは欠かさないよう心掛けた。それでもモヤモヤした気持ちが残り、眠れない夜もあった。蜜月関係にヒビが入ってから約1年7ケ月が過ぎたが、その間、五十嵐があげた勝ち星は僅か7つ。修復不可能かと思えた関係に五十嵐はもがき苦しんだ。しかし、昨年の秋、突然、雪解けの時がやってきた。岩戸が障害未勝利戦に出走させたキャプテンペリーの鞍上に五十嵐を指名。五十嵐は一発回答。勝利で答えてみせた。岩戸は言う。
「心底嫌いになったわけではありませんでした。乗せない間も、自分の中で彼が重要な騎手であるという考えに変わりはなかったし、意地になって良い騎手を乗せないのは自分にとっても得ではない。だからまたお願いするようになっただけです」
ミスは誰にでもある。そして、それに対し腹を立てるのも人間ならある事だろう。問題はその先だ。ミスが大きいほど、許せるか否かで、その人の器の大きさは決まる。岩戸の漢気溢れる対応を受け、五十嵐は次のように語る。
「恩のある先生に対し、自分勝手な行動で関係がギクシャクしてしまい、何度も自分を責めました。その間、なかなか勝てなくなったのも当然だと感じていました。ところが、そんな僕に、岩戸先生はまた手を差し伸べてくださいました。ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちで一杯になりました」
その延長線上にあったのが、今回の東京ハイジャンプだった。引き続き五十嵐の弁。
「岩戸先生の馬で重賞を勝ちたいという気持ちは誰よりも強く持っていました。全力でベストな騎乗しようという想いで臨み、実際に結果で応えられて良かったです」
ゴールして引き上げて来る時、五十嵐の頭に岩戸の顔が浮かんだ。次の瞬間、涙が溢れた。そんな鞍上を脱鞍所で迎えた岩戸が言った。
「五十嵐を乗せて良かった」
その言葉を耳にした五十嵐。視線に映る岩戸の笑顔が、アッと言う間にボヤけて焦点が合わなくなった。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)
*なお、岩戸厩舎は今週末の障害オープンにキャプテンペリー、同未勝利戦にクリップスプリンガを出走させる。鞍上はいずれも五十嵐を予定している。