高木美帆と小平奈緒 500mの明暗も力に、1000mで2大会連続のダブル表彰台へ
望外というなかれ、それは決意がもたらした快挙だった。
北京五輪のために新設されたスピードスケート会場の国家速滑館。競技初日の2月5日から同12日までに行われた7種目すべてで五輪新記録(男子10000mは五輪新記録および世界新記録)が誕生していた記録製造リンクで、高木美帆が今大会一番のガッツポーズを見せた。
2月13日の現地時間21時56分という遅い時間に始まった女子500m。15組中の第4組に登場した高木の37秒12というタイムは、後続のスプリンターたち動揺を与えた。最も得意な距離が1500mである高木にとって500mは専門外。それにもかかわらず、平昌五輪の銀メダルタイム(李相花の37秒33)を上回ったのだ。
「条件が重なったということもあると思いますが、銀メダルを取ることができたのは純粋にうれしい。滑り終えた時は、このタイムはメダルでもメダルじゃなくても、次はプラスの気持ちで挑めるなと思っていました」
■低地リンクで自己ベストを出して銀メダルを獲得した高木
高木は100メートルを10秒41の好タイムで通過すると、巧みなカーブワークで加速し、バックストレートでは伸びのある滑りを見せた。持ち味である後半になってもスピードを落とさない安定した滑りで、自己ベストを0秒10更新する37秒12。2019年3月2日に記録の出やすい高地リンクのカルガリーで出した37秒22を、低地で0秒10も更新した。
優勝したエリン・ジャクソン(米国)が第14組で滑るまで首位に立ち続け、3度目の五輪にして始めて出場した500mで見事に銀メダルを獲得した。
高木は今大会、500mから3000mまでの個人4種目と3人で滑るチームパシュートに出場。13日間で最大7レースを行う過酷な日程の中にいる。その中で、500mを滑るための特別な準備はしていなかったというのだから驚きだ。
「短距離の滑りに変えるというより、パシュートから通常の個人種目に切り替えるのはちょっと未知数でしたが、うまくできたのかな」
努力しても届かないような天才的な器用さで500mを滑りきった。
大会の序盤にあった3000mと1500mでは思い描いてきた滑りも結果も得ることができず、銀メダルを手にした1500mでは複雑な表情が目を引いた。
だが、500の銀メダルは同じ色でも1500mとはまったく違う、晴れ晴れとした表情で首から提げていた。
500mのレース前には、新型コロナウイルス陽性となり約10日間にわたってリンクに姿を現していなかったヨハン・デビットヘッドコーチの復帰もあった。「ヨハンからは肩に力が入っている」と言われ続けたといい、「そこにいろんな意味合いがこめられていた」と語った。久々の現場復帰でも自身の高揚感を表に出さず、今までと同様のシンプルで的確な助言で高木を後押ししたデビットHCはさすがと言えよう。
「この銀メダルというのは、それこそ挑戦した証だなと思っている。挑戦できたということは誇りたい」
高木は喜びを噛みしめる。実は、1500mの後は、500mを棄権することも頭をよぎっていた。しかし、「強い気持ちで500に臨めるか。自分と向き合った。そして、覚悟を決めて出ることにした」
望外ではなく、自ら立ち向かうことを決めたからこその銀メダルだった。
■小平「歯を食いしばって滑るしかないと」
高木の好タイムを見て、第13組のアウトコースからスタートすることになっていた小平奈緒は、「今日は氷が滑るんだなと思った」という。
「頭の中のスイッチはだいぶ前から36秒台にしていたので、気にすることはなかった」と、冷静に滑りのイメージを整えた。
アウトコースからのスタートはバックストレートで前を追って風圧を軽減できることに加え、最後に内側の小さなカーブを回ることになり、もう一押しの加速をしやすい。記録を狙う意味でも小平にとっては好条件と言えた。
2020―2021シーズンの前半戦に股関節を痛めて氷上から離れた時は、先の見えない苦しみを味わったが、フィジカルを一から作り直したことで、再び「最速」を目指せる土台を得て臨んだ北京五輪。今季は昨年11月のW杯で1年9カ月ぶりに勝利し、12月には1000mと合わせたW杯通算勝利数を清水宏保と並ぶ日本人最多の34勝とするなど、連覇へのステップはしっかりと踏んでいた。
しかし、五輪のレースはやはり過酷だった。スタートの一歩目にフルスロットルの出力をぶつけつつ、ミリ単位ですべてをコントロールするのがスプリンター。小平はスタートから一歩目につまずいたのが響き、最初の100メートルを10秒72と全体の20番目のタイムで入ることになった。
「準備もしっかりやっていましたし『後はスタートに反応していくだけ』というふうに思っていたのですが、足がとられてしまった瞬間に頭の中が真っ白になってしまって……」
それでも上がり1周を全体の13番目のタイムで回ったところに小平の“生き様”が垣間見えた。
「(つまずいた後は)もう前を向いて、歯を食いしばって最後まで滑るしかないという気持ちで滑りました」と悔しさを飲み込んだ。
高木の後塵を拝することにもなった小平は、高木に対し、「私が何もできなかったので、悔しいという気持ちより、この舞台で自己ベストで滑ったことが本当にすごいなと思う。彼女の歴史の中に刻まれる一つの瞬間として大事にしてほしいと思っています」と称えた。
■2人そろって出る女子1000mは17日に行われる
日本のスピードスケート界全体が失意にくれたソチ五輪以降、ダブルエースとして男女を含めた日本勢を牽引してきた高木と小平。平昌五輪では小平が選手団主将を、そして今回の北京五輪では高木が選手団主将を務めているという関係でもある。
2人がそろって出る女子1000mは17日にある。前回の平昌五輪では小平が銀メダル、高木が銅メダルを獲得した種目だ。
高木は昨年12月に長野エムウェーブで開催された北京五輪代表選考会で「小平選手と戦うのはモチベーション、やる気が上がる。レースに向かっていく上で、そういう思いが湧き上がってくる選手がいるのは自分にとってもすごいプラス」と語っている。
小平は「高木選手とは、2010年のバンクーバー五輪からともに世界を渡り歩くようになった。当時は15歳で中学校3年生。本当にここまで大きく成長してくれたなと、すごくリスペクトできると思っている」と言い、「1000mは覚悟を持ってやり遂げるだけです」と言葉に力を込めた。
500mでは明暗を分けることになった2人が挑む1000m。熱いレースを目に焼き付けたい。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】